うわ、びっくりした。と、いきなり驚かれた。
なんだよ、大げさだな、来て悪いかよ。と、毒づくと、
いやいや悪かったよ。君が悪いんじゃない。ただね、今ちょっと怖いことがあってさ、なんて気になることを言う。
どういうことだよ。
実を言うとね………この前さ、ネットで知り合った女の子がいるって話をしたじゃん、その子なんだけどさ。どうも厄介な子らしくて。最初は俺の通勤先とか聞いてきて、ま、答えちゃったのが悪かったんだけどさ、職場の最寄りまで待ち構えるようになっちゃってさ。いやいやここには来ないでよ、って頼んだら、今度は通勤ルートを割り出されちゃって、帰りに駅とか電車で待ち伏せされるようになっちゃってさ。最初はまぁいっかってたまに食事したりさ、今思うとそれも悪かったんだけど。なんかそのうち俺の友達関係?女の子の友達とか同僚とかそういうの気にしだして。君に関係ないよね?って牽制してたんだけど、あんまりしつこいから帰り道変えたらさ。今度は通勤時間を割り出されちゃって、待ち構えられてさ。いやー、朝だから、家出るのも起きるのも早まるから変えたくなかったんだけど、しょうがないから通勤ルートも変えてさ。そしたら今度は家まで割り出そうとして。LINEとかでしつこく聞かれてさ。誤魔化してんだけど時間の問題かもしれないって。そんな時に突然の君の訪問。そりゃあ驚くよ。
と、説明してるところで、インターフォンが鳴る。
あの、斎藤ですけど、宮城さんのお宅ってここですよね、やっとお家がわかりましたので。
とモニターから若い女性の声がする。
まいったな、と葉月は呟いた。
図書館に籠もり、閉館時間だからと追い立てられてエントランスに出ると、豪雨だった。
戻ろうにも図書館は閉まってしまうし、司書に頼んで雨宿りさせてもらおうにも、追い立てたあの顔色を思うとそれも無理そうだった。
まさか降るとは思わず、傘の用意もない。
視界が効かないあたりを見渡すが、近くに雨宿りできそうなところも無かった。
まいったな、と再び呟き、道の向こうに確かあった電話ボックスまで、雨に濡れる覚悟を固めているところに、車がきた。
町が運営するコミュニティタクシーだ。
助かった、と乗り込む。
良かったです、あのままでは雨に佇むことになりました、と声をかけると、人の良さそうな笑顔の運転手が、大変でしたねぇ、と労ってくれた。
とりあえず、駅まで。駅ビルのショッピングセンターで雨が止むのを待って、歩いて帰ろう。
道すがら、運転手は話をした。町の交通機関のこと、道路の舗装の話、町の役員だったが退職して運転手をしているとのこと、町の観光スポット、小さな石仏の話。
この町にはあちこちに小さな石仏があるということだった。いつからあるのか、誰が造ったのか、何を祀っているのかなど、細かなことはわからない。だが地域の老人を中心に、それぞれの石仏を熱心に拝んでいるらしい。どんなご利益があるのかもよくわからない。
信心深い人が多いんですよ、と運転手はどこか自慢気だった。
まさに葉月が調べていたことだった。
もっと詳しく聞きたいが誰に聞くといいか、と尋ねたところで駅についた。
運転手は、さあて、町の教育委員会かどこかに尋ねるといいんじゃないかねぇ、と答えた。
料金を払ってバスを降りる。町の役所も閉まってる時間だ。メールか電話で尋ねて、今度は役場へ行くことになりそうだ。
糸口は見つかった。
雨はまだ降っている。
日記帳を持ち歩いていた。文庫本サイズの罫線も何も印刷されていない、白い日記帳。文を書くのもよし、絵を書くのもよし。日々思いのままに書き連ねていた。
当然、サマーキャンプにも持っていっていた。小学校の配布物の中に案内があり、両親を説得して参加した。
あのときの熱意は何だったのだろう。
初めてのサマーキャンプ。友達と示し合わせたわけでもなかったので、参加者に知ってる子はいなかった。他の子達は友達同士で参加していたようで、私は一人だった。
寂しかったわけでもない。すぐにグループに入ることもできた。学校のクラスにはいないような、明るくサバサバした子達のグループ。特に仲間はずれにされることもなく、みんなと楽しくキャンプしていた。
