宝物
好きな物はあるし好きな生き物もいる。好きな音楽や曲、本、場所、キャラクター。好きと口にできるものはいっぱいある。更に言えば、一度好きになったものはずっと好きだ。飽きることもない。昔好きになったものは何年経っても子供っぽくても未だに好きなのだ。
それなのに宝物がない。
それを失って怒りや悲しみを抱いたり、喪失感で胸がいっぱいになるものはない。人生が変わる程の衝撃を受けるような、そんな風に自分を繋ぎ止めるものがない。例えば好きな曲を作ったアーティストが逮捕されてその曲を聞くことが出来なくなっても、アーティストに対して怒りも失望もない。子供の頃の恐竜像と現代の恐竜像が変化したって拒否反応はなくて、どっちの恐竜も好きだったりする。依存はするけれど固執はしない。物はいつか壊れるし、生命はいつか終わりゆく。ただ、そうなのかと認識するだけだ。
だから宝物がない。
君を宝物と呼べたらいいのに。もし君が離れていっても、きっと泣くのは君で自分はヘラヘラと日々を過ごすだけだろう。こうやって予防線を張って自分が傷付かないようにするぐらいには大事なのに。
宝物は要らない。
秋風
連絡先を交換したのが今年の4月末、実質5月からの付き合いだ。半年が経った。最初は互いに遠慮があったし、モラルの擦り合せもとい価値観の相違点を探っていた。出身地が違うだけで多少の言葉の壁がある。隣同士の県ではあるが、イントネーションが全く違うので同じ言葉なのに聞き取れなかったりする。文化の差もある。育った環境も違う。山と平地。片田舎と田舎。末っ子と一人っ子。2歳差。共通点と言えばアレルギーの多さと躁鬱病ぐらいのもだ。映画の趣味も似ているか。先日はR15+(グロ)をツッコミを入れつつ笑いながら鑑賞したから、そういう所の感性は近いのかもしれない。
この半年間で結構な数のイベントに参加したし、県外にも旅行に行った。たぶんフェーズが移行したのだ。「この人は何が嫌なんだろう」といった探りの段階を抜けて、今はきっと「どこまでなら許されるだろうか」という試しの段階なのだ。君は不機嫌を隠さなくなったし、怒りを表面化するようになった。自分は軽〜中度の幼児退行が度々出ているのだと思う。君に言われるからね、「5歳の姪っ子と完全に一緒だ」って。どちらも悪いことじゃない。互いに受け止められるかどうかだけだ。
「精神科に行ってきな、あなた自身にダメージが溜まるから」と君は言う。その内耐えられなくなるのは君の方なんだろうな。来年辺りに引っ越して一緒に住むという話になっているけれど、どうか秋風が吹く前に。
ススキ
ススキ……順当に植物だと考えて思うことは1つ。
アレルギーなんだよなぁ。
季節を感じさせる植物ではあるし、お月見の時に飾る縁起物。
中秋の名月が近付くにつれて近所のスーパーに普段なら見ないススキが入荷し始める。それを見て(もう秋だなぁ)と思いを馳せるような日々を過ごしたかったです、はい。
ススキが入荷するよりも断然早く反応するこの身体には鬱々とする。一年中何かしらの花粉に反応し、酷い時は熱を出して倒れるまである。もっと風流に生きてみたかった。
まぁ君もアレルギーが多いからね。イネ科は特にお互いに酷いから、部屋でのんびり画面越しのお月見をしたりしなかったり。
懐かしく思うこと
君の態度を見ていると昔の自分を思い出す。受動的にしか行動しないせいで、されるがまま言われるがままに生きていたあの頃。君と違うのは断れるかどうか。君は何でも受け入れているように見えて、駄目なら駄目、無理なら無理と割とハッキリ言葉にする。それは自分には出来なかったことで、だから関係が続かなかったんだろうなと今は思う。逆に言えばこういうアプローチだったら自分も飽きなかったのに、という他責の念も含みつつ君へのアプローチは続いていて、君はもはやそれが日常であるかのように受け流してくれている。君が拒否せずに寛容に受け流してくれる度に、自分を犠牲にして成り立っていた日々を懐かしく思うのだ。
愛言葉
当初、君は「◯◯さん」と必ず名前にさん付けで呼んでいた。そもそも飲み屋で本名を言っていないから、厳密には名前じゃなくて偽名(と言ってもゲームのHN)であって別に好きに呼んでくれて構わなかった。誰かに自分のことを話す時も「◯◯さんが」と言っているのしか聞いたことがなかった。本名を知ったはずの今でも本名では呼んでこない。自分も君の本名を知っているし、なんなら漢字でも書けるけど君のことは飲み屋のアダ名で呼ぶ。出会いがそうだったから今更本名で呼んでも違和感が勝るのと、単純に気恥ずかしいからね。
しかしながらここ最近、君は誰かに自分のことを話す時に「この人」やら「コイツ」やら、挙げ句の果てには「コレ」で済ませていることが多々ある。事あるごとに「バカが」「バーカ」とも言ってくる。これだけしか書かないと(扱い酷くない?)となるが、なんだかそういう言葉を使っている時の君は楽しそうで、自分も横で色々と文句はいうものの決して嫌ではない。周囲からも「嬉しそうにするな」と笑われるから、満更でもない顔をしているんだろう。
愛言葉ねぇ、愛言葉ってなんだろうな。合言葉じゃなくてわざわざ"愛"って書いている辺り秘密基地とかではないだろうしなぁと思案して辿り着いたのは『名前の呼び方』と『バカ』の2つ。特に『バカ』と呼ばれた時は「ごめん」と「許して」を込めて抱き締めることにしているから、まぁ愛言葉ってそういうこと?