「寂しさ」
私は認めたくなかった。
寂しい人間なのである。
小中から続いてる友達はゼロ
高校も一人しかも年に一度連絡するくらい
大学も同じく
大学院で一人だけ友達が続いてる
寂しい人間である
過干渉の過保護に育てられたから、
あなたは寂しくないでしょ?
を押し付けられてきたけど、
本当はすごく寂しがりやで、
なんなら、寝てるときも、夫にくっついてる。
寂しいのである。
夫も同じく寂しがりやだから、ちょうど良かった。
寂しいもの同士、これからもずっとずっと生きていきたい。
「とりとめもない話」
とりとめもない話で盛り上がって、
そんな話を聞いてくれる友が本当の友なんだなと思う。
「風邪」
仕事休めないあなたにうつすと悪いから、今日は会社の近くで過ごしてと言っても、彼は必ず2時間かけても帰ってくる。
俺はうつらないから、大丈夫。
って、心配して帰ってきてくれる優しさが嬉しい。
私も一人で大丈夫って強がってても、本当は心細い。
10年ほど前の大雪の日、子供達がインフルエンザにかかり、私はもう限界寸前だった。
そんな中、お義母さんが長靴履いて、リュックにたくさん食料詰めて、雪の中、家まで来てくれた。
冬になるといつもその日のことを思い出す。
あの時は本当にありがとう、
お義母さんに伝えるのだけど、
そんなことあったかしら?
と。
私も風邪で困ってる友人がいたら、私なりのスペシャル宅急便を玄関にぶら下げるのだ。
りんご🍎、ラベンダーの入浴剤、旅行雑誌、のど飴、カイロ、経口補水液、お粥、家族のために豚まんなど。
私は自分が風邪で倒れた時にお粥が簡単に作れるように保温調理鍋を買ってある。
とても便利である。
この年末は風邪ひかないように気を引き締めて、手洗いうがいで乗り越えたいものである。
「雪を待つ」
この地に雪が降るのは珍しい。
だから、子供の頃も、大人になった今でも初雪の日はワクワクする。
ただ、雪の降る頃、私は体調を崩しやすい。
初めてスキー合宿に行き、高熱を出したのも大雪が降った日のことだった。
朦朧として起き上がれず、朝食を届けてくれた友人の優しさは今でも覚えてる。
特別にペンションのお母さんが作ってくれた雑炊も美味しかった。
あれから30年、いまだに、雪が降ると、私は子供のように、雪だ雪だってはしゃいでしまう。
毎年は降らないこの町で、
私は
今年は雪が降るかなと
雪を待っているのである。
愛を注いで
愛を注いでも注いでも
渇いてしまう
枯渇
ほんとに、この言葉がぴったりの人から生まれて育てられた
愛されてると思っていた
確かに愛されてはいたのだろう
だけど、
けど、がつく
だって、私はその人の中に空いた穴を埋めるために生むことを選ばれたのだから
私は穴に埋まったままで歳を重ねた
ある時、私の中のマグマが爆発した
私は空っぽ
私の中心には何もない
私は筒になった
だから、何を言われてもとおりぬける
もう苦しくない
枯渇した人に
いくら暖かい愛を注いでも消えていく
たまらないのだ
そうだ、永遠と流れる滝のようになろう
私は穴に埋まる存在なんかじゃない
注いでも注いでも乾いてしまうなら、滝になろう
永遠と、永遠と