【私のヒーロー】
ヒーローが、居なくなった。
蝋燭の火を消すみたいに、姿を現さなくなった。
いつもなら、直ぐに邪悪な怪物を倒しにやってくるはずなのに。
いつまで経っても現れなかった。
幸い、ヒーローは世界各地に何百人もいる。
一人くらい欠けたって、何も影響はない。
しかし、「ヒーロー」という単語を耳にして、人々が思い浮かべるのはただ一人。
そして私は、「ヒーロー」の正体を知っている。
「…なんで来た。」
ドアを開けるなり、和真は開口一番にそんなことを言った。
「いや、心配になって、来ちゃった、というか…」
「来んな。一人にさせろ。」
和真はそう言ってドアを閉めようとした。
「ちょっと!中に入れてよ〜!」
「うるせぇっ!いきなり家凸んなよ!連絡入れろや!」
「そっちが既読つかないんだし、しょうがないじゃんっ!家入るよ!」
私は強引に中に入った。
なんだか変な匂いが鼻を突いた。
ゴミが辺りに散らかっているではないか。
「うわ、臭っ。ゴミだらけじゃん。ちゃんと掃除してんの?」
「ほっといてくれよ。」
「…ちょっと耐えらんないから掃除するよ。ゴミ袋出してー」
2時間後。
ゴミは全部ゴミ袋に入れた。
床やテーブルもちゃんと拭いて、埃も消えた。
本人曰く、クローゼットや物置部屋が汚いらしいが、今回はこれだけにしておこう。
掃除しだすとキリがないから。
「めっちゃ片付いてんじゃん。
おもてなしするから待っとけ。」
「いいよ、そんなに。
おもてなしはいいから、話聞かせてよ。
この1ヶ月の間に何があったの?」
和真は黙り込んだ。
きっと、相当な事情があるんだろうな。
「なんでいきなりヒーロー辞めちゃったの?みんな言ってるよ、寂しいって。」
「……」
「みんな心配してる。それに、辞めちゃうなんてもったいないよ。ヒーローの仕事続ければきっと」
「黙っててくれよ!!」
和真はいきなり声を荒げた。
思わずビクッとしてしまった。
「…ヒーローの仕事なんて、こんなんじゃなかったはずなのに。」
「それって…どういう意味?」
「ヒーローは、正義なんだろ。
なんで知らん奴らの黄色い声援浴びなきゃいけないんだよ。」
「みんな応援してくれてるってことだよ」
「あんなの応援じゃねえよ。
ただ、『推し』とか『有名人』くらいの認識だろ。
俺はそんなの求めてない。
俺なんて、どうせ…、どうせ商業的な消費コンテンツなんだろ。
…それに、ネットでは偽善者とか言われてる。
そんなに俺のやってることが気に入らないのか?」
返す言葉がなかった。
事情を知らない人からしたら、病んでるとかメンヘラとか自意識過剰とか、そう思われるのかもしれない。
けど、違う。
和真は本気で悩んでる。
自分はヒーローだと、おもちゃじゃないと葛藤している。
助けを求めているようにも感じる。
私の知らないところで、そんなに思い詰めていたなんて。
「…ごめん、気づいてあげられなくて。」
「……」
思えば、いくらでもヒントはあった。
最近浮かない顔をしていること。
口調が少しだけ荒くなっていること。
つまらなそうな目をしていること。
他にもたくさん。
なんで、気付けなかったんだろう。
あの時とは、全然別人じゃないか。
思い出すのは学生時代のこと。
学校でいじめを受けていた私にとって、和真は「私のヒーロー」だったのだ。
「何でも言えよ。
あいつらに言い返せる奴なんてそうそういないから、俺のこと頼れよ。
言い返してやるから。」
「今日さ、一緒にカフェ行かない?
それからガチャガチャの専門店とか、カラオケも良いよな。」
「みんな絶対優佳の良いとこ知らないだろ。
めちゃくちゃ優しくて賢くて、一緒にいると楽しいのに。
みんなもったいないよなぁ。」
たまにセンスおかしいけど、いつも私の味方で、唯一楽しませてくれる人なのだ。
一緒に遊んでくれる人なんて、私にはいなかったのに。
「お前ら、次に優佳のこといじめたら、どうなるかわかってるよな?」
「もうやめろよ。
何がそんなに楽しいんだよ。
優佳、嫌がってるだろ。」
「先生、いい加減聞いてくださいよ。
優佳はずっといじめられてるんです!
暴力だって振るわれてます!
