人は脳内物質に作用されているだけなんだろう。脳内物質の奴隷だ。
ここ一ヶ月新しい薬を飲み始め、つい最近量を増やしてもらった。頭の中のごちゃごちゃが消え、うるさい脳内からの声も聞こえなくなり、ぼーっと重たい感覚もなくなり、食欲も出てきて、とんでもない不安に呑み込まれることもなくなり、抑うつが格段に改善されている。脳内物質を薬でコントロールすればするほど希死念慮は消え、泣き叫んだり物に当たり散らしていたのも落ち着き、感情の浮き沈みに悩まされることがなくなった。「大丈夫、大丈夫」という誤魔化しなんかでは今まで耐えられなかったというのに、今はそんなやさしい嘘で少しは耐えられるようになった。あれほど恐ろしかったインターホンに出られるようになり、店員さんに怯えず注文ができるようになった。とにかく指示と批判と暴言を吐いてくる声が一切聞こえなくなったことがこの上なく気持ちを楽にしている。飲んだら抗えなくなるほど強烈に眠くなるのが少し恐ろしいポイントだが、抗うつ薬様々である。ここ数日実に穏やかに生きている。所謂「普通」の状態になれた気がする。
同時に創作意欲は消えた。何も湧いてこない。感受性豊かという性質が治まったのもあるのかもしれない。今までなんでもかんでも受け取って体内に取り込んで喜怒哀楽を生成していたのだとしたら、今はその半分以下だ。薬を飲んでから怒りも悲しみも減った、だから泣き喚かなくなった、精神が落ち着いている、穏やか、平穏、凪というやつだろうか。怒りや悲しみがなくなったなら、喜びや楽しいという感覚も等しく
要するに感情の振れ幅が減った。
小説などの創作物に触れると、今まではすべてを感じ取りすべてを体内に取り込み感じたままに振り回され、精神的に落ち込んだり、何かが心の中で生まれたり、泣いたり、感動したり、それが新たな創作意欲となっていたものだが、それがなくなった。
別に嘆いているわけでもない。 ふ〜ん くらい。
薬でコントロールした自分と薬を飲んでない自分、どちらも己だが、果たしてどこまで自分と言えるのだろう。このままだと性格まで変わりそうだ。それは自分というのだろうか。とか、そういうことは思う。見た目も声も自分のまま、頭の中をいじくって、考え方や感じ方が変わったりして、それで自分って、どこまで言えるのかな。
こうやって文章を書いてるんだから、またいずれ何か書くんだろうし、あまり。そう、思っているより、悩んではいない。ただひたすら穏やかだから、まあ、なんでもいいかな。
脳内物質、脳内物質。結局人は脳内物質に作用されているだけ。支配されているだけ。脳内物質の奴隷。それが良いとか悪いとかは、別になんとも思わない。
そっか、このへんてこな悩みって、そんな簡単な話だったんだ、そう思う。脳内物質をいじくれば随分悩まされていた苦しみ一つから開放された。そうか、そんなもんだったんだ。首を吊るほど文字通り死活問題だったというのに、こんなに随分、あっさりしてる。
大丈夫。
羅針盤は真っ白。
帰りたい。どこかへ帰りたい。帰りたい。家にいても帰りたい。帰りたい。どこへ。安全基地か、幸せな記憶の中か、はたまた見知らぬどこかか。帰りたい。帰りたい。どこへ。羅針盤は真っ白。どこへ向かっているかも分からない。
ただひとりの君へ
これから先、生きたくはない。あれもこれも恐ろしいことで溢れているこの社会で、強く生きてなんていけそうもない。嫌なことばかりだし、苦しいことがたくさんある。きっと今後もフラッシュバックに苛まれるだろうし、そのたびに体を震わせ泣き叫び、何度も刺されるような思いをするだろう。積み重ねた過去が牙を向いて、これからの未来もきっと困難ばかりだろう。誰がこんな状態で生きたいと思うものか。
生きていたくない。面倒くさいじゃないか。何かを感じるたびに心がえぐれて、人と関わるたびに己が歪な生い立ちであることや精神であることを実感し、人に怒鳴られ嫌味を言われたくないと、そればかり考えている。そんなふうに生きているなんて、面倒くさいだろう。
だからすぐに死にたくなる。生きていけないと嘆く。
わかるよ。誰もわかりやしないから、僕が言う。わかるよ。わかる。僕にはわかる。
そうは言っても、君はこれから先、生きていかなくちゃならない。どれだけ嫌なことがあっても、どれだけ不安なことがあっても、生きていかなくちゃならないんだ。死ぬという選択肢をとらないなら生きるしかない。仕方がないことだと思うかい。
