「秋の星座って何かあるのかな?」
引越しを終えた夜、まだ無造作に置かれた段ボール箱を放置し、内見の時から気に入っていたベランダで缶ビールを飲んでいると、夜空を眺めていた彼女がふと問いかけてきた。
「ーーペルセウス座、ペガスス座、アンドロメダ座なんてのがあるよ。ペガサスに乗ったペルセウスが、化けくじらに襲われて生贄にされそうだったアンドロメダ姫を助けてその後結婚したんだって」
「詳しいね」
「今、ネットで調べた」
スマホの画面を見せながら笑うと、彼女は「ふーん」と言って僕の肩に頭を乗せた。
「じゃあ、私がアンドロメダ姫であなたがペルセウスだね」
そう言って彼女は笑った。
ーーあの日の夜空はこんなだったかな?
寝転がって開いた窓から夜空を見上げる。今までこんなにしっかりと星を眺めたことはあっただろうか。都会の夜空は明るくて、星は少ししか見えない。あの時彼女がみていた星もこんな感じだったのか。いや、もっと輝いて見えていたかもしれない。スマホの中の星座しか見ていなかった僕にはわからない。
引越し準備を終えた部屋はあの日と同じ様だけれど、彼女の笑顔だけがなくなってしまった。仕事を言い訳にして甘え、家にいる時にはスマホゲームばかりしていて彼女の話を聞いていなかった。いつも笑っていたはずなのに、思い出すのは悲しそうな、怒ったような顔ばかりだ。今更になって後悔するなんて図々しい。僕はペルセウスにはなれなかった。
「化けくじらか…」
呟いた声が静かな部屋に響く。この家を出ていく日、彼女は笑っていた。どこか寂しそうな、それでいてすっきりとした笑顔だった。僕は彼女を縛りつけてしまっていたのかもしれない。
星座は旅人の道標になると聞いたことがある。どうか、これからの彼女の人生が照らされますように。そう願いながら、もう少しだけ星空を眺めていようと思う。
僕は決めていた。今日こそは絶対に声をかけるんだ。
外ではすでに後夜祭が始まっていて、生徒達の楽しそうな声が聞こえてくる。僕は急いで教室を出た。走るな危険と書かれた張り紙を横目に全速力で廊下を走り、階段を下って昇降口に出る。自分の下駄箱から靴を出して履き替えると、上履きを片付けるのも忘れて校庭に急いだ。
校庭の真ん中には小さなステージがあり、それを囲むように生徒達がいる。各々が友達や恋人と一緒に笑い合ったり、二日間の思い出を振り返ったりしている。ステージの上に立った生徒が合図をすると、吹奏楽部の演奏が始まり、生徒達が手を取り合って踊り始めた。
ーーやばい。彼女はどこだ?
僕は楽しそうな生徒達の間を縫って彼女を探す。
「いた…」
彼女は校庭の中心から少し離れた場所で、みんなが踊っているのをみつめていた。鼓動が速くなる。秋の風は涼しいのに、額から汗がつうと頬を伝う。立ち止まり、深呼吸をしてからゆっくりと彼女の方へ向かった。
「あの!」
「あれ、どうしたの?踊らないの?」
「ーー僕と、踊りませんか」
言った、言ってしまった!もう後には引けない。差し出した手を彼女が取ってくれるのを祈るしかない。恐る恐る彼女を見つめると視線がぶつかった。
「うん、踊ろう」
彼女は笑いながら僕の手に自分の手を重ねてくれた。その笑顔が嬉しそうに見えたのは、僕の思い上がりだろうか。
吹奏楽部の演奏が、秋の夕暮れの中に僕の鼓動の音を隠してくれた。