:視線の先には
誰かの記憶の焼き直しなんじゃないか。
「時折思う。この気持ちも経験も誰かの焼き直しだと。君と喋る内容も誰かの焼き直しで、そうだ、別に君じゃなくてもいいし僕じゃなくてもいい。そっくりそのまま、誰かの影を追いかけているだけ。僕は君じゃなくていいし、君も僕じゃなくていい。同じ言葉を違う人から言われたら、僕らは互いの代わりに違う誰かとこうして話していたかもしれない」
「デジャヴってやつだ。それを何度も体験する。前にも似たようなことがあった気がする。君が動揺して眉間に皺を寄せているのをひどく笑った記憶が。君は今無表情だというのに、僕にはうっすら困った顔をしているように見えるよ。もしかして僕らは前にもここで、こうやって対面していたのかな」
「喉が渇く感覚もある。自由に手足を動かすことだってできる。見てよ、足踏みだってできてるだろ? だから僕はそこにある扉から、このカビ臭くて埃っぽい部屋から出ていくことができるはずだ。出ていった記憶がある。僕はこの後君のことを『バカバカしい』と鼻で笑って、床を軋ませながらあの扉まで歩く。金色のまあるいドアノブを握って、振り返ろうとして、やめてしまうんだ。ギィと蝶番が唸る。それから勢い良く扉を蹴飛ばして閉めた。僕は今日初めてこの部屋に来たというのにそんな影を見る。誰かの記憶の焼き直しを、僕はこれからするつもりなのか。君は知ってるのか?」
誰かの記憶の焼き直しだ。君も、僕も。
僕らは違う誰かの心臓で生きている。僕らが生きているつもりでも、喉が渇いたつもりでも、手足を動かしているつもりでも、それはただ、僕らの脳と体が繋がってるからそう感じているだけで、僕らはただ、意識として存在しているだけ。この場合存在していると言えるかどうかも怪しい。
銀色は嫌だって言って幾らか前の奴が金色に塗装した。その次の奴が机と椅子を持ってきてこの部屋で組み立てていた。それからしばらくして窓ができて、誰かがレースカーテンを付けた。知らぬ間にグラスが二つ転がっていた。
扉を蹴飛ばして閉めた奴はひどくイライラしていて、何か棘のある言葉を投げかけられた。そうだ、「お前も誰かの記憶の焼き直しなんじゃないか」と。僕も誰かの焼き直し。
じゃあ一番最初って何だ。僕じゃないならじゃあ誰が。
「誰かの記憶の焼き直しを、僕はこれからするつもりなのか。君は知ってるのか?」
どうしてそこに、ぎもんをもつ。
誰を見ているんだ。
:手を取り合って
階段を降りるときに手を差し出したり、扉を開けて手を差し出したり、はぐれないように手を差し出したり。そうしたら「私、お嬢様じゃないよ」って軽やかに笑って先を歩くのだ。そんな後ろ姿が見られるから、見たいが為に手を差し出しているのかもしれない。つれない愛おしさで
歯を食いしばっている。さっさと手取れよ。早く取ってしまえ。とっととしろ。そうしないと「お前が手を取ったんだろう?」と責任と罪悪感を植え付けられないじゃないか。早く、一刻も早く!!早くこの歯軋りでお前のことを噛み砕きたい。
君の側で居られたらどれだけ幸せだろう。カラッとした爽やかな性格、まろいかんばせ、鮮やかな笑顔、歌うような柔らかい声、表情豊かな指先、真っ直ぐな視線。どこを切り取ったって様になる素敵な人。きっとどんな時間もどんなことも楽しくて、充実していて、飽きを知ることがないんだろう。
君と笑い合いたい。どうか私の手を取って。手を取らせて。共に手を取り合ってゆきたい。
早く手を取ってしまえばいい。
:これまでずっと
良くない。何もよくない。最高なんかじゃない。
人の柔らかい部分を土足で踏みつける行為が、人の優しさを火にかける行為が、傷つけてあざとかさぶただらけにする行為が、それが今でも、本当に最高だと思っているのか。
最高だと思ってるからそんな物語を好んできた。
好きだよ。暴力でしか人とコミュニケーションをとることのできない登場人物が。最低な手段でしか身を守ることのできないちっぽけな姿が。精一杯健気に自分を守ろうとしているのが好きだ。歪みきった根性が愛おしい。
好きだよ。可哀想な登場人物が好きだ。繊細で優しい人がポロッと泣いて崩れてしまうのが好きだ。殴られても尚相手のことを好きでいようとする人が好きだ。みんなみんな優しい。こういう優しい人たちが好きだ。自分の心を切り売りしてしまう自己犠牲的なところが好きだ。痛めつけられても傷ついても、小さくキラキラ光る心を活かそうとしてる、健気な人が好きだ。
可哀想で悲しくて、抱きしめてあげたくなれる。だから好きだ。慈しみたい。追悼したい。
可哀想なままで幸せな結末を迎えられないかとか、切ない終わりが良いはずだとか、そうやって立証したくて書いてみたり。
孤独と寂しさを埋めたかった。誰かと共感することで解消できる気持ちがあった、それが現実世界には存在しないただの物語の登場人物でも。
可哀想って愛せるのかなとか、可哀想って可愛いのかなとか、そういう感情になるロジックは何だろうとか。
とりあえず何でも書いてきたけど、現実世界とフィクションはやっぱり別ってことくらいだ。フィクションはなんでも美しく見えるから暴力も愛情って感じられたよ。フィクションの暴力性やグロさ、そういうの、美しいと思える。美しいよ。やっぱり可哀想って愛おしいと思ってしまった。だけど、なのに、やっぱり、現実世界の暴力が愛情とは、あんまり思えそうにないや。
現実の暴力も愛情だと思いたくてこれまでやってきたけど、やっぱり私には分からない。僅かな愛情と優しさを拾い集めて「ありがとう」と思ってきたけど、それが良いことだとは思えない。
現実で暴力を振るう人のことを好きだなんて思えない。思い込みたい。そしたら私は……本当に救われるのか?
