“好きな色”
大学の講義がやっと終わったころ、ふとした拍子に隣に座る彼の耳元に見えた水色に目を瞬かせる。
いつの間にピアスなんて開けたんだろう。
オシャレなんか興味がなくて、昨日と違う服を着てればいいだろうと信じている様なやつがよくもまあピアスなんて開けようと思ったものだ。ピアスをする前にその耳元を覆う野暮ったい髪をどうにかした方が良いんじゃないか。
モヤモヤと考えていることがバレたのか、彼は少しムッとした顔をして耳を隠してしまった。
「そんなにジロジロ見るなよ」
「お前が似合わないモンしてるから」
反射的にいつもどおりの憎まれ口が口をついた。
彼はやっぱりムッとしたまま野暮ったい髪を少し前に寄せてすっかりピアスを隠してしまった。
似合わないなんて本当はちっとも思っていないのに。
ピアスをしている彼が、なんだかずっと遠くに行ってしまった様な気がしてひどく嫌な気分になる。
ふいと視線をそらした先には先程までの講義内容を纏めた彼のノートがあった。ノートに几帳面に引かれたマーカーの水色が気に障る。机の下でもぞもぞ動く彼の足元には水色のスニーカー。
足元に置かれたカバンから覗くハンドタオルも、パスケースも、何もかもが水色で腹が立つ。
なんでこんなにも腹が立つのか自分でもわからないが、とにかくむしゃくしゃした俺は勢いでガタンと音を立てて席を立った。
……どうせ、最近好きになったと言っていた女の趣味か何かなんだろう。面白くない。
「お前いつからそんなに水色が好きになったんだ?」
「……なんだよ急に」
「しらばっくれるなよ、どうせ好きになった女の好みなんだろう?」
「そんなんじゃないよ。何をそんなに怒ってるんだ」
ああ、もう本当にイライラする。
もういいっ!と叫んで飛び出そうとしたところで彼に腕を掴まれて、気づけばもう俺たち以外には誰もいない教室の片隅で彼と向かい合っていた。
彼はもうちょっと怒っているか呆れているかと思っていたのだが、案外ニヤニヤと面白そうに笑っていてまた俺の知らない彼の一面を見つけてしまった様で余計に腹が立った。
「そんなに水色は似合ってない?」
「……ああ。ちっとも」
「それは残念だなあ。……最近好きなことに気づいた色なのに」
残念だなあと言いながらも彼の口元はまだ緩んだままだ。バカにされているような気がして、掴まれていた腕を振り払ったが余計に強く握りしめられて振りほどけなかった。
「だからっ!どうせ好きになった女の好みなんだろうって……」
「違うよ。水色は君の目の色じゃないか」
「……は?」
いつも俺を睨む君の目の色が好きだからつい水色を選んじゃうんだ。
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尻切れトンボ……:'(
“あなたがいたから”
大通りから一本外れた道にあるカフェが俺の最近の行きつけだ。大通りから外れているだけあって、駅から徒歩数分の立地であるにも関わらずランチの時間さえ避ければいつも落ち着いていて、ちょっとした勉強や考え事をするにはちょうどいい。
半年前くらいにたまたま立ち寄ってからというものちょこちょこ通っているうちに気がつけば店員に顔をしっかり覚えられていて、ドアを開けるとすぐにミルクいっぱいのカフェラテが用意される様になっていた。
覚えられていることに毎度少し気恥ずかしさを感じつつ、俺はいつも通りに外がよく見える窓際の端に腰をおろす。
俺が座ると同時に席にカフェラテが置かれる。
ごゆっくりどうぞーというスタッフの声に軽く会釈をしつつ、カバンから本を一冊取り出した。
栞が挟んであるページを開いて、何回読んでもさっぱり頭に入ってこない文字列を眺めていた。
「おはようございます!」
しばらくするとスタッフルームの方から高校生くらいの女の子の声がした。カフェラテを運んでくれたスタッフとの引き継ぎをしていた彼女声のトーンが少し下がって、ツカツカとこちらへ歩いてくる足音が聞こえてくる。
「お前、また来たのか」
「失礼だな。来ちゃ悪いのか」
棘のある口調と眉間に寄ったシワは不機嫌そうにも感じるが、本当に不機嫌な彼女はこんなものではない。
むしろ比較的ご機嫌なんじゃないだろうか、と思ったところで彼女が俺の本を覗き込んできた。
「お前、本読むのとか嫌いそうなのにそんな本読むんだな」
「……まあ、ね。たまには良いかなってさ」
「ふうん……。わざわざここで読まなくったって、図書室で読めば良いのに」
本の側面に入っている、学校の図書室の印を目ざとく見つけた彼女の言葉にグッと息を飲み込んだ。
「ここがいいんだよ。落ち着くし」
「……ここが落ち着く?変なやつだな、図書室の方が静かだろ」
「……静かすぎるのもなんだか落ち着かないんだよ」
「そうかあ?」
彼女は何度も首を傾げて納得いってなさそうだったが、キッチンにいる店長に呼ばれて切り替えた様だった。
店長の方へ立ち去る背中をみて、飲み込んでいた息を吐き出した。
このカフェで読みたくもない本を読んでいるのはここに君がいるからだ。
……なんて、いつか面と向かって言える日が来るのだろうか。
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睡魔と戦いながら打ってたので明日覚醒してからちゃんと修整していきます、、、
“相合傘”
