:これまでずっと
良くない。何もよくない。最高なんかじゃない。
人の柔らかい部分を土足で踏みつける行為が、人の優しさを火にかける行為が、傷つけてあざとかさぶただらけにする行為が、それが今でも、本当に最高だと思っているのか。
最高だと思ってるからそんな物語を好んできた。
好きだよ。暴力でしか人とコミュニケーションをとることのできない登場人物が。最低な手段でしか身を守ることのできないちっぽけな姿が。精一杯健気に自分を守ろうとしているのが好きだ。歪みきった根性が愛おしい。
好きだよ。可哀想な登場人物が好きだ。繊細で優しい人がポロッと泣いて崩れてしまうのが好きだ。殴られても尚相手のことを好きでいようとする人が好きだ。みんなみんな優しい。こういう優しい人たちが好きだ。自分の心を切り売りしてしまう自己犠牲的なところが好きだ。痛めつけられても傷ついても、小さくキラキラ光る心を活かそうとしてる、健気な人が好きだ。
可哀想で悲しくて、抱きしめてあげたくなれる。だから好きだ。慈しみたい。追悼したい。
可哀想なままで幸せな結末を迎えられないかとか、切ない終わりが良いはずだとか、そうやって立証したくて書いてみたり。
孤独と寂しさを埋めたかった。誰かと共感することで解消できる気持ちがあった、それが現実世界には存在しないただの物語の登場人物でも。
可哀想って愛せるのかなとか、可哀想って可愛いのかなとか、そういう感情になるロジックは何だろうとか。
とりあえず何でも書いてきたけど、現実世界とフィクションはやっぱり別ってことくらいだ。フィクションはなんでも美しく見えるから暴力も愛情って感じられたよ。フィクションの暴力性やグロさ、そういうの、美しいと思える。美しいよ。やっぱり可哀想って愛おしいと思ってしまった。だけど、なのに、やっぱり、現実世界の暴力が愛情とは、あんまり思えそうにないや。
現実の暴力も愛情だと思いたくてこれまでやってきたけど、やっぱり私には分からない。僅かな愛情と優しさを拾い集めて「ありがとう」と思ってきたけど、それが良いことだとは思えない。
現実で暴力を振るう人のことを好きだなんて思えない。思い込みたい。そしたら私は……本当に救われるのか?
殴る、蹴る、物を投げつける、刃物で脅す、腕を引っ張って体を引きずる、大声で怒鳴る、罵る、詰る、泣き叫ぶ、無視をする。こういう暴力の愛情はフィクションでしか成り立たない。心を壊した人が美しいだって?それだってフィクションの中だけだ。
現実はフィクションみたいに美しくならない。
もっと痛くて、もっと恥ずかしくて、もっと悲惨。
自分のことが愛せない、大事にできない、ウザい、引っ叩きたい、お前さえ生まれてこなければ。だって、無力で役立たずで「いらない」って見放された子を愛せるわけないじゃないか。殺してしまいたくもなる。そうだろ?
暴力を振るう側の心情も、振るわれた側の心情も、よく理解できる。
やっぱりどれだけあの人の方が悪いんだよって言われても私は悪いと思えない。どうしても、どうしても思えない。苦しかったのは事実で、辛くて怖くて死にたくなってたのも事実なのに、それでもやっぱり悪いだなんて思えない。
綺麗事を言いたいわけでもなければ保身のために言いたいわけでもない。怒られるのが怖いからとか、他人のせいにするなって詰られるのが嫌だからとか、そういう感情があったから思ってるんだろうと踏んでそう書いてきたけど、驚くほど、いえ、私にとってはなんてことない感情なんだけど、本当にあの人が悪いと思えない。
痛めつけたいと思うのはただ自分一人だけ。驚くほどあの人のことを恨んでいない。憎んでもない。これも生存本能なのかな。ああだから、ストックホルム症候群に似てるって。
痛いのは嫌だ。痛いのは怖い。自分が嫌なこと、他人にしちゃ駄目なんだから。
あれやこれやと辿ってきたけど、結局根底にあるのはただ怖いという感情だけ。結局暴力を好きにはなれなかった。フィクションならどれもこれも美しくなってくれるから好きになれるのに。現実もフィクションみたいに美しくなればいいのに。そうしたら私だってそれで「ああ良かった、美しいエンドね」って思える。
怒らないで、詰らないで、ごめんなさい、怒鳴らないで、話をきいて、ごめんなさい。って、そうとしか思えない。
最高だと思わないとやってられなかった。怖くても逃げられない、耐えざるを得ない、だから認識を捻じ曲げた。されたことを無理やり美化したいがために、誰も彼もを肯定したいがために、人を痛めつける行為は愛情だと、そう思い込みたかった。じゃなきゃ愛されてなかったって証明になってしまうものね。
暴力すら肯定し飲み込もうとしていた、必死になってそれが愛情でそれが正しいんだって思おうとしていた。恐怖で怯える日々を、それが日常で当たり前で特別変なことではないと捻じ曲げてでも認めようとした、でなければ生きられなかった。ただそれだけだったんだろう。
反抗的な態度を取っているより好意的な態度を取っていたほうが助かる確率が高いから、生き残るために半ば無意識的に犯人に好意を抱く、というストックホルム症候群と似ている。
