背の高い薄の野原を和真は歩いていた。時々振り返り
「本当にこっちか?まだ行くのか?」
と尋ねる。
後には狐がいた。
狐は話さず、頷いたり首を振ったりして意思を伝えているようだった。
「まったくどうしてこんなことに……」
などと呟きながら和真は行く。
薄を掻き分け掻き分け歩いているうちに、地面の感覚が変わってきたように思えた。これまでのフワフワした感触から、石が敷き詰められたような硬い感触。ゴツゴツしていて安定も悪い。
気付くと石畳の街に着いた。気がつくと薄もない。
「あれ?」
と和真が驚いていると、後から勢いよく狐が駆け出した。
その先には、大きな狐がいた。
大狐は和真に
「ありがとう。お陰で息子は無事に戻ったた。礼をしよう。」
と声をかけた。低い、くぐもった声だった。
「いや、礼なんて。仕事だから、報酬を」
と和真が応える。
ふむ、と大狐は少し考えた様子で、やがて一包みのなにかを渡してきた。
「報酬ということなら、これの方がいいかな。帰って渡してほしい」
気がつくと、和真は薄の野原にいた。さっきまで狐を連れて掻き分けていた薄原だった。
空を見ると雲一つない秋晴れ。
あれは幽玄というやつだろう。深入りされたくなかったのだな。
和真は納得していた。
これから一ノ瀬よろず相談所へ帰らなくてはならない。所長の一ノ瀬にこの包を渡さなくては。
「まったく、よろず、なんて名付けるから、ああいうわけわかんない奴が相談しに来るんだよ」
やがて薄原をあとにして、和真は町へ帰っていった。
その日は学校も休みだったので、家でスマホばっかり眺めていた。
気になる人や友達のSNSもニュースもウィキも眺め終わったので、どうすべと何となくYouTube見てた。
ぼんやりとおすすめをいくつか聞いたり見たりしているうちに、不思議なアーティストを見つけた。
サムネはなんだか暗いんだけど、写ってる人の格好が気になった。
着物みたいなものを着て、狐みたいな仮面を付けてる。
ちょっと気になってタップましたのが間違いだった。
音はなんだかDTMみたいで、あれ、和風じゃないんだ、と思った。サウンドもテクノっぼまいような。
そのリズムが独特だった。なんというか、心臓の鼓動と微妙に違うからか、クセになるような。
気付くとそのアーティストの曲ばっかり、気づいたら2時間位聴いていた。
お腹すいた。ご飯作ろう。
とキッチンに立ってもできた料理を食べてる時も一息入れている時も、気付くとあのリズムを思い出していた。
それから学校行っても友達と話していても部室でダベっておても、ふとした瞬間にあのリズムが甦るようになった。
それから何を見ても何処に行っても、思い出はあのリズムと共にある。
しまった。
忘れたくても忘れられない。
その日は晴れていた。雲一つもない快晴である。秋の初め、まだ威力が強い太陽の光が地面や海面を照らし、上昇気流を作り上げていた。
それを待っていた者がある。
鳶である。
翼を広げると160センチにもなり、その翼に上昇気流を受けて高く飛ぶ。よい気流をつかまえればその高度も増すことができる。
次々と周囲の鳶が高く舞っていく中、その鳶はまだ松の木に留まっていた。その年に生まれ巣立ちから日も浅い若鳥である。
理屈はわかる。翼に風を受けることも何度もできてはいる。だが、あんな高度まで舞い上がったことはない。
若鳥は戸惑っていた。あんな高さでもしバランスを崩したら?気流を受け損なったら?自分がまだ知らない事態に対応できるのか?そう思うと踏み込めなかった。
そこへ、鴉がやってきた。鴉は鳶とは仲が悪い。鴉と鳶とは、求める餌が被ることも多い。知らずに鴉の餌を横取してしまい集団の鴉に追われることもある。鳥はどだい高度を取ったほうが心理的に優位になるものだが、そこは鳶の得意分野だ。
なので、鳶は少し身構えた。鴉は戯れに他の鳥や動物を突くこともあるからだ。
「あんたはなんでいかないのさ」
鳶は驚いた。鴉と鳶とは使う言葉が異なるため、互いに何を言っているのかはわからないものだ。だがこの鴉は自分にもわかる言葉で話しかけてきた。
「あの……なんでしょうか……」
恐る恐る鳶が尋ねる。伝わるのかな?
