不安に包まれて生きていると、安寧が訪れるととてもしあわせを感じる。
だけどその安心は長くは続かない。
人生の波が襲ってきては翻弄して来る。そしてそれを乗り越えられて安心を手に入れる。かと思ったらまた波が押し寄せる。
その繰り返し。
平凡でいい。平和であってほしい、ずっと安心して過ごしたいと願っても、そんなこと敵わない。
私の不安をせせら笑いして不穏な波が飲み込んでいく。
不安と安心は紙一重のペアである。
私は時折、仕事に遅刻しそうになって慌てて上司に電話する夢を見る。
実際には遅刻したことはないのに。だって家からとても近い場所にあるから。
何かに遅刻する夢を見るのは、精神的に不安定なのだと夢占いに出るけど、実際自分はそんな自覚はない。
自覚がないまま時が過ぎて、突然ストレスが爆発する。
無意識のうちに追い詰められて限界ぎりぎりまで気づけないパターンみたいだ。
おさえこんでしまうのに慣れてしまって、感覚が麻痺しているみたい。
夢の中で遅刻して慌てているのに、なかなか職場に辿り着けないの。
どういう心の表れなんだろうね。
タイムマシーンがもしもあれば。
私は何度もそんなことを考えてきた。
過去に飛んで、未来を変えたい。そんな妄想は腐るほどしてきた。
だけど今一度冷静に考えてみて。
苦しんでいた過去の自分によりそって、私はあなたを理解できると話を聞いてあげたい。
苦しい胸のうちを共有して一緒に泣いてあげたい。
過去の自分と接するのはダメとか、未来を変えてはダメというよくある禁忌とか無視して、誰にも理解されない苦しみを受け止めてあげたい。
私は海が怖い。
小学生の時に海でビニールボートで遊んでいて誤って横転して、子供の足の着かない深さで溺れたとき、近くにいた大人は誰も助けてくれなくて、死を覚悟した。
だけど、砂浜で私を見守っていた父が猛ダッシュで助けに来てくれて事なきを得たから命は助かった。
潜水艦式の遊覧船に乗せてもらった時、薄暗い海の中を幾多もの藻が海底をうごめいていた。
私は海の魚がみたかったけど、長く太い藻が目の前をゆらゆらと揺れている記憶しかない。
水族館の深海魚コーナーはぞっとする。
深海に馴染むよう退化した海の生き物達はなぜか不気味さを感じさせる。
Googleで世界地図を見たとき、マリアナ海溝がある辺りを見ているともの知れぬ恐怖を覚えた。
夜の海は怖い。
昼だとしても無骨な岸壁から見下ろす海は怖い。
海の底へ引きずり下ろされてしまいそうな恐怖がいつだって私を手招きしているから。
高校生の時、最愛の母を自死でなくした。
私は第一発見者で、そのあと精神病にかかってしまった。正式な病名は聞いてないけど、PTSDやうつ病、強迫症関係の病だろう。
今でもあの時の光景、遺体に触れた感触、死に顔を忘れられない。
母が死んだのは私のせいだと自分のことを責めた。悲しみに耐え切れずに周りを責めることもあった。
家族の中はぎすぎすして、みんながみんないっぱいいっぱいで、とても辛かった。
学校の友達は何の憂いもなさそうに毎日を送っていてうらやましかった。
自分はこの世で最も不幸でかわいそうな人間だと思ってそれを態度に出していたから、それで人が離れて行ったこともある。
お母さんに会いたい、苦しみに気づいていたのになにもできずにごめんなさいと涙する日々を送った。
時間の流れはみんな同じはずなのに、苦しい時間が永久に続くような気がして苦しい青春時代だった。
それから十何年もの時間が過ぎていくと、私の中の悲しみは瘡蓋になって、母を失ったときの悲しみは薄れていった。
あんなにお母さんに会いたいと悲しんでいた若かった私は、今じゃ母がなくなった年齢に近づいている。
私は母とは全く違う生き方をしている。
母を通して、必ずしも結婚出産育児、そして家族を持つことが幸せなものだとは思えなくなったからだ。
昔はよく夢にも出てくれていたのに最近じゃ全く出てこない。
会いたい。
だけど起きたときにそれが夢だとわかると虚しくなるから会いたくない、そんな複雑な気分だ。