いつも必死に、見て見ぬフリをしている何かがある。
歩みを止めたら追い付かれそうな、振り向いたら呑み込まれてしまいそうな。そんな、得体の知れない何かが。
追い付かれないように、脚がもつれても走り続ける。
呑み込まれないように、俯きながらでも前を目指し続ける。
決して離れることの無い影に過去を隠しながら、光の差す未来を思い描きながら。
どちらが悪かったなんて話ではないけれど、どちらかが謝って簡単に済んでしまうような気持ちなら、きっと私たちは互いを傷付けてなんかいない。
貴方が私をこの上無く大切にしてくれていること、本当はちゃんと解っている。
それでも貴方を傷付けてしまったのは、貴方のその優しさがどうしようもなく私を傷付けていたのだと伝えたかったから。
全部全部、私の我儘だって解っている。
それでもこのたった一言を躊躇ってしまうのは、ただ意固地になっているからじゃない。
謝ってしまったら、優しい貴方はきっと赦してしまうから。
貴方を傷付けた酷い私を、どうか赦さないで欲しいから。
袖から覗くその白く細い腕に手を伸ばして。
伝う汗のひとつひとつに舌を這わせて。
吸い付くような軟い肌に幾つも赤い花を咲かせて。
他の誰にも見せられないような、僕の独占欲に塗れた君にしたいと喉を鳴らしてしまうのは。
きっと夏の暑さに浮かされたせい。
喩え死後に逝き着く先が、天国だろうと地獄だろうと。
現世に生きる今だけが全て。
ずっと、降り止まなければ良い。
鼻を突く雨の匂い。吸う息は湿気で重苦しい。顔に髪が張り付く。服が水を吸って重くなる。肌を伝い、生ぬるくなった雨特有の不快感に全身を包まれる。
それでも、足取りは決して重くない。
世界を満たす雨音は心地良く、耳障りなものを消し去ってくれる。視界を暈かし、見たくないものを遮ってくれる。
私の声は届かなくて良い。
雨音が消し去ってくれるから。
私の傷に誰も気付かなくて良い。
血も涙も、雨が流し去ってくれるから。
私の醜悪な心に、誰も気付かなければ良い。
流し落とせない私の醜さを覆い隠す為に、ずっと雨が止まなければ良い。