大丈夫、いつでも死ねるよ。
今この瞬間、生きているから、生きることを考えているんだ。なにも死という選択肢が消えたわけじゃない。
いざとなったら何もかも捨てよう。今いる環境も、やっていることも、今の自分も、全部捨てよう。そうして布団に引きこもろう。大丈夫、意外と人は自分を殺せる。頑張っている自分を殺して、健気な自分を殺して、優しい自分を殺して「もう疲れた。もう頑張れない。もう自分でいるのがしんどい」と、自分を潰してなくしてしまえばいい。虚無になろう。何もかも無理になったら、また虚無になろう。何もせず立ち止まっていよう。
意外となんとかなるもんだよ。なんとかならないなら、全部投げ捨てれば、これまたなんとかなるのさ。なんでもいいんだよ。君のことを理解してくれる人は少ないし、大衆ウケはしないけど、それでいいよ。理解されなくてもウケなくても、別にそれで、死ぬわけじゃない。
死ぬなら死ねて良かったねと思えばいい。君は常日ごろ死にたいと願っているのだから、どっちに転んでも君に損はない。嫌なことはない。嫌なことが積み重なったら暴れればいいし、進んでいけそうならホッとしてながら進んでいけばいい。大丈夫、意外と人は、なんとかなるから。頭のストッパーがちゃんと働くんだ。ちゃんと働かなかったら?そうしたら念願かなっておめでとう、なだけだよ。
大丈夫、全然大丈夫じゃなくても大丈夫、君は生きていける。嫌になったら全部捨てればいい。常日ごろ君が願っている死にたいが叶うまでの暇つぶしだ。ただのね。だから大丈夫、全然大丈夫じゃなくても、君はこれから生きていける。生きるのが嫌ならやめればいい。何かを捨ててやめればいい。環境か、考え方か、人との関係か、何かを殺して死んで、また1からやり直せばいい。道はある。大丈夫。ないなら死ねばいい。やりたくないならやらなくていい。そうは言っても死ねないんだ、だから少しでも気楽に適当に生きられる方法を探す。
大丈夫。文句を言う人がいようと、怒る人がいようと、褒めてくれる人がいようと、結局全員どうでもいい他人だ。他人の人生がどうなろうと君の人生がどうにかなるわけでもないし、他人がスッキリしたからって君がスッキリするわけじゃないし、他人が困ろうと君が困るわけじゃない。逆も然り。干渉してくる人がいるなら、突っぱねたっていい。他人は他人だ。家族であっても自分以外の他の人だ。他人だ。君は君だ。
できないと思い込んでいるのは君自身だ。もう少し肩の力を抜いて生きたっていいよ。
できないなら、それもやらなくていい。できないなら無理にやる必要はない。今その時じゃないんだと思って、無理にやろうとすることをやめないと、きっと堂々巡りだ。そんなのちっとも気楽じゃない。気楽になるために努力するなんて矛盾してる。できないならやらなくていい。自分の尻尾を追いかけ回し続けると、いずれ目が回って吐き気がしてくるよ。
それで止まるのも悪くないかもしれないけどね。僕は遠慮させていただくよ。
そっと、そっと。
優しさに触れた記憶がない奴でも、人並みに優しくなれたりするのだろうか。人との心の繋がりが分からない奴でも、人と繋がろうとさえ思えばできるだろうか。
そっと、そっと。
誰かに声を掛けることができるだろうか。口から出任せではなく「ありのままのあなたでいいんだよ」と言ってしまっていいのだろうか。
そっと。
「いつからか忘れていた」わけではなく最初から知らずに来てしまった。
今更、そっと。
今更だとこぼしておいて「今更だからこそ」と思ってしまった。僕は変わってしまえたのだろうか。
平常心目指しててんびん座
雲の上ふわふわ sosのぽっぽっぽ
おとぎ話与太話
唇真っ赤になって皮ベリベリ
お釈迦様脳内お散歩中
お陀仏になる脳みそ食べちゃって
餌付けされてるの嘔吐いちゃって
どこかの世界 sos 星のかけらから発信中
訪れない音ズレないノイズになっちゃうな
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繋いでいてね心臓も
導線どうせ絡め潰しちゃう
愛も時間もお金もキリキリ有限
無制限プラン天使の輪っかは電池切れ
真っ逆さま不眠不休デリュージョン
両の手びちょびちょ sosのぷぷぷのぷ