シシー

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9/6/2024, 6:32:09 PM

 私はパズルを組み立てている。
完成図もなければ、絵や柄もないまっさらなパズルだ。ピースの大きさや形も不揃いな上に必要な個数もわからない。
 〝私〟という人間の一生をかけたパズルだ。

 1日が終わるたびに少しだけ世界が広がり、そのどこかにピースがある。きれいな色だったり濁っていたりその日を表したような色形でみつけるのに苦労する。感情が色であれば出来事は形として表れ、大きさは充実度を示す。
 最初ははめ込むのも簡単だったのに広がりすぎたパズルはあるべき場所を探すのも大変になってしまった。不思議なことに過去のピースほど色褪せて、あるのかないのかわからないくらい透明になっている。触ればあるのはわかるから消えてはいない。

 ついに終わりがみえてきたとき、大事なことに気がついた。パズルの全体図がなんとなく予想できてしまったときから覚悟はしていた。私にとって1番大切なものだったと今になって気づいたのだ。
 赤く、燃えるように鮮烈で、温かくも冷たいそれ。
このパズルは完成しないまま終わるだろう。大切なものを得られないまま死んでいく私のように、白く褪せていつか無色透明になって吹き飛んでいく。

 真上からみたパズルは〝私〟だった。
心臓があるはずの位置にはピースがない。欠けてしまったのか元からなかったのか、探すのを諦めてしまったのか。
 きっとそこには真っ赤なハート型のピースがあったはずなんだ。命をつなぐ象徴をかたどったものがあったはずなんだ。

 パズルが端から燃えていく。ここも時間の問題だ。
 私の時は終わったのだとわかるんだ。
 悲しくはない、後悔はない。
 完成しないことが正解だったのかもしれないな。



              【題:時を告げる】

8/27/2024, 10:24:28 PM

 いつか
 いつか私がだめになったとき
 あなたは助けてくれるだろうか

 そんな淡い期待は数年前に砕かれて、結局誰からも助けてもらえず全てを失った。いや。正確には私が遠ざけてしまってそのまま縁が切れただけだったはず。
特に惜しむことはないけれど、あの時期のことはあまり記憶がない。人生のどん底とはああいうものだったんだという認識だけ残っている。私にはそれがあまりにも心地よかった。

 縁が切れてしまったのは悲しかったけど安堵したのも事実だ。仲良くはしていたけど友だちでもない人たちに囲まれて過ごすのは苦しかった。そんなだから信頼関係なんてものはなく、私がいないところでバカにしていたのには気づいていた。そんなことはどうでもよかった。それだけで関係を保てるなら安いものだ。
 なんてことはなく、積もり積もった透明なストレスが私の首を絞めた。雨の日は窓を開けた、ベランダに出た、深夜にこっそり散歩した。傘なんて差さず濡れながら時間が過ぎるのを待っていた。

 私がだめになったところで代わりはいくらでもいる。
助けなんてこない。我慢してもしなくても陰口はやまない。雨に打たれてどれだけ洗い流しても消えやしない。


 ―私という存在は雨に溶けることすら許されないんだ




               【題:雨に佇む】

8/19/2024, 9:42:57 PM

 どれだけ高く飛んだって誰もみてはいない。
なのにあの子はいつも人に囲まれて称賛を浴びている。にこにこと愛想のいい笑顔で、人懐っこい態度で、軽快な口調で相手を楽しませる言葉を吐く。
わかっていたことだ。いつもどんな状況でも愛嬌のある子が可愛がられるのだ。中途半端に役立つだけの道具より愛着のある宝物の方が大事にされる。

 毎日それを思い出す。耐えて耐えて、耐えられなくなったときその輪を離れて雨の降る場所へ逃げた。
ほんの少しの善意とどうしようもなく膨らんだ嫉妬と嫌悪感を洗い流すために、逃げる。あの子をみていると劣等感に押しつぶされてしまう。私が私ではいられなくなる気がする。
 ザアザアと降り続ける雨の中を歩く。ふくらはぎ中程の浅い小川に足を浸す。雨が打ちつける音が地面のときよりもっと水気を含んだものになる。それが雨だけのせいだったならこんなに苦しくはないのだろう。
息苦しい。水面に映って揺れる自分の顔の酷い様。こんなときですら声も出せず唇をかみ続けることしかできない。

 そして、期待してしまっている。バカげた妄想だと笑ってしまえたらよかったのに、毎回そうなんだ。
優しいあの子が私を迎えにくる。傘もささずに濡れながら屋根のある場所へ連れていってくれる。
その優しさすら私を苦しめる毒にしかならないのに、私はその手を離せない。苦しいけど嬉しいのだ。誰にもみてもらえない私をあの子だけはみてくれるから。

 だから、雨が好き

                【題:空模様】

8/15/2024, 10:46:40 AM

「本当に人間は勝手なんだから」

「あー、はは。なんかごめんね」

 真っ黒な海を月が照らす。打ちよせる波が月光を反射しては消えて、また光る。なんてことのない夜の海だった。
その中で異質なのが彼女だ。正直、彼女と呼んでいいのかも分からない未知の存在である。

「あの人はわたしのこと忘れちゃったのかな」

 潮焼け知らずの髪と肌は真っ白で、月の光を浴びて一層輝いてみえる。すらりとした上体は人間の女性であるが、問題はその下。人間ならば脚があるはずのそこは鱗に覆われた魚の尾であった。
 ひらひらと金魚のような大きなヒレが華やかだ。水面を打って飛び散る雫がまるで彼女を引き立てる宝石のようで、つい見入ってしまう。

「毎日欠かさずわたしのところに来てくれたんだよ」

 キャッキャと女子高生のようにはしゃぐ姿は可愛らしいが、なんとも人間臭い。もっとこう、童話に出てくるような人間とのズレや伝説のような恐ろしさがあると思っていたのに。

「ねえ、聞いてるの」

 もちろん聞いている。毎晩同じ話をされていい加減聞き飽きてはいるけども。
よくもそんなに語れるものだ。もう何十年も前のことを、とっくに終わってしまった恋心を、何もかも知っているはずなのにどうして。

「じいちゃんが好きだったんだね」

「ちがうよ。『だった』じゃなくて好きなの」

 今でもね、と。俺の目を覗き込んで微笑んだ。
何かを探るように、懐かしむように。俺を通して別の人間をみている。

「俺なら…、いや、何もない」


―――人魚の目をみるな、魅入られるぞ


 じいちゃんの言葉が頭によぎる。月の明るい夜、海に面した窓や戸を閉め切って誰一人外をみることも出ることも許さなかった。
 今になってわかる。あの言葉は本当だった。
もう俺は魅入られてしまった。人間に恋をした人魚に魅入られている。ずっと、ずっと。


                【題:夜の海】

8/14/2024, 10:15:56 AM

 急勾配な坂を下る。
 ペダルから足を離してハンドルだけを強く握りしめる。
 カラカラと音をたてて忙しなくタイヤが回る。
 はやくなる、はやくなっていく。
 信号が点滅しているのが視界の端に映る。
 耳の奥で拍動音がうるさい。
 ブレーキは握らない。
 ペタルは踏まない。
 このままでいいの。

 ――― このまま、

             【題:自転車に乗って】

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