人間、最初になくなるのは「聴覚に残された記憶」なのに、音楽はしばしば記憶を蘇らせるのは、よくできてるなと思う。
たとえ声を忘れても、その人と過ごした時間の温度や、交わした言葉の余韻は、心のどこかに残り続けるのかもしれない。
例えば、昔よく聴いていた曲がふと流れてきたとき、もう思い出せなくなったはずの声や情景が鮮やかに蘇ることがある。何を話していたかは思い出せなくても、そのときの空気や感情は確かにそこにある。
人は忘れる生き物だけど、大切なものは思いがけない形でふと戻ってくる。声を忘れても、心のどこかで「君の声がする」と感じる瞬間があるのは、なんだか不思議で、少しだけ救われる気がする。
-君の声がする-
いろんなものが終わって行って、勝手に時が過ぎ去ってゆく。
手放すものが増えて、思い出も増えて、
否定的でもなく肯定的でもない、ただ名前のない感情と共に生きる。
永遠なんてない、だからちゃんと悲しもう。
惜しむことで、愛を証明しよう。
-そっと伝えたい-
私たちは今、未来の思い出の中を生きている。
いつか今日という日を思い出して、全てが良い思い出だと笑って欲しい。
今日がどんなに辛くても、苦しくても、あの時の私は上出来だったと褒めて欲しい。
しょうもない日常も、味気ない日々も、思い出になった途端に愛おしくなったりするものだ、とおばあちゃんが言っていた。
未来の私が振り返るための"今"が必要だ。
今日を生きるのは、未来の記憶の中で、私がどうしようもなく生きていた証が欲しいからだ。
今日を生きるのは、未来なんてなくても、不確定な明日という日が来たからだ。
おはよう。
-未来の記憶-
ひとり旅が好き。
ただ気の向くままに、迷うという最高の自由を謳歌できる。
寂しくないのかと聞かれたら、時々、少しだけ寂しい。
でもそれより、見知らぬ土地で魂が解放されるあの感覚が、どの道も駅の名前も知らないワクワクがたまらないのだ。
帰る場所があるから、どこまでだって行けるような、大きな気持ちになる。
迷ったら、呼吸をして、好きな方へ。
またここに来よう、そう思える場所がひとつ増えたら、それでその旅はもうけもの。
そうして旅を通して見つけた"心が帰りたくなる場所"は、第n個目の家となり、後に乾いた心のオアシスとなる。
-ココロ-
明けない夜はない、とよく聞くが、明けないのではないかと思うほどの長い夜と、明けて欲しくないと思うほどの短い夜は存在する。
同じ夜でも焦げパンとジャムパンくらいの違いはある。
私は大切な人を想う時、明けないでほしいと思う夜が増えますようにと願うことがある。
大人の醍醐味は大抵の出来事を忘れずに覚えておけることだ。
だからこそ、忘れられない瞬間が、記憶にしか収められない瞬間がありますようにと願う。
そんな瞬間が、長く苦しい夜を救う時があるからだ。
しかしまあ、焦げパンにジャムを塗って、泣きながら食べる時も、まあそれも人生。
-静かな夜明け-