「いやね、鳶の皆さんは気流を掴むのが上手いなって。そりゃ儂らも気流を使って高くまで飛ぶよ?でもあんたらには敵わないなって、いつも惚れ惚れして眺めてんだよ」
変わった鴉だな、と若い鳶は思った。鴉は鳶を見ると集団でぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるものなのに、そんな相手に惚れ惚れだなんて。
「心配なんです。あんな高くまで飛んで、もしバランスを崩したらどうなってしまうんだろうって」
まだ巣立って間もない頃、台風の名残の強風を受け損ない、木の枝に打ち付けられた事がある。幸い羽に怪我はなかったが、打ち付けた腹はしばらく痛かった。
「大丈夫だよ、あんた鳶だろ?風にさえ乗ってしまえば、あとはあんたの本能が教えてくれるさ」
本当だろうか。本能は確かに翼の使い方を教えてくれたが、あんな高度での身のこなしまで教えてくれるものだろうか。
「まあいいさ、儂も少しは風に乗れる。ちとあんたに教えてあげれるだろ」
なんでこの鴉はこんなに世話を焼くんだろ、と不思議がる若鳶に、鴉は翼を広げてみせた。
「ほら、気流はわかるだろ。そこに羽を被せれば」ふわりと浮かぶ。「まずはやってみな」
訝しながらも若鳶も羽根を広げる。言われなくとも昇る気流はよく感じる。そこに翼を被せるようにすると、ふわりと体が浮いた。
「そう、その調子」
鴉の声に合わせて、昇る気流の角度に合わせて右へ、左へと翼を傾けているうちに、ずいぶん高く上がってきた。
ふと見ると、鴉は自分より下にいる。
「どうしたんですか」
「儂らにゃあここまでだ。やはり鳶は上手いね」
慌てて鳶が鴉に尋ねた。
「あの、どうしてこんなに親切に」
「いやあね、」と鴉がきまり悪そうに答えた。
「あんたの前の年に生まれた、同じ親御さんの卵。昔割っちゃってね」
あの日もいつものように鴉と鳶とで揉めていた。きっかけは、鴉が狙っていた獲物を鳶の誰かが掠め取ったことだった。それを知った鴉達は、集団でその鳶を追いかけていた。たまたまその鳶が止まったのが、目の前の若鳶の両親が営巣していた巣であった。気が高ぶっていた鴉たちは鳶に次々と体当たりをしていたが、揺れた木が巣の中の卵を全て落としてしまった。あともう少しで孵るとこだったのに。
「あんたの兄弟は死なせちまったけど、あんたは元気そうだし、そうやって餌を取って卵を産めれば」
もう鴉の声は聞こえなかった。若鳶は高く高く飛んでいた。他の鳶たちと合流し、上昇気流を舞っていた。
鴉はその姿を眩しそうに眺め、やがて去っていった。
さあさ、お立ち会い。紳士淑女の皆々様、今宵は我がショーにおいでいただき、誠に有り難く。皆様方を日常では味わえない世界にご招待いたします。さて、皆様は獣人というものをご存知かな?そう、昔の映画や舞台、小説でお馴染みの狼男。普段は人間で、満月の夜になると獣に変化してしまう。今宵ご覧いただくのは、その獣人でございます。とは言っても、フィクションの獣人とは違い、満月の夜でなくとも変身いたします。どういうことかって?それはこの獣人の身の上話を聞いていただければわかります。聞くも涙、語るも涙。とある獣人少女の哀れな身の上にございます。
この少女、名前はジェシーと申しまして、当年取って17歳。いままさに花開かんとする可憐な乙女にございます。生まれはアルファ・ケンタウリ、そう地球からわずか4.2光年、プロキシマ・ケンタウリの惑星でございます。そんな星からどうやってこの小屋へ?まあまあ、それはこれからお話いたします。
皆様既にご存知のように、プロキシマ・ケンタウリの惑星は、我々と同じくらい、ヘタしたらそれより上の科学技術を持っております。地球から移民のための調査船がアルファ・ケンタウリまで到達したというニュースはまだお耳に新しいかと存じます。そこで地球人を待ち構えていたのは、高度な文明を既に築いていた獣人たちだったのであります。このニュースも大分世間を騒がしていたので皆様のご記憶にも新しいでしょう。
さてその高文明、我らが地球の遥か上。にも関わらず、これまで彼らが地球にやってくることはなかった。それは何故か。
それは彼らの素晴らしく平和的な性格にあります。彼らの中にも多少の諍いはありますが、相手を殺害するには至っていませんでした。
コンラート・ローレンツをご存知ですかな?そう、前時代に動物行動学を立ち上げた、偉大なる生物学者でございます。彼の著書『攻撃〜悪の自然史』で、相手を一思いに殺せる武器をその身に持った生物は同じ種族の間で殺しを回避するサインがあるが、ハトのような武器を持たない種族を閉じ込めると相手を殺すまで攻撃し続けるという、有名な指摘があります。
ご存知ない?ご存知なければ是非ご一読を。いかに生き物が同じ種族同士の殺し合いを避けているか、ということがよくわかります。
