「君にお願いがある。
もしこの世界が終わるなら
僕は君と一緒にその瞬間が見たい」
私が彼にそんな事を言われたのは、彼の恒例の天体観測に付き合った、寒い冬の晩だった。三日月の仄かな明かりと星々が輝く星月夜の晩。
最新の望遠鏡の調子を見ていた彼は、望遠鏡の焦点を定めると、ふいに、椅子を寄せて隣に座っていた私を真剣な眼差しで見つめてきてそう言った。
私は、婚約者の真剣な表情に高鳴る鼓動も熱くなっていく頬も知らぬふり、小首をかしげてみせる。
「この世界が滅ぶのなんて、ずっとずっと未来の話じゃない?
私もあなたも生きていないわ」
「いや、判らないよ?
巨大な隕石が落ちてきたら、今の文明はひとたまりもない。下手したらそれでこの星は終わるかもしれない――――というのは冗談だけど。
もしも、の話だよ」
彼は真剣な顔を破顔させ、もしもそうなったら、と念押しのように言った。そして、だめ? と眉を下げてくる。
私は、彼のその表情に弱い。
きゅう、となった心臓に、どこまで彼は計算づくなのかと愛しさ半分少し憎たらしくも思いつつ、タイミングが合えば、と可愛くない返事をした。
「もし、その時一緒にいたら、一緒に見るわ」
その私の済ました言い分に、そんなこと! と彼はさも当たり前のようにこう言う。
「居なかったときは君を捜すよ。
じゃあ、手を繋いで一緒に見ようね?」
そう言って自信満々に差し出してくる小指に、私は、強がるのをやめて小指を絡めた。だいたい、強がっても彼の前には無力なのだった。だって大好きな大好きなひとだから。
だからさっきから熱い頬のまま、にっこり微笑んでこう返す。
「私もあなたを捜すわ!
手を繋いで一緒に。約束よ?」
そう言って絡めた小指を軽く握り込めば、息を呑んだ音のついで、彼も強く小指を握り返してくる。
瞑っていた目を開けると、とびきりの笑顔に迎えられた。
『約束!』
二人して額を擦りつけあい、クスクスと笑いあう。
そうして始まった天体観測の最中、私は彼と同じ星々を望遠鏡で観測して、ミルクティーを飲みながらこんなことを考えていた。
この世界の滅びなんて大層なものでなくとも、人一人の世界の終わりは死だろう。
ならばさっきの約束は、どちらかの死の瞬間、手を繋いで一緒にいてほしいと言われたに等しいのではないか。
その考えは、すでに貰っているプロポーズをもう一度貰ったかのようで、私の心臓をずっと高鳴らせている。
ドロップスの缶をお皿にザラザラと開けると、色とりどりのドロップが流れ出てくる。私はその中からイチゴ味のドロップをひとつまみ。
残りを缶の中に戻した。
ドロップスの食べ方は、おみくじ気分で一粒ずつ出すやり方が定番だと思う。
でも私はお皿に全部ぶちまけるやり方が好きだ。好きな味とそうでもない味を舐める時期が自分で決められるから。
因みに今日は缶の初開封日だったので、2番目に好きなイチゴ味。口に入れると甘酸っぱいイチゴの香りが広がる。
明日はハッカを片付けてしまおうかな。
いつも食べ終わりの最後は、1番大好きなオレンジ味と決めているのだ。
都会の喧騒を縫って、真っ黒な夜空にちらりほらりと舞うものがあった。
それは会社の帰り、あまりの寒さに思わず上を見て見つけた冬の使者。
(明日電車遅れないかな~)
なんて、夢見がちなことを考えてすぐに現実に戻る。雪国の交通網は、バス以外強い。こんな程度じゃ通常運転だろう。
でも、明日は念のため少し早めに出勤しておこうかな。
(面倒くさい)
雪が降って、道路が滑りやすくなって時々電車も遅れて雪掻きもする、冬が始まる。
もしも世界が終わるとしたら、なんて、突拍子もない事を考えた。それは恒例の天体観測の最中だった。
世界の終わる瞬間僕は何をしているだろうか。その現象を観測しているだろうか、と思った。
世界が終わる、この星の終わりはなんの現象で終わって、滅んでいくのか。ただ観測して観察していると思った。
自分が死ぬ、その時まで。
(その時、願わくば隣には君がいて欲しい)
思ってしまって、星空の下少し苦笑。
本当はこの天体観測にもいて欲しいとも思う。思っている。
世界の終わりか毎日の天体観測か、どちらにしろ身勝手な願いに、明日、彼女に尋ねてみようかと思い立った。お願いの呈を取ったら叶うのではないかと、密かに胸を踊らせる。
彼女のことだから、少し呆れて、でも最後には笑って付き合ってくれるだろう。
明日の台詞を胸の中にしまって、僕は天体観測を再開した。
(君にお願いがあるんだ。
僕は、君と一緒に――――)
夜半から降り続いていた雪は、朝にはすっかり晴れてカーテンから漏れる朝日が眩しい程だった。
キン、と澄み切った空気を吸い込むと、肺が少し痛い。急いで暖房のスイッチを入れ、思いっきりカーテンを開けると、さんさんと降りそそぐ陽の光に案の定、結露が輝いていて憂鬱な気分になる。
(また拭き掃除…)
晴れ渡った空の青さが実に憎々しい。
どんなに晴れていても洗濯物が外に干せるでなし。
冬晴れは、結露との戦いという意味で中々喜べない――――日中暖房代が浮くのは嬉しいが。
(ほっといてカビるのもヤだし)
朝のひと手間、私は、急いで乾いた布で窓を拭きにかかった。