ほたる

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死んでしまいたい、と思っていた。


世の中に溢れる全ての事象が私の不幸を指差してくるような感覚に襲われることが、昔からある。
忙しなく道ゆく人々が、風に吹かれる草花が、転がる石ころが、私に幸せだと押し付ける。その度に私は、真っ当に幸せでないといけないという思考で頭がいっぱいになり、胸が張り裂けそうになる。どうしようもない苦しみから自分で自分を殴りつける日も、無理やり人前で笑うことさえ上手くできなかったことを悔やむ日も、感情の生まれる場所なんて最初からなかったみたいに何も感じられない日も、私はきっと幸せなのだ、と。そう思うために今夜も大量の薬を流し込む。水は嫌いだ。苦しい時に口内に充満する味を思わせる。ノンカフェインならいいだろうと、ルイボスティーを大きめのコップに一杯注いで部屋へ向かう。昔はあんなに薬を飲むことが苦手だったのに、いつしか慣れてしまい如何に胃を水分まみれにせずにいられるかの効率を考えられるようにすらなった。そんな時私は、私を不幸だと思う。

私は自分が不幸であることが、私の個性であると思っている。
睡眠導入剤を使っても碌に眠れないことや、馴れ合う同僚の輪に入れないこと、誰かが泣いている時に自分の悲しみだと錯覚してしまうこと、全てが私を構築する個性なのだ。これまで自分を愛してくれた人たちは、全員私の"そういうところ"に魅力を感じ、惹かれていたのだと確信している。それは私の不幸依存を助長させて、いつしかこんな怪物になってしまった。ああ、なんて可哀想なのだろう。

だけれど私は、決して自分が不幸ではないことを知っている。私は不幸を装った、不幸という毛布で体を温めるただの普通の人間だ。私にとってその毛布は史上の温もりであり、しかしひとたび我にかえればそれは氷のように冷たい。だれかこの感情に病名をつけてほしい。ずっと昔から、私はそうやって生きている。




あなたがいった。
「一緒に幸せになりたいと思っている」
そんなことを言われたのは初めてだった。不幸ではない私に価値がある?そんなわけがないと、ずっと疑って、疑って、疑った。
私から全ての悲しみが消え去ってもあなたは私が好きなのか、と聞いたことがある。我ながら、おかしな質問だと思う。あなたは呆れたように笑って、勿論、と答えた。

私はこの不幸な妄想から抜け出すことができるのだろうか。そんな未来は正直鮮明には見えないし、もがいているうちにあなたがいなくなって、もっと深いところまで落ちていく方がしっくりくる。
だけど、もしかしたら、そんな未来もあるかもしれないと、僅かな希望を信じてみてもいいかもしれない、あなたがいうのなら。

今だって私は死んでしまいたいけれど、それではあなたとの約束は叶わないから。いつかの二人が、何の境目もなく心から笑える未来を夢見て。私は今日も、不幸ではない。

4/15/2025, 7:53:36 AM