またね、と言うには遠く
じゃあね、と言うには近い
でも、これからの人生でまた交わることがあるだろうと、そう確信している縁はいくつかあって。
それは数日後かもしれないし、数年後が、数十年後か、もしかしたらもう今世では会えないかもしれないけれど、そうであっても、心の中にその人がずっと居て、この気持ちは物理的な距離に左右されない。
そういう縁を人は運命と呼び、そういう出会いを宿命と呼ぶのではないだろうか。
人生とは、きっと、半分も記憶にない過去と、朝起きたら始まる今日のことだ。
その範囲の中で、ああこの人は運命だったと、出会わなければならない宿命だったと思える人がいるのなら、その人生は儲け物なのではないだろうか。
では、
-またね-
始まりと、終わり。
出会いと、別れ。
くるくると回りながら、縁は人生を一周する。
運命と、宿命。
偶然と、必然。
強く結ばれる縁は、何回転後かにまた私の隙間へ。
一度きりの人生の中で、何度もハマるもの。
それに出会えるかは、準備と機会が揃った時。
n回目の回転で、ピタッとハマる時、それは紛れもない
-タイミング-
大好きな想い人が、付き合った。
案外平気、喜べないけど。
今日は十日夜。危なく満月になるところだった。
満月に2人が付き合ったら私、抗いようがないもの。
それって完全に運命でしょ?
危ない危ない。
待ちたいし、待ってて良いかどうかは分からないけど、だけど、待たなくても良いかな。
私もう、自由になりたい。
どこにも行っていないと、何の文字も浮かばないわけで。
家に篭っていると、世界が小さくなるわけで。
世界に触れて初めて、思考と文字が結びつく。
インドアでありながら、言葉を紡ぐためにアウトドアなわけである。
最近はもっぱらあの彼女の話ばかり。
好きだったと認めたら、嫌いになれなくなった。
2人の関係の中で、どちらか一方だけが悪者、なんてことはありえない。
わかってはいるけど、悪者になってはくれないだろうか。
せめて、誰がどう見ても彼女が圧倒的に悪者で、そのくらい酷いことを私にすればよかったのだ。
もっとあからさまに私を傷つけて、全部彼女が悪いと言い切れるくらい、悪を振り翳して欲しかった。
1日ずつ、少しずつ蝕まれて、気づいた時にはもう遅かった。
そんな最後だった。
好きだった。わかってる。
許したかった。わかってる。
でも、あれ以上一緒にいられなかった。
あれ以上、嫌いになりたくなかった。
心が傷ついた時も、血が出れば良いのに。
泣くこともできなかった。
-好きになれない、嫌いになれない-