さてアルファ・ケンタウリの先住種族である彼らですが、その身は我々の知る狼のような姿をしております。毛深い身体に大きな尻尾、ギョロリと睨む瞳に尖った耳。その手には鋭い鉤爪をもち、口の中には大きな犬歯が覗きます。
我々地球の人類が遥か昔に猿の仲間から進化したように、アルファ・ケンタウリの獣人たちは犬に似た生き物から進化したのかもしれません。
そんな彼らはその身体に相手を殺せる十分な武器を携えています。それ故か、彼らは決して同種族を殺そうとはいたしません。首元や胸など自分の急所を見せることで、相手の戦意を喪失させるのです。
ところが我々地球人類は、丸腰で相手を殺せるだけの武器はありません。ハトを思い出してください。彼には武器がありませんが、速く遠く飛べる翼があるため殺されそうになれば飛んで逃げればよいのです。ですから彼らは殺しを止めるサインが必要ない。閉じ込められた空間で殺し合ってしまうのはそのためです。我々地球人類も同じ。元々は目の前の人間を殺すことには大きなストレスを感じ、それが殺しを抑制させていたのですが、人類はそのストレスを軽減させる発明を行ってきた。それが弓であり銃であり大砲であり爆撃機であり、ついには遠隔で爆弾を落とすまでになった。殺すことに恐怖も罪悪感も起こさないように発展してきたのです。
そんな両者が出会ったらどうなるか。
我々人類は同種同士でも兵器で大量虐殺を行った。南北アメリカの先住民族、オーストラリアの先住民族、アフリカ各地の先住民族、太平洋諸国の先住民族、彼らがどのような目に遭ったことか。
同種族でも残酷な虐殺ができる我らと、いかに同種族同士の争いを避けるかを考えてきた彼ら。
そう、星間防衛軍司令官の皆様方ならあの星で起こったことをよくご存知かと存じます。そう、あのイーオンの虐殺です。
おっと、話はまだ終わっていませんよ。扉は全て閉まっています。通信もできませんよ。お座りください、お座りください。
よろしいですか。よろしいですか。そう、あの少女、獣人の少女です。少女だけではない。少年もいます。青年もいます。あの虐殺を生き抜いた者たちです。お座りください、お座りください。もう手遅れです。間に合いません。皆様、皆様、さあごろうじろ!
カーテンが開いた。舞台には獣人の少年少女、青年たち。
皆機関銃を構えている。
四方の扉からも銃を構えた獣人の若者たちが飛び込んできた。
目に涙をためて。
そして、引き金は引かれた。
O-6721番は汎用性家事サポートロボットである。サタケテクノロジーの主力商品だ。掃除や洗濯はもちろん、料理や公共手続きや各種料金支払いもできる。1台あたりは平均年収の2倍ほどで割高だが、自家用車とどちらか迷った末に購入されるほど普及している。経済の低迷で賃金が下がり、老後まで現役で働く人が多い中、家事一切を肩代わりしてくれる機械なんて、あって損なことはない。製品名が「ナニー シグマ」なせいか、「ナニ」と呼ばれることが多い。
14歳のカオルは最近いつも苛立っていた。両親の言う事も先生の教え方もニュースから知る社会情勢も、何もかもが気に入らなかった。友達とはそれなりに気を使って付き合ってはいたが、本心を知らせ合うこともほとんどなかった。
「ああ、なんかないかなぁ!」
と苛立って声を荒げると、ナニが近寄ってきた。
ナニーシグマには家族の感情サポートの機能もある。
「カオル、ドウシマシタ?」
カオルはナニには刃向かえない。仕事に忙しい両親は、ほとんどの育児をナニに任せてきた。子育てを担うことも多いナニーシグマは、子供の精神的ショックを防ぐために、外装は15年以上保つように定められていた。カオルにとって、ナニは実の両親以上に両親だったり
「アナタハ チイサイトキカラ ソウデシタネ。ナニカ キヅツクコトガアレバ イライラトコエヲアラゲテ。ナニカアッタノ?」
殆ど泣き顔になっていたカオルは、ナニに訥々と訴えた。先生に態度を注意されたこと、庇ってくれると思ったていた友達に顔を背けられたこと、本当の友達なんていないんじゃないかと危惧していること。
ナニは何も言わずに聞いていた。やがて
「ココロオドルオンガクヲカケマショウ」
ロボットの心が躍る音楽って、なんだろう。とカオルが思っていると、音楽が流れ出した。
カオルが幼児教育を受けていたとき、よくナニがかけていた曲。幼かったカオルはこの曲に合わせてよく踊っていた。
ナニは、あの時の光景を「ココロオドル」と判断したのだ。ロボットなりの状況判断だった。今のカオルにとっては既に感慨も持たない曲だが、幼いカオルを喜ばそうとしていたナニの、それはもう気遣いと言っても差し支えないのではないか、そんな心境になってしまって、涙が止まらなくなっていた。