始まるということは終わりがあるという事。それは物語に例えると非常に分かりやすいものだ。
私はそう長いこと文字列を綴れないので、寿命は短い。最近はあまり調子が良くないので、何も考えられず、ただベットで横になりながらスマートフォンを操作するのでやっとだ。
人は、最後のページがあることを何故か理解できない。いや、出来ないというよりしないというというほうが正しいか。
ここまでしか辿り着いていないが、書く気力がないので終わりにする。人もこんな風に簡単に命を断つことができたらどけだけ良いだろうか。
またあしたがやってくる、さようなら、せめて今日からだけでも、逃げさせてくれ。
初めて自分として文字を綴ろうと思います。
私は春とか恋とか、明るい印象のある言葉は苦手です。だから今回のテーマで書きたいものが浮かばないです。
私はこのアプリで文章を綴ることで救われています。捻くれた感性で生きていた私は、自分の思考が嫌いと言いつつそれを深く愛しています。そしてそれに執着しています。自分を孤独だと思い込み、不幸だと思い込み、それを理解してほしいと思っている。けれどもそんな自分が醜くて仕方がないのです。ただ、こうして文字に起こしている時だけはこの邪魔臭い感性が宝のように思えます。
このアプリを初めて半月ほどですが、初春だったこともあり春に関連するテーマが多かったです。私はずっと「桜が嫌いだ」とか、「春は寂しい」だとかいう内容をひたすら書き連ねていました。
そんな文字列に♡がつくたびに、この頭の中を少しでも肯定してもらえたような気分になります。ここは自語りをする場所ではないかもしれませんが、どうしてもこうして記したかったのです。
今日も私は特別悲しいこともなく、特別楽しいこともなく、精神病院に行き帰りに行きつけのカフェで読書をして帰りました。そんな日々を許容してもらえているような気がするのです
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
私にとって、あなたにとって、春とか恋とかいう言葉に煌めきを見出せる日がいつか来ることを願って。
死んでしまいたい、と思っていた。
世の中に溢れる全ての事象が私の不幸を指差してくるような感覚に襲われることが、昔からある。
忙しなく道ゆく人々が、風に吹かれる草花が、転がる石ころが、私に幸せだと押し付ける。その度に私は、真っ当に幸せでないといけないという思考で頭がいっぱいになり、胸が張り裂けそうになる。どうしようもない苦しみから自分で自分を殴りつける日も、無理やり人前で笑うことさえ上手くできなかったことを悔やむ日も、感情の生まれる場所なんて最初からなかったみたいに何も感じられない日も、私はきっと幸せなのだ、と。そう思うために今夜も大量の薬を流し込む。水は嫌いだ。苦しい時に口内に充満する味を思わせる。ノンカフェインならいいだろうと、ルイボスティーを大きめのコップに一杯注いで部屋へ向かう。昔はあんなに薬を飲むことが苦手だったのに、いつしか慣れてしまい如何に胃を水分まみれにせずにいられるかの効率を考えられるようにすらなった。そんな時私は、私を不幸だと思う。
私は自分が不幸であることが、私の個性であると思っている。
睡眠導入剤を使っても碌に眠れないことや、馴れ合う同僚の輪に入れないこと、誰かが泣いている時に自分の悲しみだと錯覚してしまうこと、全てが私を構築する個性なのだ。これまで自分を愛してくれた人たちは、全員私の"そういうところ"に魅力を感じ、惹かれていたのだと確信している。それは私の不幸依存を助長させて、いつしかこんな怪物になってしまった。ああ、なんて可哀想なのだろう。
だけれど私は、決して自分が不幸ではないことを知っている。私は不幸を装った、不幸という毛布で体を温めるただの普通の人間だ。私にとってその毛布は史上の温もりであり、しかしひとたび我にかえればそれは氷のように冷たい。だれかこの感情に病名をつけてほしい。ずっと昔から、私はそうやって生きている。
あなたがいった。
「一緒に幸せになりたいと思っている」
そんなことを言われたのは初めてだった。不幸ではない私に価値がある?そんなわけがないと、ずっと疑って、疑って、疑った。
私から全ての悲しみが消え去ってもあなたは私が好きなのか、と聞いたことがある。我ながら、おかしな質問だと思う。あなたは呆れたように笑って、勿論、と答えた。
私はこの不幸な妄想から抜け出すことができるのだろうか。そんな未来は正直鮮明には見えないし、もがいているうちにあなたがいなくなって、もっと深いところまで落ちていく方がしっくりくる。
だけど、もしかしたら、そんな未来もあるかもしれないと、僅かな希望を信じてみてもいいかもしれない、あなたがいうのなら。
今だって私は死んでしまいたいけれど、それではあなたとの約束は叶わないから。いつかの二人が、何の境目もなく心から笑える未来を夢見て。私は今日も、不幸ではない。
ひとひらの幸せだった。
結局私は最後まで不幸である自分を愛していて、手放せなかったのだ。あなたは私をそこから救ってくれようとしたのに、あなたへの愛よりも自愛が勝ってしまうなんて、我ながら本当に哀れだと思う。
あなたが伸ばしてくれた手は、少し触れるだけで涙がこぼれそうに温かった。世の中にこんな幸せがあっていいものかとその温もりを疑い、疑い、そして信じられるようになった頃にはあなたはいなくなっていた。それに怒ることのできるような立場ではないのは重々承知だけれど、きっと私に残された道はそれだけだったから、ひたすらあなたを恨んだ。そうすることで、またひとつ自分の不幸の芽見つけ出して、あなたの手の温もりでそれを育てた。こんな文字列を綴っているだけで気持ち悪くなる行為だと、思う。
あなたは優しいから、こんな救いようのない私に手を差し伸べてくれたのだ。だから、救えなかったことを苦しまないで。それはきっと必然で、私たちは離れる運命だったのだ。そう思うのに、こう綴りながら涙が止まらない。私は、何にも代え難い存在を自分から跳ね除けたのだ。
ある日、あなたと桜の木を見つけた。綺麗だねと眺めていると、私の頭に花弁が降ってきたことがあった。あなたは笑いながらそれを取り、どうぞ、と私の手のひらに乗せてくれた。そのひとひらの幸せを、私は押し花にしてずっと持ち歩いている。だから、あなたは私をとっくに救っていたんだよ。私はとっくにあなたに救われていたんだよ。それは、呪いにも似たあなたと言う救い。温かい、火傷のような、跡。
あの時きみと交わした約束は、まるではじめからなかったみたいにもう思い出せない。もうなにも望まないから、せめて、どうか、きみが少しでも温かい気持ちで生きていられていますように。遠い日の私たちは、笑い合っているのだから。