殴る、蹴る、物を投げつける、刃物で脅す、腕を引っ張って体を引きずる、大声で怒鳴る、罵る、詰る、泣き叫ぶ、無視をする。こういう暴力の愛情はフィクションでしか成り立たない。心を壊した人が美しいだって?それだってフィクションの中だけだ。
現実はフィクションみたいに美しくならない。
もっと痛くて、もっと恥ずかしくて、もっと悲惨。
自分のことが愛せない、大事にできない、ウザい、引っ叩きたい、お前さえ生まれてこなければ。だって、無力で役立たずで「いらない」って見放された子を愛せるわけないじゃないか。殺してしまいたくもなる。そうだろ?
暴力を振るう側の心情も、振るわれた側の心情も、よく理解できる。
やっぱりどれだけあの人の方が悪いんだよって言われても私は悪いと思えない。どうしても、どうしても思えない。苦しかったのは事実で、辛くて怖くて死にたくなってたのも事実なのに、それでもやっぱり悪いだなんて思えない。
綺麗事を言いたいわけでもなければ保身のために言いたいわけでもない。怒られるのが怖いからとか、他人のせいにするなって詰られるのが嫌だからとか、そういう感情があったから思ってるんだろうと踏んでそう書いてきたけど、驚くほど、いえ、私にとってはなんてことない感情なんだけど、本当にあの人が悪いと思えない。
痛めつけたいと思うのはただ自分一人だけ。驚くほどあの人のことを恨んでいない。憎んでもない。これも生存本能なのかな。ああだから、ストックホルム症候群に似てるって。
痛いのは嫌だ。痛いのは怖い。自分が嫌なこと、他人にしちゃ駄目なんだから。
あれやこれやと辿ってきたけど、結局根底にあるのはただ怖いという感情だけ。結局暴力を好きにはなれなかった。フィクションならどれもこれも美しくなってくれるから好きになれるのに。現実もフィクションみたいに美しくなればいいのに。そうしたら私だってそれで「ああ良かった、美しいエンドね」って思える。
怒らないで、詰らないで、ごめんなさい、怒鳴らないで、話をきいて、ごめんなさい。って、そうとしか思えない。
最高だと思わないとやってられなかった。怖くても逃げられない、耐えざるを得ない、だから認識を捻じ曲げた。されたことを無理やり美化したいがために、誰も彼もを肯定したいがために、人を痛めつける行為は愛情だと、そう思い込みたかった。じゃなきゃ愛されてなかったって証明になってしまうものね。
暴力すら肯定し飲み込もうとしていた、必死になってそれが愛情でそれが正しいんだって思おうとしていた。恐怖で怯える日々を、それが日常で当たり前で特別変なことではないと捻じ曲げてでも認めようとした、でなければ生きられなかった。ただそれだけだったんだろう。
反抗的な態度を取っているより好意的な態度を取っていたほうが助かる確率が高いから、生き残るために半ば無意識的に犯人に好意を抱く、というストックホルム症候群と似ている。
ごめんなさいと泣く貴方のことを私は愛していた。硬直するしかできないほど恐ろしくても、どれほど酷い態度を取らせてしまっても、それでも私は貴方のことが好きだった。暴力を振るう貴方のことを私は認めたかった。ひとりぼっちだと嘆く貴方の味方になりたかった。貴方の要望に応えてあげられなかったことを気にしている。
こういうのが歪みなのかもしれない。私なりの愛情がそもそも変。とか。行き過ぎてる。境界線を引けていない。同一視してる。とか。何でも肯定するのが愛情だと思ってることが間違い。とか。歪んだ愛情、コンプレックス、拗らせてるって、こういうところかもしれない。何が変だったのか知らなかったけど、こういう気持ちを抱いてることがそもそも変だったんだ。
