静かな終わり
自分の最後は静かであってほしい。日常を壊さず、最後を終えたい。
最後になるとみんな盛大にしたがる。そんなに大層なことをしてくれるなら、最初からそうしてほしいと何度も思う。生徒の選択を尊重する先生だったのに、その姿勢をいいように利用して馬鹿にしたやつらは、先生が先生を辞める時に泣いて手紙を読んでいた。私みたいな出来の悪い部下をなんとか使えるように一緒に頑張ってくれた上司の精神を壊したやつらは、上司が退職する時に素晴らしい花束を贈っていた。盛大な終わりはその人の尊厳をなくしていると私は思う。
私は私のまま最後を迎えたい。誰かに私を崩されたくない。でもみんな私の最後を静かにさせてくれない。静かに、静かにさせてくれ。洞窟にこだまする水滴のような静かな終わりを迎えたい。
夢の断片
私の夢には常に誰かがそばにいてくれる。いい存在とは限らないが、私と関わりを持とうとしてくれてることはとてもありがたく、現実に戻った時にガッカリしてしまうほどである。
目覚めた時に何もなかったようになってしまうのが嫌で、日記もつけたし、顔がわかる時にはその特徴を細かく書いてイメージできるようにした。不思議なことに、イメージすればするほど同じ人に夢で会えるようになったし、会話もできるようになっていった。
私は現実でできない相談をその人にしたし、時には抱きしめてもらって心を落ち着かせた。相手はなんでも応じてくれたけど、いつも少しだけ困った顔をしていた。いつこの関係が終わるか私は内心、どきどきしているが、夢から覚めた後はいつもは冷たい末端が暖かくて、この夢の断片を握りしめながら私はまた現実の生活を騙し騙し続けているのだった。
見えない未来へ
自分の将来が見たくて色々試した時期がある。黒魔術みたいなものがたくさん載っていたサイトを片っ端から試したが見えたものは何もなかった。
将来が不安だった。告白の答えも、受験の結果も、地球滅亡も、不景気も、自分の夢も。何もかもが不安で、眠る時、その夢が未来を映し出してくれたらと毎回願った。
未来が見えないから人の助言を頼るようになっていた。もう何も考えられない。未来に期待したくない。
でも最近、身体が勝手に動く感覚がある。何かに突き動かされたように、自分が話したりしている。そうしたとき、私は結果に関係なく深く満足する。
未来は見えないかもしれないけど、今が未来に向かって生きようとしていると私は思う。未来とは今を育てて見えるものだと、未来の私が今に伝えている。私も見えないあなたにそう伝える。
吹き抜ける風
冬に空気を深く吸うと体に溜まった悪い空気が抜けていく気がする。
そのまま私の悪いところも下に流れていけばいいのにと思うが、そうすると私には何も残らないのでしょう。
記憶のランタン
自分なんていなければよかったと思う。そう思う時、小学生で不登校気味になった私に「自分の意見が言えないでうじうじしてるからそうなるんでしょ」と泣きながら怒鳴った母親を思い出す。小6の運動会で応援団長になった私にとても喜び、その後また不登校になった私に「せっかく元気になったのに」と泣き崩れた母親を思い出す。中学生の時、部活の先輩たちにミーティングで「1人一意見、出さないと帰さない」と言われたときの冷たい床を思い出す。高校生の時、「そういう表現は周りに悪いから」と文集に書いたマイナスで鋭い表現が涙を誘う表現になったことを思い出す。
そういう経験をする前、私は自分の性格が好きだった。暗い方だったし表情も乏しくて、静かに1人で過ごす自分を損な性格と思いつつも暗い中で日々の暖かさを感じ、誰かの書いた文章に涙する自分が好きだった。でもそれが他人に受け入れられない、良いとされないと、そう経験してから私は控えめながらも喋り、笑い、表情豊かになった。そんな私を親は、人は「大人しいけど社交的で優しい子」だと受け入れてくれた。もう、昔の好きだった自分には会わなくなった。
大学生になった私は実家を離れて一人暮らしをした。大学は楽しいけど、私は昔の自分にも悩まされた。1人で過ごす夜は特にそうで、昼間の明るい私から暗い私になる時は身体が自分ではなくなる感じがして、悲しくもないのに涙が勝手に出た。そんな日が続く中で夢を見た。夢の私は涙を流していた。そんな私を誰かが抱きしめて、ランタンに灯した火を揺らすような声で言うのだった。
「わかってあげられなくてごめんね」
あの声が誰かはわからない。ただそれは夢であっても私の心を揺さぶる言葉だった。わかってくれなくてもいいけど、ごめんなんて謝らないでほしい。記憶のランタンの火が揺れて消える前に、私はその言葉の主にそう言いたい。