はらり、はらり
小さな春が零れ落ちる。机の上に積もったそれはとっくに色褪せていて、少し触れたら崩れてしまいそうだ。
ふっくらとしていた封筒をひっくり返すと後から後から出てきて床にまで零れてしまった。ようやく空になったかと思えば肝心の便箋はメモ用紙を半分に折っただけのが1枚だけ。それだけ。
―――迎えにいきます
たったそれだけ、それだけだ。
もっと他にあったはずだ。近況とか、体調のこととか、愛の言葉だとか。筆不精にしてもここまでくるとあれこれ疑わしく思えてくる。
「…仕方のない人」
今度は手紙の書き方を教えてあげなければ。
こんなのは手紙とは言わないの。ただ季節外れの春を贈っただけだもの。それはそれで嬉しいけれど、私が欲しいものはこれではない。
ものではなく、言葉で、伝えてほしいの
【題:手紙を開くと】
アイツが境界を突破した、誰かがそう叫んだ。
けたたましく警鐘が鳴り響き、銃や大砲の玉が空を舞う。岩場にみえるよう加工された基地に逃げ込み、持ち場を目指して走る。アイツにとって人は鬱陶しく飛び回る羽虫と同じだ。ひたすら右下部の弱点を狙って撃ち込む以外勝つ方法はないのだ。
そもそも、俺たちにはアイツの姿がみえない。恐怖心から戦線離脱することがないよう特殊な加工を施され敵は皆ぼやけた塊にしかみえないようになっている。
空から攻撃できればはやく片付くのに、航空部隊は偵察や連絡用を除いて与えられておらず援軍待ちだがそれも期待できない。
「何やってるさっさと行けっ」
武器庫から補填用の玉を運び出そうとしたときだった。ガツン、と銃の柄で殴られて振り向いたらベテランの上官が眦をつり上げて怒鳴ってきた。言いたいことはあったが上官の命令は絶対だ。短く返事をして、例の場所へ急いで向かう。補填用の物品は他の上官に託して走った。
背後で豪快に笑う声が聴こえたが振り返らなかった。
使われていない排気口を開けるとその奥に隠し扉がある。虹彩認証でロックが外れ短いカウントが終わる前に狭い入り口に滑り込む。すぐ下は3人乗りのコックピットで、操縦席の後ろと足元に1人ずつ入りそれぞれ偵察と攻撃と役割が決まっている。操縦自体は自動だがサポート程度の機能しかない、まあ型落ちの廃棄予定だったやつだ。
ガチャガチャと習ったとおりに動作を確認して起動直前まで他の者を待つ。これが終わるまでに誰も来なかったら1人で行くしかない。ガコンと音がして上から俺よりも若いやつが入ってきた。もうアイツが近くまで来ていること、上官は奥へ撤退し始めたこと、そこまで言われればもう分かる。出入り口をロックして起動する。半ばヤケクソになりながら発進レバーを思い切り引いた。
一瞬で外に、境界の外に放り出される。スクリーンの1つ、岩場の上に小さな影が並んでいるのがみえた。あれはもう、そういうことなのだろう。
ざあっとここで過ごした記憶が蘇って頭の中を流れていく。後ろのやつも同じなのだろう、小さく漏れる嗚咽を互いに聴こえないフリをした。
「青いな」
上官によく言われた言葉が、聞こえた気がした。
「うるせえ、ジジイども」
【題:青い青い】
私の軌跡の浅いこと。
これを惨めだ、情けない、と思えばいいのか。
それとも可哀想にと嘆けばいいのか。
もしも過去に戻れるのならどうしたい、と聞かれた。
私は1年と少し前に戻りたい。
そうしたら今の私は生きていないから。
惜しまれるような命ではないと生き恥を晒さずに。
私の軌跡を消すことができるの。
【題:軌跡】
距離なんて関係ない。
忘れることもない。
この気持ちは消えない。
許せない。
許せないの。
【題:どんなに離れていても】
――差し出された手の違いはなんだろう
どちらも自分を求めていることは分かるが、何かが違う。真っすぐに伸ばされた力強い手と柔らかく包み込むように開かれた腕。鋼と真綿が並んでいるようだ。
右手で手に、左手で腕に、そっと触れてみる。
グッと引かれて半身は右へ引き上げられ、優しく包みこまれた半身は左へと沈んでいく。痛みはない。ただどちらも望んだ自分が2つに別れただけだ。
離れていく半身をみた。幸せに満ちた笑みを浮かべる一方でほんの少し寂寥感を漂わせていた。
何かとんでもない間違いを犯してしまった心地だ。だけどこんなにも満たされている。
「…バカな娘だ」
ただ一人残されるのを知っていて、本当にバカだ。
【題:「こっちに恋」「愛にきて」】