現実はフィクションじゃないからお涙頂戴はいらない。いらないのに泣いてる。それが気色悪い。フィクションみたいに「ああ良かったね」にはなれないのに。
ちゃんと暴力の痛みを知ってるつもりだ。人が人を殴る音も、呼吸が止まることも知ってる。知ってて尚現実世界でも暴力最高なんて言えたら、それはそれで幸せなのかな。
現実でも暴力が美しいとされるなら、私は喜んで
現実で暴力が最高とされてないから今私は生きてられてる。守って慰めてもらって、それって、暴力が悪いことだから、悪いことをされた人を保護しようって思ってくれてるから、だと思う。だから、恩恵を受けている私が、最高だなんて……。
美しいと思えるのはフィクションの中だけ。暴力が最高になってくれるのは物語の中だけだ。
「理解が及ばないものに対する反応は恐怖と美化である。未知のものに恐怖し、美化というある種の信仰心を抱くことで呑み込み、あたかも“理解している”と自身に錯覚させる」
正しくそうではないか。暴力が理解できなかった、だから恐れた、恐れてもどうしようもなかったから美化した。たったそれだけだ。
あの人は暴力しか知らなかった。だから手が出た。人を傷つける選択を無意識的なのか意識的にかは分からないが選んだ。たったそれだけのこと。
たったそれだけのことを、私はありのまま理解することを拒み、遠ざけ、自らより捻じ曲げていた。怖かったから。優しい愛情なんてものを受け入れてしまったらこれまでの努力が無駄になるとか、そんなプライドで。
反芻思考をしている。
「あのときもっと私が賢かったら違う事ができていたのに」「あのとき怯えず声が出ていたらもっと守ってあげられたはずなのに」「あのとき水を渡してあげればよかったのかな」
何度も過去を思い出し原因や理由を探し出して、ブルーディングが目立つ。そんなこともう今更なのに。
「自分に起こった悲しい出来事、粗末に扱われた事態は、こんなに日常茶飯事で、特別でも何でもない、よくあることなのだ」と思い込もうとしている。「悲惨な生活を送るのが似合う価値の低い人間だ」と思い込み、自らを貶め、悲劇の衝撃を和らげている。
「親切にされる意味が分からない、理解できない。雑に扱われた方がまだ理解できます」「私はどうしようもない人間ですから」「全て私の単なるつまらないエゴだったんです」「役に立たなかった、むしろ不要な存在だった、その証明でしょう」「こんなことをしていても不毛じゃないですか」
優しい人が好きだよ。優しい話だって好きだ。ハッピーエンドだって好きだ。キラキラ甘いお砂糖の味だって。だって幸せの味がする。甘いケーキの味、赤い苺の乗った一切れの幸せ。その瞬間だけ幸福を取り繕ってくれる。その瞬間だけ。ずっとは続かない。ずっと。
幸せな話よりいっそ残酷なほうがよっぽどマシだ。よっぽど幸せになれる。よっぽど。
「美しいと思えるのはフィクションの中だけ。暴力が最高になってくれるのは物語の中だけだ」「現実世界の暴力が愛情とは、あんまり思えそうにないや」
よっぽど。
ずっと続いていてほしい。ずっと幸せであり続けてほしい。
よっぽど心美しいんだろう?そんなこと言っちゃって。そんなもの全部嘘っぱちだ。そんなもの認めたら自分が可哀想ですものね。
認めちゃったら、幸せになれたり。
認めるわけにはいかないのだ。他者の幸せを素直にお祝いしてしまったら、見捨てられた過去の私はどうなる?あんまりだよ。
じゃあさっさと縊ればよかったのに。どうして気まぐれに愛したのですか?