雨が降りそうな日はいつも傘を持たずに家を出る。
傘を持たずに家を出て、教室に着いてからはずっと降り出してくれと祈ってばかりいる。
一年前、入学してから間もないある日、帰宅時間を狙いすましたかの様に突然大雨が降り始めた。傘を忘れた私がその中にむりやり飛び出そうとした時に、隣の席の男が声をかけてくれたあの日から私は傘を持たないようになった。
その隣の席の男は、見るからにチャラくてどちらかと言えば苦手なタイプだった。誰にでもヘラヘラと声をかけ、殊更可愛い女にはベタベタと甘える様な薄っぺらい男だ。
急な雨なんて『傘忘れちゃったから入れてよ』なんてニヤニヤと笑いながら狙った女と帰る口実にするようなタイプだと思っていたのに。
コンビニまで走って傘を買いに行ってくれたうえ、その傘に入れてくれた時に不覚にもドキリとしてしまったのだった。
それからというものカバンの中に仕込んだ折り畳み傘はほとんど使われることはなくなった。
アイツの取り出す折り畳み傘が一回り大きくなったことに気づいてからは、朝雨が降っていない限り傘を持ち歩くことすらなくなっていていつの間にか降って欲しいと願うようになっていた。
わざわざ遠回りをして私の家まで付き合ってくれるのも、わざわざ少し大きい傘を買ってくれたのも、さりげなく私が濡れないように傘をかたむけてくれるのも、全部全部私だけの特権だ。
ちゃんと降れよ、と私は今日も曇り空を睨んでいる。
“落下”
俺はひたすら真っ逆さまに落ちていた。
終わりの見えない穴の中を、もう地球なんか突き抜けてどこか別の星についてしまいそうなほど長い距離をずっと落ち続けている。
そんな俺を、周りの人は白けた様な目で見ている。
顔や表情はぼんやりしていて誰だかわからないのに、その冷ややかな視線だけが突き刺さってきて嫌な気持ちになる。
夢だ、とわかっているのに、夢の中の自分も今現実に眠っている自分も、指一つ動かせないままでこのまま夢の世界に閉じ込められてしまうのではないか、という恐怖に襲われる。
怖い。嫌だ。いつか底にぶつかって死ぬんじゃないか。
怖くて仕方がないのに、俺にはどうすることもできない。頭の中で必死に叫んでいると、頬にパタリとやけにクリアに水滴が落ちる感覚があった。
指の一つも動かせないのに、瞬き一つできないのに涙は流れるのかと思った瞬間グッと腕を引かれる感触があった。
「起きろ!アホ!」
「っ……!」
目は見開いていたはずなのに、俺は瞼を持ち上げた。
目の前には酷く焦った顔をした彼女の姿があって、恐ろしさに冷え切った心臓がポカポカしてくるようだった。
ポカポカしすぎて少し、いやかなり熱い。
気だるい身体を少し起こすと額から乾ききった熱冷ましのシートが落ちてきた。
「熱があるなら早く言ってよ、全くもう!」
「ごめん……来てくれたんだ」
「当たり前でしょ。どうせ家になんにもないんだから!」
病人じゃなかったらビンタでもされていたかもしれない。ぎゅうぎゅうと俺の手を握っているのとは逆の手には新しい熱冷ましのシートが握られていた。
様子を見に来たら酷く魘されていてびっくりしたとモゴモゴ言いながらシートを取り替えてくれる彼女が愛おしくて思わず抱きついた。
……ら思いっきりビンタされて部屋を出て行ってしまった。
大きな音を立てて閉められたドアの先から彼女のおやすみ!という声が聴こえてきた。
なんだか酷く眠たくなってきて、目を閉じた。
あの夢をみても、きっと彼女がすくい上げてくれるから大丈夫。睡魔に抗うことなく、俺はすぐに眠りについた。
“未来”
子猫を拾った。
厳密に言えば"職場の同僚が通勤途中に子猫を拾った"が正しいのだが、その同僚に何かと言いくるめるられて気づけば俺が子猫を片手に帰宅するはめになっていた。
在宅ワークの彼女がネットワークトラブルで家に転がり込んできた話をついうっかり話してしまった数日前の自分の浅はかさを少し恨む。
猫どころか生き物さえも飼ったことがないと辞退を申し出たが、誰も都合の悪いことは聞き取れないらしい。
飼ったことないなら一緒にお店に行って一式買おうぜ!と皆で仲良く定時退社して買い物をして、今に至る。
インターホンを鳴らすと、ケージの中の子猫もナーと鳴いた。
「にゃあん!」
「おかえー……?」
「ただいま、ごめん猫拾っちゃった」
ドアが開いて彼女が顔を出した途端、俺より彼女より先に子猫が元気よく挨拶をする。
彼女の目線は完全にケージに向いていて、背中に冷や汗が流れる。昔むかし何かの流れで犬派か猫派かって話をしたがその時はたしか彼女は犬派だったんだよなあ。
ドキドキしながら彼女の顔色を伺うと、彼女はスンと澄ました顔をして、とりあえず入れとドアを大きく開けてくれた。
「で、コイツのご飯とかはどうするの?」
「それはさっき一式買ってきたから大丈夫だと思う」
「ふうん……」
しげしげとケージの中を眺める彼女と、一生懸命彼女に向かって話しかけている子猫。……めちゃくちゃ良いな。と早くも俺は子猫との生活に楽しみを見出していた。
「さっさと手洗ってきなよ」
「……あ、うん」
洗面所に向かう俺の後ろで、猫に向かって名前は?とか歳は?とか真面目に聴いてる声がする。子猫も子猫で聴かれるたび律儀にニャアニャアと返事をするのがおかしくてつい笑ってしまう。
このままずっと彼女と子猫と三人で暮らす幸せな未来が見えた気がした。