ごめんなさいと泣く貴方のことを私は愛していた。硬直するしかできないほど恐ろしくても、どれほど酷い態度を取らせてしまっても、それでも私は貴方のことが好きだった。暴力を振るう貴方のことを私は認めたかった。ひとりぼっちだと嘆く貴方の味方になりたかった。貴方の要望に応えてあげられなかったことを気にしている。
こういうのが歪みなのかもしれない。私なりの愛情がそもそも変。とか。行き過ぎてる。境界線を引けていない。同一視してる。とか。何でも肯定するのが愛情だと思ってることが間違い。とか。歪んだ愛情、コンプレックス、拗らせてるって、こういうところかもしれない。何が変だったのか知らなかったけど、こういう気持ちを抱いてることがそもそも変だったんだ。
現実はフィクションじゃないからお涙頂戴はいらない。いらないのに泣いてる。それが気色悪い。フィクションみたいに「ああ良かったね」にはなれないのに。
ちゃんと暴力の痛みを知ってるつもりだ。人が人を殴る音も、呼吸が止まることも知ってる。知ってて尚現実世界でも暴力最高なんて言えたら、それはそれで幸せなのかな。
現実でも暴力が美しいとされるなら、私は喜んで
現実で暴力が最高とされてないから今私は生きてられてる。守って慰めてもらって、それって、暴力が悪いことだから、悪いことをされた人を保護しようって思ってくれてるから、だと思う。だから、恩恵を受けている私が、最高だなんて……。
美しいと思えるのはフィクションの中だけ。暴力が最高になってくれるのは物語の中だけだ。
「理解が及ばないものに対する反応は恐怖と美化である。未知のものに恐怖し、美化というある種の信仰心を抱くことで呑み込み、あたかも“理解している”と自身に錯覚させる」
正しくそうではないか。暴力が理解できなかった、だから恐れた、恐れてもどうしようもなかったから美化した。たったそれだけだ。
あの人は暴力しか知らなかった。だから手が出た。人を傷つける選択を無意識的なのか意識的にかは分からないが選んだ。たったそれだけのこと。
たったそれだけのことを、私はありのまま理解することを拒み、遠ざけ、自らより捻じ曲げていた。怖かったから。優しい愛情なんてものを受け入れてしまったらこれまでの努力が無駄になるとか、そんなプライドで。
反芻思考をしている。
「あのときもっと私が賢かったら違う事ができていたのに」「あのとき怯えず声が出ていたらもっと守ってあげられたはずなのに」「あのとき水を渡してあげればよかったのかな」
何度も過去を思い出し原因や理由を探し出して、ブルーディングが目立つ。そんなこともう今更なのに。
「自分に起こった悲しい出来事、粗末に扱われた事態は、こんなに日常茶飯事で、特別でも何でもない、よくあることなのだ」と思い込もうとしている。「悲惨な生活を送るのが似合う価値の低い人間だ」と思い込み、自らを貶め、悲劇の衝撃を和らげている。
「親切にされる意味が分からない、理解できない。雑に扱われた方がまだ理解できます」「私はどうしようもない人間ですから」「全て私の単なるつまらないエゴだったんです」「役に立たなかった、むしろ不要な存在だった、その証明でしょう」「こんなことをしていても不毛じゃないですか」
優しい人が好きだよ。優しい話だって好きだ。ハッピーエンドだって好きだ。キラキラ甘いお砂糖の味だって。だって幸せの味がする。甘いケーキの味、赤い苺の乗った一切れの幸せ。その瞬間だけ幸福を取り繕ってくれる。その瞬間だけ。ずっとは続かない。ずっと。
幸せな話よりいっそ残酷なほうがよっぽどマシだ。よっぽど幸せになれる。よっぽど。
「美しいと思えるのはフィクションの中だけ。暴力が最高になってくれるのは物語の中だけだ」「現実世界の暴力が愛情とは、あんまり思えそうにないや」
よっぽど。
ずっと続いていてほしい。ずっと幸せであり続けてほしい。
よっぽど心美しいんだろう?そんなこと言っちゃって。そんなもの全部嘘っぱちだ。そんなもの認めたら自分が可哀想ですものね。
認めちゃったら、幸せになれたり。
認めるわけにはいかないのだ。他者の幸せを素直にお祝いしてしまったら、見捨てられた過去の私はどうなる?あんまりだよ。
じゃあさっさと縊ればよかったのに。どうして気まぐれに愛したのですか?
「私が、貴方の幸せを認められない限り、私は、ずっと貴方の人生を蔑ろにしようとしているのと同じだ」
ずっと人生を蔑ろにしてきた。私が私の人生を蔑ろにして、それでやっと安心できると よっぽど私は 私に親切で残酷らしい。
「優しさも、幸せも、そんなもの束の間気まぐれでしかない」「いつかなくなってしまうようなもの、最初から欲しくありません」
優しい話が好きだよ。昔も、今も。私にとって優しい、心臓を突き刺すような痛くて、脳みそを包み込むような柔らかい話が。貴方が深夜一口くれた、ちょっとビターで濃厚なチョコレートケーキみたいな話が。
ずっとずっと好きだったよ。
貴方の暴力を愛したかった。
7/12/2024, 5:34:48 PM