ドロップスの缶をお皿にザラザラと開けると、色とりどりのドロップが流れ出てくる。私はその中からイチゴ味のドロップをひとつまみ。
残りを缶の中に戻した。
ドロップスの食べ方は、おみくじ気分で一粒ずつ出すやり方が定番だと思う。
でも私はお皿に全部ぶちまけるやり方が好きだ。好きな味とそうでもない味を舐める時期が自分で決められるから。
因みに今日は缶の初開封日だったので、2番目に好きなイチゴ味。口に入れると甘酸っぱいイチゴの香りが広がる。
明日はハッカを片付けてしまおうかな。
いつも食べ終わりの最後は、1番大好きなオレンジ味と決めているのだ。
都会の喧騒を縫って、真っ黒な夜空にちらりほらりと舞うものがあった。
それは会社の帰り、あまりの寒さに思わず上を見て見つけた冬の使者。
(明日電車遅れないかな~)
なんて、夢見がちなことを考えてすぐに現実に戻る。雪国の交通網は、バス以外強い。こんな程度じゃ通常運転だろう。
でも、明日は念のため少し早めに出勤しておこうかな。
(面倒くさい)
雪が降って、道路が滑りやすくなって時々電車も遅れて雪掻きもする、冬が始まる。
もしも世界が終わるとしたら、なんて、突拍子もない事を考えた。それは恒例の天体観測の最中だった。
世界の終わる瞬間僕は何をしているだろうか。その現象を観測しているだろうか、と思った。
世界が終わる、この星の終わりはなんの現象で終わって、滅んでいくのか。ただ観測して観察していると思った。
自分が死ぬ、その時まで。
(その時、願わくば隣には君がいて欲しい)
思ってしまって、星空の下少し苦笑。
本当はこの天体観測にもいて欲しいとも思う。思っている。
世界の終わりか毎日の天体観測か、どちらにしろ身勝手な願いに、明日、彼女に尋ねてみようかと思い立った。お願いの呈を取ったら叶うのではないかと、密かに胸を踊らせる。
彼女のことだから、少し呆れて、でも最後には笑って付き合ってくれるだろう。
明日の台詞を胸の中にしまって、僕は天体観測を再開した。
(君にお願いがあるんだ。
僕は、君と一緒に――――)
夜半から降り続いていた雪は、朝にはすっかり晴れてカーテンから漏れる朝日が眩しい程だった。
キン、と澄み切った空気を吸い込むと、肺が少し痛い。急いで暖房のスイッチを入れ、思いっきりカーテンを開けると、さんさんと降りそそぐ陽の光に案の定、結露が輝いていて憂鬱な気分になる。
(また拭き掃除…)
晴れ渡った空の青さが実に憎々しい。
どんなに晴れていても洗濯物が外に干せるでなし。
冬晴れは、結露との戦いという意味で中々喜べない――――日中暖房代が浮くのは嬉しいが。
(ほっといてカビるのもヤだし)
朝のひと手間、私は、急いで乾いた布で窓を拭きにかかった。
「"幸せとは"……」
駅前のポスターにあった一言が目について、私は思わず脚を止めてしまった。
こんな、異国で戦争が起こってるようなご時世、帰る場所があって食べ物にも困らず温かくて安心できる場所で眠れる事、なんて一瞬考えてしまったけど、それだけで本当の幸せと言えるのか。立ち止まったままその言葉を、じい、と見つめてしまう。
(ほんとうの幸い…)
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』はそれをどこまでも探し求める物語だったか。答えは――――結局自己犠牲ではなくて明確なところは示されない話ということだったと思った。大学の授業ではそんなような結論だった。確か。
(幸せ…)
そんな御大層な"ほんとうの幸い"じゃなくて、自分のことで考えてみると、友達ももっと欲しいしもっとお給料も欲しいし上司にも恵まれたいしで際限なく欲しい物が増えてゆく事に苦笑いがこみ上げてくる。
私はまた駅前の雑踏の中を歩き始めた。
とりあえず、家庭、仕事場、趣味の場所。どこかに居場所があることは恵まれている、とは思いながら。