マナ

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3/19/2024, 6:36:48 AM

「『不条理』?」
新作の構想を練っていた、二年生の池永由良が顔をあげてしかめた。ある熟語の否定系なんて、今まで候補に挙がったことがあっただろうか。一年生の時に入部してから、動詞こそあまり無かったものの、名詞とかポジティブな熟語とか、字面も意味もシンプルな傾向にあったように記憶している。

そんな由良の反応など、とうに分かりきっていたというようなすまし顔で、同じ二年生の藤代登吾は続けた。
「そ、今度の学祭で配布する作品集のテーマにするんだと。さっちんから皆に言っといてってさ」
両手をヒラヒラさせながら、さも興味なさそうに言って、登吾は長机に座った。さっちんとは、当文芸部の顧問、佐知川輝明先生の隠れた渾名だ。

「登吾先輩、机は作品を生み出すための神聖な場所です。椅子に座ってください。」
眼鏡の縁を持ち上げ、冷たい水が川に流れるかのような響きで、一年生の浜里燈が登吾を嗜めた。

「ひゃ~、浜里サンは怖い怖い」
登吾は大げさに肩を竦めて傍にあったパイプ椅子を引き寄せた。

「そんな態度だから、浜里さんに嫌がられちゃうんですよ」
一年生の和映人が漫画本を両手で開いたまま、苦笑した。
「えぇ~、何それ。俺、そんな嫌われてんの?」
登吾が心外だという顔をする。

そこに燈がサッと左手を挙げ、
「登吾先輩から受けた被害、六月十一日文庫本コーラ染め事件、七月二十三日単行本生クリーム噴射事件、八月…」
日付毎に指折り、朗々と続けていく。

登吾がおでこに右手をあてて、天を仰いだ。
「誰がそんな痛ましい事件を…」

「こんな片手じゃ収まりきらない事件の数々ほど、不条理なものはありません。」
燈が憮然として言った。



『不条理』

3/17/2024, 2:47:20 PM

診察室を出て、一礼する。
扉が閉まる一瞬、
会釈を返した主治医の能面が焼き付く。

ふっと嘆息が漏れる。
だが、まだマシな方ではないか。

このクリニックにたどり着くまでは、
果たして相性だけの問題なのかと、
担当する医師が合わなさすぎて
己のくじ運の悪さを嘆かない日はなかった。

門前払いされないだけ
ぞんざいに扱われないだけ
まだマシなのだ。

待合室の椅子に座り、スマホに触れる。
カレンダーを開き、明日の予定に目を留めた。

●出社日

最後の、出社日だ。
デスク周りとロッカーの荷物をまとめ、掃除をする。それを3時間で終えなくてはならない。
時間がたっぷりあるように見えて、管理職との面談時間も込みであろうことを予想すると、ギリギリかもしれない。

持ち帰り用のエコバッグ、提出する書類や返却物を一通り頭に思い浮かべていると、
受付窓口上の液晶画面に新たな番号が通知音と共に点滅した。

このクリニックでは、患者は受付順に番号札をもらい、その番号が液晶画面に掲示されてはじめて、診察や検査を受けることができる仕組みになっている。顔見知りでない限り、周りに名前を知られることはない。
名も知らない老若男女が、通知音に一斉に反応して液晶画面を食い入るように見る姿は、役所での徒労感を思い起こさせた。

今回の診察では、意を決して、診断書を作成してもらうことにした。

眠れない日が続き、やっと眠れても悪夢に苛まされ、終いには叫び声を上げた。
不安や焦燥感が強くなり、肌を搔きむしって血が滲み、目立つ傷が増えた。

心配する家族の言葉を笑い飛ばし、周りも自分も騙し騙しで何とか凌いできたが、いよいよ生活が壊れ始めていた。

「これで何度目だ」

分かってる。
此れは、自分の声だ。
自分こそ、また繰り返すなんて思いもしなかった。

劣等感が呪いとなって、自分をがんじからめにしているのは分かる。
だが、現状を理解できることと、現状を打破できることは似て異なる。

少なくともいまの自分には、職を辞することが最善としか思えない。考えつかない。
それくらい、追い込まれてしまったのだ。

己の不甲斐なさに、先輩上司の前で散々泣いた。悔し涙だった。
それで何かが変わるわけはなかったが、自分が此処を去ることは必然だったのだと思えるようにはなった。

私は悲劇の主人公じゃない。
ここから、第二幕が始まるんだ。
悲劇にするのか、喜劇にするのか、それは自分次第だ。

新しい番号が通知音と共に点滅する。
私は立ち上がり、番号を見つめながら真っ直ぐに歩き出した。

同じ苦しみを繰り返し味わうのは、もう、懲り懲りだ。
あんな泣き方はするものか。




『泣かないよ』

3/16/2024, 1:38:39 PM

バイトが終わって
自宅に戻る道すがら
ずっと君のことを考えている

いま、何をしてるかな?
LINEしようかな?

でも、誰かと一緒だったら…

私って、邪魔者かな

迷惑って思われるかな

私の頭の中を

そんな思考がグルグル廻る

そう

私は臆病者なのだ



『怖がり』

3/15/2024, 2:30:47 PM

まるで要塞のような
威圧感と重厚感が滲み出る
建設間もないゴミ焼却場に向かう
坂道の途中に
ひっそりと
その公園はあった

標高が高い町の
そのさらに高台にある公園は
近場にゴミ焼却場があるという立地上
人気は少なかった

晴天の夜に見上げる空は
天然のプラネタリウム
という言葉を口にすることすら
あまりにも陳腐すぎて閉口してしまうほどの
360度無数の煌めきに溢れていた

まるで意図せずに
自身が宇宙空間に放り出されたような
錯覚に陥りそうになる

夜な夜なこの公園を訪れる人は
そんな星々の息吹に魅せられた人たちだ

自分だけの宇宙が其処にあると
知り得た人たちなのだ

『星が溢れる』

3/15/2024, 9:36:40 AM

その瞳に

映る自分を
私は見れなかった

君の穏やかな表情を前に

私は
胸に潜む激情を
君に覚られまいと
隠すことに必死だった

私の挙動は
ひどく可笑しなものに
映っただろう

それでも
安らかな瞳で
私の頬に伸ばす君の手を
どうして
払い除けられるだろう

愛しい君

この
微かな温みさえも
永遠に続いてほしいと
願わずにはいられない

あぁ、どうか
この一瞬を
終わらせないでください


『安らかな瞳』

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