『花束』
花に興味はないけれど、ブーケのような小さな花束をもらった時、なんだか心がホワッと温かくなって笑顔が綻んだ。
花に興味はないはずなのに、自分の手元にあると愛おしさが込み上げてくる。
これは、花が持つ不思議な魔力というやつの仕業なのか。
可憐な花や艶やかな花、それぞれが輝きを放つ花束をもらって嬉しくない人なんているのだろうか。
花束をもらったらとても嬉しい。
なのに、残念なことがひとつ・・・
私は『火の手』を持っているからか、必ず枯らしてしまう。
どんなに手をかけても(かけるからか?)、日ごとに花の色が褪せていってしまう。
悲しくなってしまうが、やっぱり一輪だけでも小さくても、花があるだけで部屋の雰囲気はガラリと明るくなるから、飾りたい。
だからもし、いつかまた花束をもらう時がきたら、『水の手』を持つ妹か姉の旦那に上手な育て方を教えてもらおう。
そして私もいつか、誰かに送りたいな。
愛を込めて花束を。
『どこにも書けないこと』
自分を抑えつけてまで守りたい平和なんてないわ。
『時計の針』
「うっそ、まだこれしか時間経ってないの?あ~早く仕事終わんないかな~」
「え!?もうこんなに時間経ってたの!?やっば!まだ一緒にいたいのになぁ」
「マジかよ・・・この時計、時間ずれてんじゃん。」
皆、『時間』を気にするけれど、その時間を確かめるために絶対に欠かせない存在が『針』なんだ。
普段は空気のように気にされない存在だけど、実は人間を突き動かすための絶対的存在。
デジタル時計よりもアナログ時計の方が好きって人は、その理由を、時計の針によって時間が『見える化』しやすいからだって言う。
針がどの方向を向いているかで、自分の行動指針が決まる。
ちな、私もアナログ派です。
『kiss』
息を乱しながらお互いを求め合う情熱的なkissも
吐息交じりのしっとりとしたkissも
距離感をつかめず勢い余って歯をぶつけてしまったkissも
啄むようなカワイイkissも
みんな好き。
だけど一番好きなのは、
カサついたままの冷たい唇を静かに重ねるkiss。
重ねたまま、2人とも動かない。
そうすると、やがてじんわりと唇に熱がこもって、だんだん潤ってくるの。
あぁ、私たち生きてるねって。
唇を合わせたまま、お互いに見つめ合って微笑む。
もう遥か昔のことだけど、好きなkissの感触ってやっぱり忘れられないよね。
『1000年先も』
ちなみに、今から1000年前は平安時代だった。
相手に想いを伝えるときは歌を詠んで、自己アピールにはお香を炊く。移動は牛車。
紫式部の代表作『源氏物語』の世界が現実だった時代だ。
私は、希代のプレイボーイである光源氏が主人公の『あさきゆめみし』というマンガが大好きだった。
そんな平安時代の人たちは、
「1000年先はどんな時代なのだろう」
などと、夜空を見上げながら思いを馳せることはあったのだろうか。
愛する相手に
「1000年先も共にいましょう」
などと、光源氏のように甘く囁いたりしていたのだろうか。
『1000年先も』という本題から逸れてしまったが、1000年前が平安時代だと知ったとき、正直
「えっ?たった1000年前?」
と思ってしまった。
平安時代ってもっと昔だと思っていたから、以外とそうでもないことに驚いた。
かといって、これから1000年先も同じように『たった1000年先』って思えるかと聞かれれば、なんかそれは違う。
だって、ドラえもんは22世紀からやってきた。
たった100年後にあんなハイスペックなネコ型ロボットが作られていて、空中に道路ができていて、車が宙に浮いて走っているのだ。
ドラえもんの世界観はフィクションだけれど、実際、21世紀が始まって20年ちょっとの間にも、世界は驚くほど変化を遂げている。
21世紀が始まった2001年、指1本であらゆる可能性が拡がる『スマートフォン』というものを、誰が想像しただろう。
たった100年でもこうなんだから、平安時代から見た今の時代は、きっとドラえもんの世界どころじゃない。
100年で異世界になるほどだから、1000年先なんて想像もつかない。
想像もつかない1000年先だけれど、肉体を持った人間がまだ存在していて、地球もまだ青くあってほしいと願う。