知って傷つくより、
知らないまま思い込んだまま、終わりたいんだ。
最後くらい保身第一でもいいじゃない。
一攫千金を賭けた勝負、所謂ギャンブル。
聞いた話しだが海外規模になると命懸けの依頼もあるらしい。
---私の置かれてる状況は
〝命懸け〟と言うより〝一か八か〟と例えるのが正しい。
もう少しフラットに言えば〝当たれば吉〟この方が内容的には重く感じない気もする。
だが現実は紛れもなく〝一か八か〟で、互いの命が懸かっているのだ。
状況の整理をしよう。
いま私の目の前には、田舎で歩いていれば必ず目に入る用水路で溺れている子猫が二匹いる。
手を伸ばせば届く距離、と言えば間違いは無い。
のだが、脆い網を補う形で覆われた有刺鉄線の奥に子猫がいるのだ。
問題点が挙げるなら、
① なぜそこに入りこんだ?のか
② 猫アレルギー持ち
の二点だ。
猫の命が懸かっているのに猫アレルギーを理由に助けない道理はない。
しかし、有刺鉄線の奥にいる猫を助けるには手を伸ばし、尚且つ傷付けないように引き出す難点がある。
その時自分の腕を傷付けない保証はない。そして私は猫アレルギーだ...。
難しい状況にかわりはなく、
どっちを選んでも片方が辛い想いをする事になる。
こんな事を理由にすれば動物愛護団体は何と言うだろうか?
こうも考えてるうちに猫の体温は下がり結果的に待つのは〝死〟だ。
助けられるはずだった命をみすみす殺したも同然。
---20分後、私は酷く怯えている猫を抱えていた。
葛藤を抱えつつも救える命を見過ごすなんて出来なかったのだ。
このエピソードを友人に話し言われた一言が
「 どんな気持ちだったの? その時の状況って 」
〝天国と地獄〟だったよ
学生時代は好奇心で動かされる子どもが多い。
自分のそのうちの1人にすぎない。
損得なんて考えないで目の前の事に一直線に食らいついてられるのは若いうちだけ。
---あのとき、
咄嗟に放った言葉一つが脆く崩れ落ち、生涯こんな後悔に苛まれるなんて知る由もなく、故に自惚れが招いた結果にさえ思える。
普段から信仰心なんて皆無な自分でも「(神様がいれば・・・)」とフッと柄にないことを考えるほどに、だ。
神社へ赴くも、心のどこかではこんな時だけ都合がいいと笑ってしまう。普段、平穏な日々を過ごしていれば神様頼りなんてする訳もない。都合がいい。虫がいい。身勝手具合に吐き気さえ覚える。
家にいても仕方が無い。気持ちが落ち込む一方で、一つも前向きにならない。足が重い。とても外出する気分にならない。どうしたものか、と窓を空けた時感じたのが---
「 空気が美味しい 」
外出を全くしない訳では無い。
でもここ数日は食事がまともに取れず、人と話してもどこか上の空。
窓を空け視界に入ったのは星だった。
窓を空けるまで後ろ向きな考えだった自分が、上を向いたのは驚いた。
何の考え無しに取った行動に肩の重荷が無くなった気がした。
コロッと生き方を変える、性格を変える、は簡単な事じゃない。
けどきっかけを作ることなら...?不可能じゃない。
私はテーブルの脇に置いてあったノートに小説をしようと思う。
題名は---
星に願いを