【再興】
最近、かつての感覚を取り戻し始めている。
というのも、子供の頃に面白いと思えていたものが再び面白く感じられるようになったのだ。
あの時間帯に観てたドラマ、
あの時間帯に観てたバラエティ番組、
あの頃読んでた本、
あの頃聴いてた曲。
ここ数年間、つまらないと感じていたものが再び面白いと思えるようになった。
まだまだ、大人にはなりきれていないんだな。
午後8時。
あの番組が始まる。
私はリモコンを手に取った。
子供の頃のように。
【放課後まで】
放課後の教室が好きだ。
HRが終わって、掃除が終わって、
どんどんみんなが帰っていって、
私達だけになる。
休み時間よりも給食よりも、何より一番楽しい時間だ。
放課後の教室では、今日も友達と他愛もない話を繰り広げるのだ。
「私の推しね、今日が誕生日なんだ〜!」
「え、だれだれ?」
「えーっとね、この子!」
友達が鞄から雑誌を取り出して、ある男性を指指した。
「え、カッコいい!」
「この人俳優なんだけどさ、最近めっちゃテレビに出てるんだよね〜!
今度、月9の主演やるんだってさ!」
流行りに疎い私は、その俳優がそんなに人気だと知らなかった。
流行りに疎いせいで話についていけないことも多々あるが、別に苦しくは無かった。
時計が5時を指した。
「あ、もうそろそろ帰らなきゃ」
本当はまだここにいたいけど、みんなで帰ることにした。
「明日って歴史あるっけ?」
「あるよ〜」
「うわー嫌だな―。先生の声、睡眠導入剤すぎない?」
「もはやあれは催眠術でしょ」
帰り道もみんなと笑い合う。
この時間がずっと続けばな、なんて思う。
「じゃあね〜」
分かれ道で友達と別れた。
友達の背中を見届け、私は帰路についた。
俯きながら。
「…ただいま。」
家に帰ると、今日も両親が口喧嘩をしていた。
私は音を立てないように2階に上がり、自室に籠った。
私が笑えるのは、学校にいる間だけ。
放課後まで。
【カーテンが翻れば】
「ほ、本当ですか…!」
受付の人の言葉に、私は目を輝かせた。
「はい、橋本大智さんの入院記録が残っています。」
「え、えと、主治医の先生はいらっしゃいますか?」
「少々お待ち下さい」
待つこと10分、待合室の椅子に座っていた私の元に、60代くらいの小太りの男性がやってきた。
「あなたが太智さんの娘さんですね?」
「は、はい…!娘の橋本海愛と申します。
生前、父がお世話になっていました。」
私は深々と礼をした。
「太智さんの担当医の神崎と申します」
病院内を歩きながら、神崎先生は生前のオトウサンの話をしてくれた。
「太智さんはね、中庭でギターを弾いたり、時には小児科の子供たちと楽しそうに話していましたよ。月に一回、中庭でライブをしたり…」
「え、父がそんなことを?」
「ええ。中庭でちょっとしたライブをしてくださってね。
音楽と医療は相性が良くて、患者さんの心理に影響を与えるんですよ。
いわば、音楽が活力になっているというか。
だから太智さん自身も、他の患者さんも、元気になっていたというか。
お礼を言うのはこちらかもしれませんね、ハハハッ」
そうか、オトウサンは注目を浴びたかったんだ。
いや、ただ注目されたいんじゃない。
他人を巻き込みたかったんだ。
「ここが中庭ですね。
ここは患者さんがひと息つけるような、癒しの場所でもあるんですよ。
入院していると外に出ることがありませんからね。」
私は中庭を見回した。
辺りには鮮やかな木々、そして中央には大きな木とベンチが見えた。
「おっと、ごめんなさい。
診察に行かなければ。」
「お忙しい中ありがとうございました」
「いえいえ、どうぞゆっくりしていってください。」
神崎先生は会釈をし、病棟へと消えていった。
一人残された私は大きな木の下にあるベンチに腰掛けた。
こうしてみると、とても癒される。
神崎先生の言う通り、癒しの場所だ。
ここでオトウサンのミニライブがあったなんて。
きっと、それ幸せ以外の言葉が見つからない空間だったのだろう。
ずっと景色を眺めていると、隣に年老いた女性が座った。
「お嬢ちゃん、家族のお見舞いかい?」
「あ、えっ、えっと、そうです」
本当はちょっと違うけど、焦って咄嗟に嘘をついてしまった。
「いいとこよね、ここは。