それでも知らないフリを続けるんですか?」
和真は戦ってくれた。
同級生に、大人に、全力で歯向かってくれた。
このときから、和真は私のヒーローだったのだ。
「もう、一人にさせろよ。
今日はもう、帰ってくれ…」
和真は泣いていた。
助けを求めていた。
初めて吐いた、ヒーローの弱音だ。
私には、どうすることもできなくて、どうすればいいのか分かんなくて、でも口が勝手に動いた。
「独りには、させないよ。
ヒーローが困ってたら、助けるのが私の役目だもん」
私はそう言って、和真を抱きしめた。
彼の少し冷たい手が、なんだか痛かった。
「じゃあ、帰るね。」
「うん…今日は、ありがとう」
「何も、できなくてごめん。」
「あのさ、」
「ん?」
「また、片付け手伝ってほしい」
「うん、いいよ。」
私は和真の家を後にした。
結局、何もできなかった。
和真の悩みなんて根本的に解決できるものではないと、わかっていたけど。
もうちょっと何かしてあげたかったなぁ。
「ヒーロー」は、復活するのだろうか。
その時は、盛大に祝福するのだろう。
でも、それ以前に「私のヒーロー」なのだから。
彼が「ヒーロー」を辞めても、「私のヒーロー」ではあるのだから。
私のヒーローが居てくれればいいや、だなんて思う午後5時の空が綺麗だった。
【極夜】
あ、花火上がった。
僕は家のベランダから大きな花火を眺めた。
赤と黄色、それと白を含んだ流線状の光たち。
花火は英語でfireworksというけれど、確かに火が働いているように思う。
火が自分の意思で動いている。
僕はコーラを一口飲むと、部屋に戻った。
窓を閉め切っても、花火が打ち上がる音は貫通してきた。
昔はこの音が苦手だったけど、今ではなんてことない。
僕はパソコンを開くと、作曲に取り掛かった。
アコースティックギターの録音はできそうにないから、新しい曲の構想でもしようか。
僕は新しいプロジェクトを開いて、手始めにドラムの音を打ち込んだ。
ドッ ドッ ドッ ドッ
チッ チッ チッ チッ
タン タン
ヘッドフォンを通じて小気味よいドラムの音を聴く。
思えば、誰かと花火大会に行ったことはないな。
僕はふとそんなことを考えた。
最後に行ったのはいつだっけ。
中3のとき、家族と行ったっきりではないか?
友達や恋人と花火を見たことなど1度もない。
学生時代(今も学生だけど)は学校でひとりぼっちだった。
いじめられていたわけではないが、人よりも才能のない僕は友達を作ることができなかった。
勉強ができるやつ、人と話すのが得意なやつ、歌が上手いやつ、絵が上手いやつ、性格良くて優しいやつ、など。
僕の周りはスペックが高かった。
それに対して僕は、勉強もそんなにできず、人と話すのが苦手で、歌は下手だし、絵も下手だし、性格は捻くれている。
僕に取り柄などない。
そう思っていた。
だけど、あるバンドの曲を聴いたことで一気に変わった。
かっこいい。
この人達みたいになりたい。
初めて抱いた憧れだった。
バンドを組むにはコミュニケーション能力が足りなかったので、作曲してみることにした。
いわゆるDTMだ。
加えて、ギターも始めてみた。
最初は難しかったけど(そして今も難しいけど)、何だか楽しく感じたのだ。
そうして今、ひとりぼっちの1/3人前ミュージシャンは6年目に突入している。
そんな僕だが、2年ほど前からネットに動画投稿している。
そしてびっくりするのは、再生数が100回以上の動画がほとんどだということだ。
素人にしてはかなり高いほうではないか?
しかし、500回の壁は高い。
1000回など夢のまた夢だ。
なので、親からは就活を急かされている。
大学2年生なので猶予はあるが、人生の夏休み中が終わるのもそう遠くはない。
おまけに、友達や恋人は全くできていない。
なので、花火大会やクリスマスは家で静かに過ごすしかないのだ。
華のない人生だなぁ、
僕はずっと負けた気がして悔しかった。
ずっと僕には、ある種の劣等感がつきまとっているのだ。
そして孤独感も。
疎外感も味わってきた。
外に咲く花を眺めながら、僕は思う。
誰かと眺める花火はさぞかし綺麗なんだろうなぁ、と
僕は目の前のパソコンに視線を戻し、ドラムの音を打ち込み続けた。
「誰かの為に生きなくたっていいんだよ、
自分の為に生きても良いんだよ」
そう言ってくれる人がいるだろうか。
私は、言えるのだろうか。
あなたは、言えるのだろうか。
【鉄格子より】
いつか、この鳥籠から出たい。
ずっと、ずっとそう思っていた。
私の家は、正直家庭環境があまり良くなかった。
母親は毎晩のように男を連れて来ては、
「あんたは邪魔。外に出てろ。」
と私を追い出した。。
父親は酒癖が荒い。
暴力を振るわれることもあった。
いわゆるアルコール中毒というやつだろう。
私は奴らのおもちゃだった。
私が痛がるのを見るのが好きらしかった。
手を加えるのも。
料理の支度が1分でも遅ければ、
「何をノロノロしてんだこのバカが!」
と、何度もぶたれ、蹴られた。
もちろん、保護者の同意が必要な書類などはサインしてもらえるはずが無かった。
私はずっとあざだらけだった。
毎日のように殴られるので、あざはいつまで経っても消えなかった。
