幼い頃、息を弾ませて他の誰でもない私の方へ駆けてくる幼馴染のことがとても好きだった。
一つ年下の彼はいつも「おねえちゃん、おねえちゃん」と呼んできれいな花や石、お気に入りのおもちゃなどをプレゼントしてくれた。丸くぷっくりとした頬を真っ赤にしてコロコロと転がるように駆けよってくる姿がとてもかわいらしい。
あれから数年、中学校の卒業式で彼から小さな青い花の花束をもらった。所々に同じ形の白い花も散りばめられていて流行り物に疎い彼なりにがんばって選んでくれたんだなとわかって嬉しかった。
「これね、幼馴染がくれたの。かわいいでしょ」
親友に花束をみせて自慢した。きっと、かわいいとか幼馴染にしてはセンスがいいねとか、そういう感想が返ってくるだろうと思っていた。
「幼馴染くんがかわいそうでしょ。家帰ったらその花のこと調べときな」
親友は心底呆れたような顔をしながら花の名前を教えてくれた。ついでに保存方法なんかも細かく伝授され、大切にしなさいと念を押された。
写真撮影やら挨拶やらを終えて帰路につく。幼馴染は先に帰されてしまったから久しぶりに一人だ。
花束を掲げて空を仰ぐ。よく晴れた空の青とふわふわとした雲のようだ。
――そういえば今日は昔のように真っ赤な顔をしてたな
幼馴染は何を想ってこの花を選んだんだろう。口下手なのは知っているけど、こんなにも遠回しな伝え方をするなんて思ってなかった。
本当はこの花も花言葉も知ってるよ。でもね、直接聞きたかったんだ。
「やっぱり、かわいそうなことしちゃったかな」
【題:勿忘草(わすれなぐさ)】
息を吸って冬の冷たい空気を肺に取り込み、ぬるくなった白い息を吐き出す。寒さがより身に沁みて微睡んでいた頭が少しずつ覚醒していく、この感覚が好きだ。
ポットに水を入れて沸かし、冷えきった白湯だった水を捨ててコップを洗う。正直、白湯とか水とかの区別はよくわかっていないから飲み頃温度の水のことを勝手に白湯と呼んでいる。
だから冷えきった水も沸騰したお湯も飲み頃にさえなればそれはもう私の中では白湯だ。
決まった時間に音楽が流れる仕掛け時計が朝の歌をうたう。タイトルはわからないけれどゆったりとした動揺のメロディは心地いい。憂鬱な朝のほんのひと時の癒やしだ。
「これがあなたにも聴こえたらいいのにね」
小さな写真立ての中に白黒の写真が収まっている。その隣を指人形や鈴のついたおもちゃが賑やかし、一輪挿しの花瓶にさした赤いアネモネが彩りを添える。
一度たりとも見せることも触れさせることもできなかったそれらは、それでも静かに寄り添ってくれている。
あなたがいるところまで届けたい。
あなたのためにも、それらのためにも。
「喜んでくれたらいいな」
【題:あなたに届けたい】
『あなたのため』
その手を振り上げるのも、
その口から出てくる言葉も、
他の兄弟たちとはちがう態度も、
他の人たちに向けるものとはちがう笑顔も、
不出来な自分を正すために必要なことだった
優しい家族、家族の優しさ
なんだかザラザラしてて上手く飲み込めない
そっか、私が悪いんだ
ごめんなさい
生まれてしまってごめんなさい
【題:優しさ】
ある男が尋ねた。
「鉛の王冠を知らないかい」
それは誰でも知っている有名なおとぎ話のタイトルだった。絵本や小説など創作物の題材としてもよく取り上げられるほどで、知らない者などいないだろう。
「あれはね、実話なんだよ」
そんな訳がない。何かモデルになるようなことはあったとしても、子どもでも楽しめるようなファンタジー溢れる内容のものが実話とは到底思えない。
変な奴に絡まれたな、と考えていたら顔に出てしまっていたのだろう。男は軽く会釈をして去っていった。
―――『鉛の王冠』、ね
その昔、不思議な力をもつ王冠があった。
王冠は所有するものを自ら選び、そのものに権能を与えた。
木の王冠は癒やしの権能を、
水の王冠は豊かさの権能を、
光の王冠は安寧の権能を、など様々だった。
様々な力をもつ王冠は所有するものを絶対的な王として国をつくり民を増やし繁栄させた。
その中で最強といわれたのが『鉛の王冠』だ。
所有するものに確実な勝利とそれを実現する武力を与える権能で、国や民を危機から救うための力だった。
しかし豊かであることに余裕を見出し平和に慣れきった人々はさらなる発展と娯楽を求めた。
その結果、戦争がはじまったのである。
世界が荒み、その度に王冠が新たな所有者を選び回復し、また争う。何度も繰り返す内にいくつもの王冠が奪われ破壊され消えていった。
そして人々は確実な勝利を手にしようと『鉛の王冠』を奪いあった。だが所有者のいない王冠では意味がない。
無意味な争いばかり起こっていた。権能を与えない王冠に用はないと人々に忘れ去られた頃、ある王国についに所有者となるものが現れた。
若い娘だった。艷やかな黒髪が美しいと評判の少女だ。
旅の途中だといったその少女が王国にやってきたとき、王冠が所有者を定めたのだ。
王は喜び、さっそく少女を次の王とした。そして無知な少女を唆し近隣諸国を攻めた。呆気なく勝利を収め、強国も打ち倒し、残るは当時最強と謳われた帝国のみ。
勝利したのは、帝国だった。
少女は帝国から追放された皇女だった。逃げのびた先で他国の王となったもののその身は帝国のもの。
帝国は少女を城の奥深くに幽閉し、世界のすべてを武力もって制覇した。
それを嘆いた他の王冠の所有者たちは力を合わせて少女を処刑し、『鉛の王冠』を封印した。
処刑に使用されたのはある王冠の権能で作られた致死性の高い毒薬、封印したのは複数の王冠の権能をかけ合わせた力。そしてそれらの王冠を勝利に導いたのは『鉛の王冠』だった。
現在世界に残っている王冠は封印された『鉛の王冠』のみ。その封印が解けたとき止められるものはどこにもいない。
一時の安心といつか訪れる不安は、『鉛の王冠』が実話であるとしっている者にしか理解できないだろう。
【題:安心と不安】
外観だけは美しいお城とその周りを囲む深い堀。朱塗りの橋を渡ると昼間でも薄暗い林道が続き、ようやく抜けたと思えば高く積まれた石垣の上だった。
誰に追いかけられるでもなく、不自然な風に煽られるわけでもなく。高いところに立ったときのふわふわとした感覚と下を覗き込むときの何かに魅入られたような気持ちだけがある。
ここから落ちたら死ぬという確信
こんなことを言ったら不謹慎だけど、心から安堵した。
どんなことにも終わりがあってそれを迎える場所があるのだとわかった。
たったそれだけのこと。それだけの夢。
【題:こんな夢を見た】