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「『不条理』?」
新作の構想を練っていた、二年生の池永由良が顔をあげてしかめた。ある熟語の否定系なんて、今まで候補に挙がったことがあっただろうか。一年生の時に入部してから、動詞こそあまり無かったものの、名詞とかポジティブな熟語とか、字面も意味もシンプルな傾向にあったように記憶している。

そんな由良の反応など、とうに分かりきっていたというようなすまし顔で、同じ二年生の藤代登吾は続けた。
「そ、今度の学祭で配布する作品集のテーマにするんだと。さっちんから皆に言っといてってさ」
両手をヒラヒラさせながら、さも興味なさそうに言って、登吾は長机に座った。さっちんとは、当文芸部の顧問、佐知川輝明先生の隠れた渾名だ。

「登吾先輩、机は作品を生み出すための神聖な場所です。椅子に座ってください。」
眼鏡の縁を持ち上げ、冷たい水が川に流れるかのような響きで、一年生の浜里燈が登吾を嗜めた。

「ひゃ~、浜里サンは怖い怖い」
登吾は大げさに肩を竦めて傍にあったパイプ椅子を引き寄せた。

「そんな態度だから、浜里さんに嫌がられちゃうんですよ」
一年生の和映人が漫画本を両手で開いたまま、苦笑した。
「えぇ~、何それ。俺、そんな嫌われてんの?」
登吾が心外だという顔をする。

そこに燈がサッと左手を挙げ、
「登吾先輩から受けた被害、六月十一日文庫本コーラ染め事件、七月二十三日単行本生クリーム噴射事件、八月…」
日付毎に指折り、朗々と続けていく。

登吾がおでこに右手をあてて、天を仰いだ。
「誰がそんな痛ましい事件を…」

「こんな片手じゃ収まりきらない事件の数々ほど、不条理なものはありません。」
燈が憮然として言った。



『不条理』

3/19/2024, 6:36:48 AM