私には人に言えない真っ黒な腹のうちを書きなぐったノートがある。
それは2005年から始まり、鬱憤が貯まる度に開いて、我慢ならない感情を文字で表現してきた。
しかしそれも頻度が減っていき、今は年に一回開くか開かないかくらいに変わっていった。
あと数ページで終わる、その日記。
最後のページに鬱憤を書き終えたその時は燃えるゴミにだして、私が抱えてきたこれまでの暗いもやもやをゴミ焼却場で燃やし尽くしてほしい。
読み返すには毒が強すぎて、自分の醜さを実感してしまうから。
木枯らし、この単語を目にした瞬間、ガラスの水車という歌を思い出す。
雪になじみのない地域に住んでいた小学生の私はなぜかこの歌詞にワクワクしたものだ。
自分の名の一部にある美という漢字。
同世代と比較すると古臭い名前だったから、学生のころは周りの友達がうらやましかった。
でも、年を取ったら年相応に聞こえるから割と悪くないのかもなと最近は思うようになった。
美しいという意味のあるその漢字は私には似つかわしくないと今でも思う。
しかし難しくも安易でもない、いい意味を持つ漢字で組み合わされた名前は50になっても70になっても不自然ではない。
その辺は名付けした父に感謝である。
この世界はどうなっていくのだろう。
ただ暗いネガティブニュースばかりが流れて、それを見ただけで気分がふさぐ。
未来を憂いても結局私には何も変えられない。
それならいっそ目も耳も塞いで自分だけの世界に引きこもってしまった方がよほど心は平和だ。
だって流れるニュースのだいたいは自分の身に降りかかったことじゃないもの。それに一喜一憂しても仕方ないでしょ。
どうして私ばかり。
それが私の口癖だった。
周りを羨んで、自分の境遇を哀れんで、自分がとてつもなく哀れな存在だと思い続けていた。
その考えはいずれ自分に刃をむき、自分なんかいないほうがいい、消えてしまえばいいとマイナスの方向へ進んでいった。
負のループを克服するには時間がかかった。医者や薬なんて何の役に立たない、周りの人なんか誰も助けてくれない。
結局自分を救い出せたのは自分自身だけだったから。
正直今になって冷静に考えてみても、私は周りに比べてマイナススタートだったと思う。
だから今でも失敗を恐れて行動しないことが多いし、周りを羨んで妬んでいる自分に気づいては自己嫌悪に陥るけど。
結局はそれが自分という人間で、心の声までコントロールしようにもそんなの難しすぎるから、せめて醜い心を表には出さないようにしている。
行動に出してしまったら昔の嫌な自分に逆戻りして、また余計に自分が哀れな人間になってしまうから。
どうして私は私として生まれたのだろう。
どうして私はこんな人生なんだろう。
どうしてこんな立場に生まれたのだろう。
そんなの、考える必要もない。
理由なんて何もないんだからさ。