「私が、貴方の幸せを認められない限り、私は、ずっと貴方の人生を蔑ろにしようとしているのと同じだ」
ずっと人生を蔑ろにしてきた。私が私の人生を蔑ろにして、それでやっと安心できると よっぽど私は 私に親切で残酷らしい。
「優しさも、幸せも、そんなもの束の間気まぐれでしかない」「いつかなくなってしまうようなもの、最初から欲しくありません」
優しい話が好きだよ。昔も、今も。私にとって優しい、心臓を突き刺すような痛くて、脳みそを包み込むような柔らかい話が。貴方が深夜一口くれた、ちょっとビターで濃厚なチョコレートケーキみたいな話が。
ずっとずっと好きだったよ。
貴方の暴力を愛したかった。
:街の明かり
嬉しそうに「好きな人ができた」なんて言うから、なんかムカついた。は?なんで?自分がいるのに?って言葉が喉までせり上がってきたけど、やっぱり続けて嬉しそうに「好きな人がいるって幸せなんだな」なんて言うから、急にどうでも良くなった。こいつは今までこっちのこと好きじゃなかったんだなって。いや自分もだけど。こっちだって別にお前のこと恋愛的に好きとかじゃないよ。でもムカついた。恋人なんかいらないじゃん、面倒くさいだけだよ。なのにさ、お前、そんな幸せそうに話しちゃって。勝手にしろよ。お前の惚気とか今後ぜっっってえ聞いてやんねえ。
全ての荷解きを終えてベッドに飛び込む。窓の外を見やると青紫の空が赤色を覆い隠そうとしていた。ふと気になって体を起こし、側にある窓を覗き込む。
六階からはいろんな景色が見えた。少し遠くの方にはオレンジ色やレンガ色の細長い建物がギュウギュウに建ち並び、もう少し視線を落とせば広めの公園があって、黄色い葉をつけた木がずらりと並んでいる。オレンジ色の街頭が石畳をぼんやり照らし出しているのが物珍しい。このオレンジの光も、石畳を歩き慣れるのにも、しばらくかかりそうだ。
見知らぬ街で一人、ここで生きていくのだ。あいつから逃げるように飛び出してきた、あの街へはしばらく帰らない。帰りたくない。お前の顔なんか見たくない。
道行く人々を眺めながら、そのコートあいつが着てたやつに似てるなとか、そのスニーカーあいつが好きそうだなとか、数年経って容姿も趣味も変わってるだろうに昔のお前のことばかり考えている。だって今のお前のことなんて何一つ知らない。
メッセージを未だに送ってくれてるみたいだけど、通知だけ見て返信はしてない。そのくせ今頃あいつは何をやってるだろうなんて思ってる。
誰かと揉めて怪我でもしてんだろ。だってあいつ、喧嘩っ早いし。相変わらず鈍くさくて、不器用で、要領悪くて、色んなことに苦戦してるに違いない。最近ひとり暮らしを始めたってメッセージが届いてたっけ。あいつ家事とかできてんのかな。レンジでさつまいもを炭に変えたことまだ覚えてるかんな。それからタルトを床にぶちまけたことも。人の誕生日覚えるのが苦手なのにせっかく覚えてやって、しかもお前が好きなベリーのタルトまで選んで買ってきてやったってのにさ。鼻歌混じりに冷蔵庫から持って来るほど上機嫌だった奴が、一瞬でやっちまったって顔で青ざめるもんだから、なんかもういっそ面白くて。
勝手に裏切られたみたいな気持ちになって飛び出してきて、一人で生きていくなんて豪語してたくせに、数年経ってもお前の事ばっかり思い出して考えてる。
忘れられない日々を作ってしまったからこの気持ちを飲み込むことができない。でもやっぱりもうそろそろお前に会いたい。だから、窓から見えるあの木の赤い葉が全部茶色くなって落ち葉になったら、最後の一つがひらひら落ちてしまったら、いよいよお前への気持ちを打ち消して、何食わぬ顔でお前の部屋の扉をノックする。久しぶりだなって。そしたらきっと「今までどこで何してたんだ!?」とか「返事くらいよこせよ!」とか言ってくるんだ。まあまあって誤魔化して、手土産に持ってきたベリータルト渡しながら「落としたりすんなよ」って揶揄ってやる。それでどつかれたら、すぐキレんじゃんやっぱお前相変わらずだわって笑って言ってやる。もし別人みたいに変わってたってそれはそれで構わない。だってお前のことなんて好きじゃないから、どんなお前でも別にいいよ。
:七夕
今日は7月7日なのに珍しく晴れたね。
この時期の晴れって好きだ。強い日差しに、青い空が濃く広がって、わくわくする。もう夏の空をしてる。
ここは田舎だから星が良く見えるよ。
あれがベガ、あれがアルタイル、あれがデネブで、繋げて夏の大三角。丁度真上にあるねぇ。ベガが織姫で、アルタイルが彦星。
誰かと星を見上げて指差すなんていつぶりだろう。
今日は記憶に残る日だ。きっと忘れたくない日。
指輪を貰った。7.July.って書かれてる。
初めて自分のリングサイズを知った。
果物がどっさり乗ったタルト2切れと4号のいちごのケーキ1台。今日はタルト、明日はいちごのケーキを食べる。
幸せってこういうことを言うんじゃないかな。
消えてしまいたい。ごめんなさい。幸せかもしれない。甘い。甘ったるい。コーヒーが苦い。つらい。苦味すら美味しい。幸せ。甘い。辛い。しょっぱい。寂しくない。幸せ。つらい。