入院生活じゃ外に出られないんだもの。
ここはやっぱりいいね、お嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「そうですね、空気がおいしいです」
「そうよね。
私、病室のカーテンが風に靡く度に
『外に出たい』って思うのよ。
だけど私は重い病気を抱えているから、もう外には出られない。
だから、ここに来れば自然に還ることができるのよ。
……そろそろ病室に戻ろうかしら。
お医者様が待っているわ」
年老いた女性は重そうに腰を上げ、杖をつきながら去っていった。
私はその背中を見ながら思った。
オトウサンの演奏は殆どの人が知らないんだ。
かつて、ここでミニライブがあったことなんて、殆どの人は知る由も無いのだ。
病院を去る前に、私は屋上へと向かった。
屋上への階段を登り扉を開けると、目の前には思いの外簡素な風景が見えた。
整備されていない道、脇に申し訳程度のベンチ。
殺風景だからなのか、私以外に誰もいなかった。
私は持っている写真と風景を照らし合わせた。
一致している。
オトウサンはここで写真を撮ったんだ。
理由は分からないけれど。
別に何かに気づいたわけでもないので写真をしまおうと思ったその時だった。
「…!」
そこに誰かが居た。
黒いカーディガンを羽織った男性。
背中を丸めてとぼとぼと歩き、やがて小さな塀の上に上がった。
そして手を広げ、空に手をかざした。
私は何だか嫌な予感がしていた。
このままでは、あの人は…
私は駆け出した。
「だめ、」
私は手を伸ばした。
あの人が消えてしまいそうで怖かった。
「やめて、消えないでっ」
私がそう叫んだ瞬間、男性が振り向いた。
オトウサンだ。
私はびっくりして、思わず立ち止まった。
写真で見たことのあるオトウサン。
そっくりだった。
私は口をぽかんと開け、たちつくしていた。
すると急に横から突風が吹いた。
思わず顔を伏せると、
そこにはもう誰もいなかった。
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2010/10/22
僕は今日、死のうと思った。
僕の病気は進行していくばかりで、ある日急に病気が治ったら、そのカーテンが少しでも翻ったならば、なんて考えていた。
だけど、もうそんなことを考えても無駄なところまで来てしまった。
だから僕は決めた。
もう死のう。
全て終わらせようって。
屋上から飛び降りて、何もかも無かったことにしようって。
あの日の歌も、ギターも、全て僕には関係なかった。
あの日の喜びは、僕にとって何の糧にもならなかった。
それで屋上に向かった。
少しだけ高い所に立って、手を広げると鳥になったような気分がして良かった。
あとは身を委ねて前に倒れるだけだった。
だけど、急に誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
だめ、やめて、消えないで、って。
だけど、誰もいなかった。
きっと空耳、気の所為だ。
だけれど、不思議と「今日は死ぬの延期にしよう」なんて思ってしまって、それでこんな日記を書いているんだよ。
【涙の理由】
目黒区の総合病院は15件か…。
私は目黒区行きのバスに乗りながら、スマホで調べていた。
この中に、オトウサンが入院していた病院がある。
私は溜息をついた。
全部行くには時間もお金もかかりすぎる。
私はすごく後悔している。
何も準備ができていないのに、いきなりオトウサンが入院していた病院に行くなんて。
そもそも私はオトウサンが入院していた病院すら知らないのに。
日記をいくら読んでも、「目黒区の総合病院」ということしか分からなかった。
バスを降りると、目の前に大きな病院が見えた。
まずはここ。
ここに行ってみる。
20分後。
私はとぼとぼと病院を出た。
ここはオトウサンが入院していた病院では無かった。
これは途方も無い旅になりそうだ。
次に訪れたのは、先ほどから20分ほど歩いたところにある病院。
ここに行ってみる。
15分後。
ここも違った。
その後も2件ほど訪問してみたがどちらも違った。
住宅街を独り歩き、私は「次はどこへ行こうか。」と考えていた。
考えていたのだけど。