それどころか、どんどん増えていった。
そんな見た目のせいで、私は学校でいじめを受け続けていた。
「あざばっかりで痛そーwww」
「なんていうか、かわいそうだねw」
担任の先生ですら、私を差別した。
親(親だと思ったことはない)による暴力について相談したとき、
「あぁ、えっと、その…、スパルタキョウイクなんだな!」
と返された。
なんだよスパルタキョウイクって。
スパルタという言葉で援護できるものじゃないよ。
こいつ、何もわかってない。
悔しかった。
悲しかった。
何より、もう希望などないと、鳥籠から出られないとさえ思った。
好きな人が居た。
同じクラスだった相木くん。
イケメンだし、勉強もスポーツも出来て、しかもこんな私にも優しく接してくれた。
本気で好きだった。
放課後、体育館裏に呼び出して告白したことがある。
絶対付き合いたい、だって好きだから。
だけど、相木くんからは
「ごめん、その、なんていうか、菜々子ちゃんといるのは、難しいというか、まだ友達のままで居たい…」
と返された。
どうせ、私の家庭環境を知っているから付き合いたくないんだろ。
その後、ずっと泣いた。
こんな私にも、1人だけ協力者が居た。
母方のおばあちゃんだ。
暴力やいじめを受けた私の、いちばんの理解者だった。
保護者のサインが必要な書類は、全ておばあちゃんに書いてもらった。
大学に行きたいと言えば、
「ウン百万ほど貯めてあるよ。菜々子ちゃんの人生のために、大切に使いなさいね」
と、学費まで全て用意してくれた。
おばあちゃんの力では家庭環境をどうすることも出来なかったけど、いつも私の味方をしてくれて、私を唯一人間として育ててくれた。
感謝してもしきれないほど、私に協力してくれた。
おばあちゃんのお陰で、私は第一志望の大学に合格する事が出来た。
国内有数の難関国立大学に入学した。
けれど、私の入学式の写真をおばあちゃんが見ることは無かった。
老衰で亡くなった。
大学に入ってからは一人暮らしを始めた。
親(アホ)からは
「俺らの飯は誰が作るんだよ!」
と、怒鳴られた。
けれど、そんなことは知らない。
私はお前らの召使じゃない。
大学の授業は、想像を絶するほど難しかった。
わけの分からない教授の話を延々と聞かされ、
わけの分からない問題をテストに出してきた。
友達がいれば気が楽だったかもしれないが、地方からやってきた私にとって「友達」「先輩」は無縁な存在となってしまった。
親からの仕送りは当然ないので、バイトを始めた。
おばあちゃんが用意してくれたお金では足りないと感じたからだ。
ハンバーガーチェーンで働き始めた。
最初はとてもやりがいを感じた。
初めて自分で得たお金、お客様の笑顔。
それらがモチベーションだった。
しかし、バイトを始めて半年後。
店長によるパワハラが始まった。
「なんでこんなこともできないの?」
「君って要領悪いね」
「こんなこともできないんだぁ、」
「こんなんじゃ生きていけないよね?」
説教を超えたレベルのことをされた。
ビンタされたこともある。
一人暮らしを始めたのに、これじゃああの時と同じじゃないか。
だけど、生活費のためにもバイトを辞めることはできなかった。
就活が始まった。
何十社も面接を受け、その度に
「残念ながら、今回はご縁がなかったということで…」
という言葉を聞かされた。
それでも根気強く続けた。
そうしたら、1社だけ受かった。
事務仕事だ。
よかった。受かった。
そう安堵したのも束の間、激務に襲われることになった。
こなしても終わらない仕事、
長引く残業、
お局の悪口、
上司からの圧、
耐えられなかった。
辞めたいとも思った。
だけど、面接でやっと合格した会社だ。
辞めたときのリスクが大きいことなんて重々承知していた。
終電ギリギリの電車に揺られながら考えた。
鳥籠から出ても、結局楽しくなど無かった。
現に、他の人の顔の疲れ方が証明している。
私だって、この人たちとおんなじようだ。
私は悟った。
私は鳥籠から出ていない。
この世界こそが鳥籠なのだ、と。
【ユウジョウ】
私には、友達が居なかった。
そして、今もいない。
学生時代はずっと独りぼっちだった。
誰にも話しかけられず、教室の隅っこで本を読んでいた記憶しかない。
通学路で二人組の女の子とすれ違った事がある。
二人はかなり親しく話していた。
「え、○○君の事好きなの!?」
「うん、実はね。あ、他の人には言わないでね?」
「大丈夫、絶対言わないよ(メールでみんなに伝えちゃおう)」
ああ、これがシンユウってやつか。
国語の点数が、かなり悪かった。
当然落ち込んで、とぼとぼと家に帰ったことがある。
その時、四人組の男の子とすれ違った。
「お前、テストの点数何点だった?」
「やらかしたー、42点」
「えぇぇ、勝った!(こいつ低くね?バカだなー)」
「え、何点だったの?」
「63点!」
「高くね!?」
「俺23点だったwww」
「まじかよー(めっちゃ低いじゃんwwwこいつもバカだなー)」
「じゃ、今度俺んちで国語の勉強会やろーぜ!」
ああ、これもまたシンユウってやつか。
大学生になった今、6畳半の部屋で改めて思う。
トモダチ、欲しいなあ。
ユウジョウ、欲しいなあ。