“風に身をまかせ”
生まれた時から決まっていたはずの将来を自らの手で破り捨て、親のすぐ後ろを追いかける様に敷かれたレールを壊してたどり着いた先は無限に広がる宇宙の果てだった。
私は、前も後ろもない途方もない無重力下で、身体を動かす気力もなくぼんやり揺蕩っている。
通信機を使えばもしかしたら誰かに助けを呼べるのかもしれないが、なんとなくもうここで誰にも知られないままに消えてしまいたい気分だった。
酸素ボンベの残りも少ない。
もちろん食料もない。
遠くの方で等間隔にならぶ光が見えた。
もしかしたらあれは生まれ育った星の光だろうか。
頑張れば、あの星までたどり着けるのだろうか。
でも。
頑張ってあの光の中に戻ったとして、私の居場所なんてどこにもない。頑張って頑張ってたどり着いた先がこんなに真っ暗な宇宙の果てだというのに、これ以上頑張ったとしてあんな光に満ちた幸せを掴めるわけがない。
はあとため息がでる。
良いなあなんて思わず口から溢れそうになった瞬間、弱音をかき消す様に暴風がふいた。
そして音のないはずの宇宙の果てに、彼の声が響いた。
私が聴きたくて聴きたくて仕方のなかった声。あの遠くに瞬く光の中にいるはずの人の声だった。
敷かれたレールの上でも胸を張って走る、ずっと憧れてきた人。臆病で意気地なしで、決められた将来に納得できず燻っていた私の背中をぶっきらぼうな言葉で押してくれた、不器用で優しい人。
涙が溢れてグズグズの視界に映る彼は、いつもみたいに不機嫌そうに眉間にシワを寄せて、いつもみたいにバカみたいな大声で私の名前を呼んだ。
暴風みたいに駆け寄ってきて、暴風みたいに私の心をかき乱してきて、自分は言いたいことだけいって澄ました顔をしている、嵐の様なという言葉がこれ程似合う人もいないだろう。
真っ暗で上も下もない宇宙の果てだったというのに、彼が手を握りしめてくれるだけで不思議と光に溢れ地面に足がつき自分の目指す幸せな未来の形が見えた。
暴風に身をまかせてみるのも悪くない。
そう思えた。
子供のままで
子供のままでいられたら、どれだけ良かったか。
卒業式の写真を捨てられず、かといって飾ることもできず、あの子が愛読していたからという理由で読みもしないのに買った分厚い本の間に挟んだままもう10年が経ってしまった。
本に挟まれたまま、引き出しのずっと奥にしまい込まれていたその写真はほとんど劣化することもなくあの頃の俺たちの一瞬を映し出している。
少しむすりとしているあの子のことがずっと好きだったのに。
俺はどうしてもあの子のご機嫌を損ねることばかりで、挨拶すらまともにできないままだった。
今思えば、竹を割ったような性格の彼女のことだから、目があえば少し喧嘩腰だったとしても言葉を交わしそして卒業の日には不機嫌な顔をしながらも同じ写真に映ってくれるということは心底俺を嫌っていたわけじゃないのだとわかるが、当時の俺はまだまだ子供だった。
ただただひっそりと彼女に恋をしていた子供だったものだから、俺を見るたびに機嫌を悪くする彼女を見てはひどく傷ついたものだ。
それでも嫌いになんてなれなくて、告白できる勇気もなくて、気づけば腐れ縁なんて言われて結婚式の友人代表スピーチに指名されてしまうくらいの気のおけない友人枠に収まってしまっていた。
鏡の前に映る俺は、あの写真に映る子供の俺よりずっと背が伸びた。少しだけ丈の足りない制服から身体にぴったりあう少しお高いスーツを着た大人の俺は写真と同じどうしようもなく困った顔をしている。
あの頃の俺は、自分がもっと大人なら彼女のご機嫌を損ねない様なスマートな振る舞いができるだろうと夢を見ていたものだが、どうせ告白できないのならいっそ子供まま隣にいれたらいいのにと思ってしまう。
ずっと子供のままずっとこの写真の中に入られたら、ずっとあの子の横顔を隣で眺めていられるのに。
きれいな髪だと思った。
触ってみたいと思った。
もっと話してみたいと思った。
名前も知らない、ただ一目見ただけの他人にそんなふうに思ったのは初めてだった。
きれいな髪が揺れて、氷の様な冷たい瞳が僕を捉えた。
そして形の良い薄い唇が開くその一瞬を僕は何年経っても鮮明に憶えている。
次の瞬間、その鈴を転がす様な声を出しそうな唇から溢れ出た罵詈雑言に、僕の初な恋心は跡形もなく散るはずだったというのに。
彼女が形の良い眉をひそめるのも、冷たい瞳を怒らせるのも、薄い唇が罵るのも、全て僕だけになのだと気づいてしまったとたんに僕の恋心は手軽に息を吹き返してしまったのだった。