ただひとりの君へ
これから先、生きたくはない。あれもこれも恐ろしいことで溢れているこの社会で、強く生きてなんていけそうもない。嫌なことばかりだし、苦しいことがたくさんある。きっと今後もフラッシュバックに苛まれるだろうし、そのたびに体を震わせ泣き叫び、何度も刺されるような思いをするだろう。積み重ねた過去が牙を向いて、これからの未来もきっと困難ばかりだろう。誰がこんな状態で生きたいと思うものか。
生きていたくない。面倒くさいじゃないか。何かを感じるたびに心がえぐれて、人と関わるたびに己が歪な生い立ちであることや精神であることを実感し、人に怒鳴られ嫌味を言われたくないと、そればかり考えている。そんなふうに生きているなんて、面倒くさいだろう。
だからすぐに死にたくなる。生きていけないと嘆く。
わかるよ。誰もわかりやしないから、僕が言う。わかるよ。わかる。僕にはわかる。
そうは言っても、君はこれから先、生きていかなくちゃならない。どれだけ嫌なことがあっても、どれだけ不安なことがあっても、生きていかなくちゃならないんだ。死ぬという選択肢をとらないなら生きるしかない。仕方がないことだと思うかい。
大丈夫、いつでも死ねるよ。
今この瞬間、生きているから、生きることを考えているんだ。なにも死という選択肢が消えたわけじゃない。
いざとなったら何もかも捨てよう。今いる環境も、やっていることも、今の自分も、全部捨てよう。そうして布団に引きこもろう。大丈夫、意外と人は自分を殺せる。頑張っている自分を殺して、健気な自分を殺して、優しい自分を殺して「もう疲れた。もう頑張れない。もう自分でいるのがしんどい」と、自分を潰してなくしてしまえばいい。虚無になろう。何もかも無理になったら、また虚無になろう。何もせず立ち止まっていよう。
意外となんとかなるもんだよ。なんとかならないなら、全部投げ捨てれば、これまたなんとかなるのさ。なんでもいいんだよ。君のことを理解してくれる人は少ないし、大衆ウケはしないけど、それでいいよ。理解されなくてもウケなくても、別にそれで、死ぬわけじゃない。
死ぬなら死ねて良かったねと思えばいい。君は常日ごろ死にたいと願っているのだから、どっちに転んでも君に損はない。嫌なことはない。嫌なことが積み重なったら暴れればいいし、進んでいけそうならホッとしてながら進んでいけばいい。大丈夫、意外と人は、なんとかなるから。頭のストッパーがちゃんと働くんだ。ちゃんと働かなかったら?そうしたら念願かなっておめでとう、なだけだよ。
大丈夫、全然大丈夫じゃなくても大丈夫、君は生きていける。嫌になったら全部捨てればいい。常日ごろ君が願っている死にたいが叶うまでの暇つぶしだ。ただのね。だから大丈夫、全然大丈夫じゃなくても、君はこれから生きていける。生きるのが嫌ならやめればいい。何かを捨ててやめればいい。環境か、考え方か、人との関係か、何かを殺して死んで、また1からやり直せばいい。道はある。大丈夫。ないなら死ねばいい。やりたくないならやらなくていい。そうは言っても死ねないんだ、だから少しでも気楽に適当に生きられる方法を探す。
大丈夫。文句を言う人がいようと、怒る人がいようと、褒めてくれる人がいようと、結局全員どうでもいい他人だ。他人の人生がどうなろうと君の人生がどうにかなるわけでもないし、他人がスッキリしたからって君がスッキリするわけじゃないし、他人が困ろうと君が困るわけじゃない。逆も然り。干渉してくる人がいるなら、突っぱねたっていい。他人は他人だ。家族であっても自分以外の他の人だ。他人だ。君は君だ。
できないと思い込んでいるのは君自身だ。もう少し肩の力を抜いて生きたっていいよ。
できないなら、それもやらなくていい。できないなら無理にやる必要はない。今その時じゃないんだと思って、無理にやろうとすることをやめないと、きっと堂々巡りだ。そんなのちっとも気楽じゃない。気楽になるために努力するなんて矛盾してる。できないならやらなくていい。自分の尻尾を追いかけ回し続けると、いずれ目が回って吐き気がしてくるよ。
それで止まるのも悪くないかもしれないけどね。僕は遠慮させていただくよ。
1/20/2025, 8:01:07 AM