診察室を出て、一礼する。
扉が閉まる一瞬、
会釈を返した主治医の能面が焼き付く。
ふっと嘆息が漏れる。
だが、まだマシな方ではないか。
このクリニックにたどり着くまでは、
果たして相性だけの問題なのかと、
担当する医師が合わなさすぎて
己のくじ運の悪さを嘆かない日はなかった。
門前払いされないだけ
ぞんざいに扱われないだけ
まだマシなのだ。
待合室の椅子に座り、スマホに触れる。
カレンダーを開き、明日の予定に目を留めた。
●出社日
最後の、出社日だ。
デスク周りとロッカーの荷物をまとめ、掃除をする。それを3時間で終えなくてはならない。
時間がたっぷりあるように見えて、管理職との面談時間も込みであろうことを予想すると、ギリギリかもしれない。
持ち帰り用のエコバッグ、提出する書類や返却物を一通り頭に思い浮かべていると、
受付窓口上の液晶画面に新たな番号が通知音と共に点滅した。
このクリニックでは、患者は受付順に番号札をもらい、その番号が液晶画面に掲示されてはじめて、診察や検査を受けることができる仕組みになっている。顔見知りでない限り、周りに名前を知られることはない。
名も知らない老若男女が、通知音に一斉に反応して液晶画面を食い入るように見る姿は、役所での徒労感を思い起こさせた。
今回の診察では、意を決して、診断書を作成してもらうことにした。
眠れない日が続き、やっと眠れても悪夢に苛まされ、終いには叫び声を上げた。
不安や焦燥感が強くなり、肌を搔きむしって血が滲み、目立つ傷が増えた。
心配する家族の言葉を笑い飛ばし、周りも自分も騙し騙しで何とか凌いできたが、いよいよ生活が壊れ始めていた。
「これで何度目だ」
分かってる。
此れは、自分の声だ。
自分こそ、また繰り返すなんて思いもしなかった。
劣等感が呪いとなって、自分をがんじからめにしているのは分かる。
だが、現状を理解できることと、現状を打破できることは似て異なる。
少なくともいまの自分には、職を辞することが最善としか思えない。考えつかない。
それくらい、追い込まれてしまったのだ。
己の不甲斐なさに、先輩上司の前で散々泣いた。悔し涙だった。
それで何かが変わるわけはなかったが、自分が此処を去ることは必然だったのだと思えるようにはなった。
私は悲劇の主人公じゃない。
ここから、第二幕が始まるんだ。
悲劇にするのか、喜劇にするのか、それは自分次第だ。
新しい番号が通知音と共に点滅する。
私は立ち上がり、番号を見つめながら真っ直ぐに歩き出した。
同じ苦しみを繰り返し味わうのは、もう、懲り懲りだ。
あんな泣き方はするものか。
『泣かないよ』
3/17/2024, 2:47:20 PM