たまには
列車に乗って
海に行こう。
君の思いつきで、僕らはこうして電車に揺られている。時刻は調べずに、来た電車に乗って行こう、と無計画な旅。折角の春休みだから、といまいち理由にならない理由に頼って、僕らは並んで揺られていた。
日が傾き始めた15時過ぎ。海水浴場に着いた。夏を忘れたように、冬の海は静かだった。
「思ってたより寒い!」
君は両手を広げて笑った。
長い髪が潮風に舞うと、君は急いで前髪を押さえて、そのまま砂浜を進んでいく。僕はその後をゆっくりと追いかける。夕日の乱反射する海と君の後ろ姿。口を開きかけた僕に、
「綺麗だね」と君は振り向いて笑った。
「綺麗だ」
帰りの電車はほとんど無口に、ただ車窓を流れる景色を見ていた。日が沈んだ真っ暗な景色を。
「夜だね」
「早いね」
帰りはやけに早く感じた。同じだけ時間が掛かっているはずなのに。このまま駅に着いてしまうのだろうか、と不明瞭な不安に襲われた。
「次はどこ行こうか」と僕。思い出して、折角の春休みだから、と理由を添えた。
「次は……」君は暫く考えたあとにふっと微笑んだ。
——理由のいらない旅がしたい。
現実逃避
誰にだって目を背けたくなるようなものはあるだろう。
私の場合、たまたまそれが「現実」だっただけで、不思議なことでも特別なことでもない。
梅雨明け。すごく暑い日が続いた。ニュースでは連日の猛暑だとか、最高気温更新だとか言っていた。そんな日が続いたとして、私たちは学校に通わなければいけないわけで、その日も扇風機の音がうるさい教室でじっと座っていた。
読書感想文を書こう、という話だったはずだ。図書室にある本でいいからとにかく提出しろ、と。夏休みのお決まりの宿題。読書感想文。なんでもいいから、と言われたのを逆手に、私は絵本を選んだ。実に捻くれていた。
「この辺じゃ、だれでも狂ってるんだ。俺も狂ってるし、あんたも狂ってる。」
「あたしが狂ってるなんて、どうしてわかるの?」
「狂ってるさ。でなけりゃ、ここまでこられるわけがない」
そう言ってチェシャ猫がにんまりと笑う。
こんなことになるなら素直に向き合うべきだった。酷暑も面倒くさい宿題も、今よりずっとマシだ。私はため息を一つ吐いて、またウサギを追いかける。
物憂げな空
私は昔から心配性だった。
石橋を叩いて叩いて、叩き壊してしまうほどに。何度も何度も繰り返し繰り返し確認して確認して、やっと半歩進むような性格だった。
今日の面接もしっかり準備して臨んだ。
志望動機、質問と返答、自分の長所、短所、就活用のメイク、表情、目線にすら気を遣って。なのに、失敗した。
——最近嬉しかった事などを教えてください。
アドリブへの対応力がなかった。というか、そもそも最近嬉しかった事がなかった。学生のままでいたかったし、働きたくなんてなかった。将来の夢なんて、小学生の頃でさえ思い浮かばなかったくらいだ。卒業文集には「六年間の思い出」という題で下手な文を書いた。
ため息を空に吐いた。すると、最近は空を見上げることもなかったな、とふと思い出した。空は分厚い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうだった。
空を見上げるのは幸せな証拠だと思っていた。晴れやかな気持ちで笑顔を送るものだと。でもそれは私の、勘違いだった。
私が生まれるよりずっとずっと昔からこの空はあるのに、それでさえ曇ることがあるんだ。だから大丈夫。暗く重たい空に励まされているような気がして、なんだか笑ってしまった。
「帰ろう」
そう空に告げて、躓かないように足元を見て歩いた。