よく心の中にギャルやオネエを召喚すると大抵のことは上手くいくって聞くよね。根っからの拗らせ陰キャの私にはそれすらもできないのが悩みなんだけど、いい方法をみつけた。
諦めるのにはもう慣れたし、起きてしまったことはどうしようもない。周りの目とか陰口とかで悲しくて悔しくて苛立つのを全部飲み込まなければいけない。笑えなくても笑って相手に合わせなければいけない。
でもさ、つらいのはかわらない
なら、私の代わりに泣いたり怒ったりしてくれる存在があればいいんじゃないかと思ったんだよ。心の中に押し込んだ感情を発散してくれたら少しは軽くなるから。
感じたことを素直に言葉にできる天真爛漫な天使のような子だったらいいな。誰にでも愛されて何もかも許されてしまう特別な子。
私は心の中に天使のような子を召喚することにした。理不尽なことに腹を立て、陰口に涙し、嫌な相手に食ってかかる姿を瞼の裏に映す。それだけでお腹を抱えて笑い出したくなるくらい晴れやかな気持ちになるんだ。私の感情で最高で最愛の味方。
とてもとてもすてきでしょう?
【題:ココロオドル】
真っ白なキャンバスに絵の具を絞り出してそれを刷毛で引き伸ばした感じ。
すべての信号が赤で、人も車も1つもない。等間隔に並んだまま微動だにしない空間がずっと続いている。前にも後ろにも左右のどこをみても同じ。あるのにないんだ。
私は大きな通りのスクランブル交差点のど真ん中に立っている。いくら周りを見渡しても変わらない景色の中にいる。不思議とその場から動けない、というより動かない。動いてしまったらどうなるかわからないのに分かる。変な予感とかじゃなくてそう決まっているのだ。赤信号では動いてはいけないのと同じ、そういうことだ。
そうやってると一つ目の化け物がやってくる。周りの建物や信号を食い散らかしながらこちらに向かって進んでくる。そして私の前まできて言うんだ。
『 、 ?』
バキン、と乾いた音がして気がつく。みると刷毛の持ち手部分が折れてしまっていた。安物のチャチな作りだから私の力でも折れてしまうのだろうか。
キャンバスは三脚ごと倒れて床に転がっている。それを追いかけて刷毛を走らせ、ついには盛大に床にはみ出して絵の具まみれになっていた。
「…寝ぼけたか」
キャンバスと目が合った。目が合ったんだ。
それくらい私は疲れている、そういうことにしておこう。
【題:束の間の休息】
カラン、と涼しげな音をたてて氷が溶けていく。暦の上ならもう秋のはずなのにまだアイスティーが飲みたくなる気温が続いている。
レトロモダンとでもいうのだろうか、ステンドグラスの窓やランプシェードが可愛らしい。窓辺に飾られている砂時計や小さな花瓶もすべてが私好みだ。
机を挟んだ正面でニコニコと笑いながら日常のくだらないことを嬉しそうに話している、私の恋人。
初めて他人に好きだと言われていい気になってしまった。好きとも嫌いとも思っていないのに恋人になった。
失礼だと、はやく別れたほうがいいと、ずっと思っている。だけど別れる理由がなくてズルズルと続いていた。
私の好みに合わせてくれる。上手く話せなくても笑わずに聞いてくれる。無愛想な私を心底愛おしそうに見つめてくる。些細なことだけど、それが嬉しくてたまらない。
――恋してみたい、恋してみたいの
氷はもう溶けきって、アイスティーも温くなった。店内が少し薄暗くなってきて照明がキラキラと輝きだす。すっかり短くなった日に秋の訪れを感じる。
居心地のいいこの時間が好きだ。燃えるような夏よりもずっと好きなんだ。
【題:たそがれ】
―――あなたでよかった、あなたでよかったの
これはたぶんトゥルーエンドなのかもしれない。この前はもっと悲惨だったし、その前はとても平和だった。
この光景もなかなかに悲惨ではあるが最小限の被害で済んだから結果オーライ。この物語にはみんなが幸せになれるルートは存在しない。誰を救うのか、切り捨てるのか、選択を迫られるのだ。
この物語の主人公は母と娘の2人。生まれてすぐ攫われた娘を探し出すのが母の役目で、娘は攫った犯人と実母のどちらかを選ぶのが役目。信頼関係も家族としての情も何もかもがゼロかマイナスからはじまる。
1つの選択で、悪を滅ぼし大団円となるか、母娘で殺し合うか、周りを巻き込んで破滅するか。他にもあるけどどのエンディングも誰かの犠牲の上に成り立っている。
今回は母が娘を殺し、必ず悪を滅ぼすことを決意するエンディングだった。血まみれの母娘と何も言えない周りの人、居心地の悪い静けさだけが部屋を満たしていた。
――そうだね、ヒロインはその娘でよかった
だって、また私が殺されたら嫌だからね
「ごめんね、お姉ちゃん」
代わりに死んでくれてありがとう、なんて言えないよ。
【題:静寂に包まれた部屋】
彼女曰く、何も特別なことはないらしい。
俺らからしたら特別で、初めから全てを持っている人生イージーモードの主人公のようにしかみえない。それが幸せかどうかはわからないが恵まれていることに変わりはない。もちろん羨ましくはあるが、同時に憐れみも感じる。
本人が望んだわけでもないのに注目され期待を押しつけられる生き方なんて、俺はごめんだ。
「私はね、偶然っていう運命に選ばれただけなんだよ。そのときその場所にいてたまたま素養があっただけ。別に、私じゃなくてもよかったってこと」
笑っているのに笑っていない。穏やかで、優しくて、どこか影のあるその表情は恐ろしかった。
生まれ持った才能に人生を狂わされているようで、選択肢なんてものは最初から存在せずそれこそ運命としか言いようがないほど真っ直ぐゴールへと繋がっている。そのゴールが彼女にとっての地獄であってもそこへしか進めない。
「私はあなたが羨ましい」
眼下に広がる灯りの海を背に、彼女は笑う。泣いているようにもみえたからその頬に触れようと近づいた。手を伸ばせば届く距離だった。でも俺よりもはやく手を突き出した彼女のせいでもう二度と埋まらない距離ができてしまった。
人工の光の中に落ちていく彼女と地面に座りこんだままの俺。世間に必要とされる彼女との差が縮まって、また追いつけないほど深いところまで落ちていってしまった。
―――どうして、彼女だったんだ
【題:夜景】