不意に立ち止まった。
なんだか、泣きたい。
やっぱりこの家出は間違いだった。
素直にお母さんの言うことを聞いていれば、こんなに惨めな思いをせずに済んだのに。
視界が滲む。
涙の理由に脳が冷えていく。
素直に上をみあげられなくなって、涙が零れそうになったとき、
ポツリと何か冷たいものが当たったような気がした。
思わず上を向くと、雨が降ってきた。
あ、傘。
忘れた。
私は小雨をただ受け流すことしかできなかった。
しかし、我に返って「雨宿りしなきゃ」と思い、住宅街を駆け抜けた。
近くにカフェがあった。
ここならちょうどいい。
まだ昼食を食べてないし、ここで何か食べよう。
私は扉を開けた。
店内は木造でレトロな内装だった。
席に座り、メニュー表を手に取った。
あまりにお金を使いすぎるといけないから、高い値段のものは頼めないな。
飲み物はお冷やでいっか。
メニューを注文して、しばらく店内を眺めていた。
この雰囲気、何だか家の近くの楽器店に似ている。
このアットホームな雰囲気。
少し近いものを感じる。
まあ、あそこは潰れてしまったんだけど。
外は雨が強く打ち付けている。
しばらくぼうっと店内を眺めていたけれど、ふとある考えが浮かんだ。
オトウサンの写真の中に、病院の写真は無いだろうか。
私は日記しか見ていなかったけど、もしかしたら写真にもヒントがあるのでは無いだろうか。
もっとちゃんと見てみないと。
私は鞄の中から写真を取り出し、机の上に並べた。
風景写真、家族写真、学生時代の写真、…
あっ。
私は見つけてしまった。
ある建物の写真、病院らしき建物の写真を。
名前は見切れていて見えないが、
「山総合病院病院」という文字があるのが分かる。
私はすぐにネット検索をした。
中山総合病院。
これだ。これだ!
私は静かに興奮した。
場所も目黒区で間違いない。
ここに、オトウサンが居た。
届いたミニパンケーキを頬張りながら、私は必死に調べた。
ここからバスで20分。
十分行ける距離だ。
腹ごしらえをして店を出た。
雨は止み、曇り空を広げている。
涙もとうに枯れきった。
私は立ち止まっていた足を踏み出し、目的の場所に向かった。
【初めての】
10時過ぎ。
列車に乗っている。
人が少なくなった車内は時折揺れる。
私は外の景色を眺めながら、色々と考え事をしていた。
私は家出中。
これから東京に行くのだ。
ここまで何とかやってきたものの、これからどうしようかというあてもない。
それどころか、私は今日の寝床すら考えずに家を飛び出してしまった。
さっき調べたら、ネットカフェなどは午後10時以降利用できないみたいだ。
しかも東京都の条例で、18歳未満は午後11時から午前4時までは外出してはいけないらしいのだ。
終わった。
確実に終わった。
このままじゃ補導されて終わりだ。
今からでも引き返そうか。
今ならまだいける。お母さんにもバレない。
などなど思いながらも、電車にゆらり揺られて2時間経ってしまった。
正午前、品川駅。
遂に、遂にやってきてしまった。
初めての東京。
やっぱり凄い。
カッコいい。
歩いてるだけでカッコいい。
心を躍らせながら構内を歩いていると、通行人にぶつかってしまった。
「あ、すみま…」
すみません、という暇もなく、相手は去ってしまった。
東京の人って、冷たいのかな。
2時間ずっと考えて、私は何をするか決めた。
オトウサンが生前入院していた病院に行ってみようと思う。
オトウサンの日記の内容は病院でのことが多い。
きっとオトウサンのことを知るヒントになるし、担当医の人がいれば色々と聞くことができるかもしれない。
でも、こういうのっていきなり行っていいのかな。
アポ無しって失礼かな。
そんなことを考えながら、私の足はまた電車乗り場へと向かっていた。
ちなみに、オトウサンが入院していた病院は知らない。
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2008/05/10
目黒区の総合病院に入院することになった。
しばらく休めば、また家族に会えるだろう。
お医者さんからも「適切な治療を続ければ治る」と言われているから。
しばらく会えなくなるけど、お互い元気で。