そんな日々のことも日記に書いていた。見せて、と言われて見せたこともあるし、グループのみんなにイラストを描いてもらったこともある。
そんな日記が、ある朝無いことに気がついた。
グループのみんなにも探してもらったし、引率のお姉さんにも訴えた。それでも見つからずに3日が経った。
その朝、朝食の時間にある男の子のグループが騒いでいた。そのグループの男の子は、私のグループの女の子たちと仲が悪いようだった。うるさいな、とちらりと見ると、男の子たちが代わる代わる何かを持っていた。
私の日記帳。
返して、と声を張り上げると、びっくりしたように私を見た。
お前のだったのかよ、てっきり……と、グループの他の子の名前を挙げていた。
返してもらった日記帳は、心なしか表紙が荒れているようだった。中のページも所々折れている。
ページをめくる。私の書いた文や絵。みんなに書いてもらったイラスト。
その後に、書いた覚えも見た覚えもないマンガが描かれていた。あのグループの男の子の悪口を書いたものだった。続くページには、別の筆跡で先ほど名前が挙げられた子の悪口が書かれていた。
ああ、グループのあの子が、私に黙ってこんなマンガを描いて、皆で笑ってたのか。私の日記帳なのに。
その後、私はそのグループから離れて、残りの2日間を過ごした。
「相席、いいですか」と尋ねながら、その男は座ってきた。私は少し目を上げて頷くと、そのまま本を読み進めた。
こうして向かい合わせになると、奇妙な緊張感が生まれる。
男は運ばれたコーヒーを啜りながら、辛うじて聞き取れる声で囁いた。
「ターゲットは情報通り、日課のランニングを始めている。コースもいつもと同じだ。その後は自宅に戻り、車で職場に向かう。チャンスは車に乗り込むまでだ。」「ガレージは」「外」「了解」
会話はそれだけ。私は本を少し読み進め、席を立った。男はゆっくりとコーヒーを啜っている。
ターゲットの自宅はカフェから5分ほどのところにある。カフェの前はランニングコースだ。
いた、あの男だ。派手なイエローのランニングウェアの男が私を追い抜いて走って行った。そっと後を追う。
家は分かっている。シャワーと着替えをする時間を見計らって家の前に着く。道路に面したガレージにライトブルーのスポーツカーが停まっていた。ちょうどその時、スーツ姿のターゲットが玄関から出てきた。運転席に近づき、乗り込もうとした男に声をかける。
「近藤尚臣さんですね。少しお話いいですか。あなた、出向先のTG社で顧客データを持ち出しましたね。」一息に畳み掛けると、男は驚愕した表情で固まった。「いえ、あなたを告発するつもりはないんですよ、そのデータを買い取らせていただこうかと。少し色をつけていただけると嬉しいんですが。」
キーを取り上げ、不安気な男を助手席に乗せ、私は車を走らせた。
「ど……どこへ……?」震えながら男が尋ねる。無理もない。
車は港へ向かい、寂れた倉庫へと向かっていった。
案外悪くないもんだな、とメジロは思った。食べるものも飲むものも確実に出てくるし、床も汚すとキレイにされるし。
特段飛ぶことに喜びもなかったんだよな、食べ物を探すためとかにせざるを得ないだけだったし。
窓際から空を眺める。葉の間の光も枝をそよがす風も、こんなにのんびりと味わうことだってできなかった。いつ自分や仲間を襲う敵がこないかと警戒していたし、雨宿りの場所の確保も大変だった。
空調の効いたリビングで、鳥かごの中のメジロは微睡んでいた。
そうだ、冬の寒い間だけは仲間と一緒だった。食べ物の位置や敵の存在を教え合い、なにより皆で固まると寒さをしのげた。
時には違う種類のやつらとも一緒だったな。お互いの鳴き声の意味を教え合ったものだった。
ガツンと揺れた衝撃で、メジロは目を覚ました。入っている鳥かごが床に落ち、入口が開いている。その向こうに大きな影がこちらを見つめていた。「ニャア……」
あの生き物は、外でも見たことがある。枝の下から熱い目で見つめ、地面に降りた仲間が捕まって連れ去られることもあった。
咄嗟に違う種類から教わった警戒音を口にした。
ヂヂヂヂヂ……
それがメジロの最期だった。