『ここではない、どこかで』
ほたほたと、美しい頬に涙が溢れる。
「行ってしまうんだね。君は」
エルフの若者は、出会った頃と変わらない美しい姿でそう言った。
対する俺は、出会った当初こそ彼と変わらない程の若々しさに溢れていたが、今は少々くたびれて来ている。
旅の途中で彼に出会い、たまたま体調を崩した事をきっかけにエルフの里に世話になった。
すでに10年になるが、この場所は変化が殆どない。
エルフの里にいる間にエルフたちに様々な知恵を授けてもらったり、魔術を教えてもらったりと有意義な時間であった。体を治すまで置いてくれたことは感謝しているが、元々世界を見て回りたいと思って始めた旅である。
この里から離れて、世界を見て回りたい。
その気持が高まっていた。
俺は荷物をまとめ、今日、エルフの里から旅立とうとしている。
「十年も経つと流石に荷物も増えるな。俺のものは処分してもらって構わないから」
旅の空では荷物は厳選しないといけない。彼の家に世話になる間に増えた物たちは、置いていくしかない。
「君のものを捨てることなんて出来ないよ」
彼は涙を拭うと、俺を抱きしめる。俺も彼を抱き返した。10年同じ家で寝起きしていれば、もう仲間というよりは家族の感覚だ。
「ひと月経ったら僕も追いかけるから」
「うん。……………うん?」
首を傾げた俺に、彼が更に首を傾げる。
「あれ、言っていなかった? 里の仕事があるからあとひと月は里を離れられないけど、仕事が終わったら僕も追いかけるって」
「え? お前も一緒に来るの?」
「当たり前だろう。君をどこともしれない場所で一人にしておくなんて出来ないよ」
彼はにっこりと笑うと、俺に口づけた。
…………あれ?
「え? お前、え?」
混乱する俺に、美しい笑顔が追い打ちをかける。
「番と離れているなんて、エルフには耐えられないからね」
つがい。
「ちょっと待て、お前と俺との認識の間にだいぶ大きなズレが生じている」
旅装を整えておきながら、俺はこいつと腰を据えて話す必要性が出てきた。
旅の空、ここではないどこかに向かえるのはちょっとばかし先になりそうである。
2023.04.16
家族(兄弟)と家族(嫁)と思っていた二人のすれ違い。
キスが嫌じゃなかったんで、まぁそういう感じ。
『届かぬ想い』
恋をしている。
あの、キラキラと煌く舞台に、恋をしている。
スポットライトの当たるあの場所で、鮮やかな衣装を着て踊る自分に、恋をしている。
焦がれて焦がれて、藻掻いて藻掻いて。
なお、届かない、想い。
不合格のオーディションの通知を握り潰して、今日もひたすらに踊る。
諦めてなどやるものか。今は届かぬとも、絶対にあの場所に立ってやる。
恋をしている。
あの、キラキラと煌く舞台に恋をする彼女に、恋をしている。
頑張って、と誰よりも応援する気持ちは本当なのに、彼女があの場所に行ってしまうことに怯えている。
誰よりも光り輝く彼女を、私以外の誰かが見つけてしまう事に怯えている。
彼女は私を振り返りはしない。
あの煌めく舞台しか見ていないから。
いつか、と。願うことすら出来ず、ただ彼女の背中を見つめている。
2023.04.15
『神様へ』
「志望校に合格できますように」
偶々カバンの中にあった饅頭を備えて両手を合わせたのは、裏山で見つけた小さな祠。
それから一年後、僕は見事第一志望の学校に合格した。
コツコツ勉強した結果である。
「あんた、お願いしたんだからお礼行きんさい」
炬燵の上の饅頭を見て、裏山の祠のことを思い出して祖母に言ったところ、返ってきたのはそんな言葉だった。
「えー、でも僕が頑張ったんだよ」
「かみさんはあんたが頑張れるように見守ってくださるんよ。それに、裏山のかみさんは蛇神さまやけ、お礼せんと怒られるよ」
「……はぁい」
そうして、僕は祖母が用意してくれた赤飯をもって、裏山に登ることになったわけである。
「おかげさまで第一志望に合格する事ができました。有難うございました」
赤飯の包みをお供えして、両手を合わせる。
「あいてっ」
上からなにか降ってきて、頭に当たって地面に落ちた。
「……石?」
どこから?
上を見ても、祠のある場所は少し開けた場所にあって、石が落ちてくるような崖やらはない。
落ちてきた石は、つるりとしてひし形に整っている。まるで、鱗のような形だ。
「…………なんてな」
僕は石を拾い上げ、祠と見比べる。
「これ、もらっていいんですか?」
反応はない。当たり前だけれど。
当たり前だけれど、ホッとしたような残念なような奇妙な気持ちで、僕は石をポケットに入れた。
「頂いていきます。有難うございます」
一礼して山を降り、祖母に事の次第を報告した。
「あんれま、あんた気に入られたね」
「まじかー……やっぱそういうアレかー……」
実のところ、そうかなーとは思っていた。
「ばあちゃん、もうお山に登るのもしんどいけぇ、来月からあんたがお世話しな」
「え、あの祠うちのなの?」
「そりゃそうよ。うちの山にあるんやけ、うちがお祀りせななぁ。頼んだで」
なし崩し的に祠の管理を押し付けられたわけだが、なんとなく僕もそうしなければならない気がしていた。
不思議なことに、あの祠に行ってから、なんとなく運がいい。
宝くじが当たるような運ではない。急いで駅に駆け込んだら、ほんの少しだけ電車が遅れてて滑り込め、遅刻せずに済んだとか。なんとなく折りたたみ傘を持って出ると雨が降るとか。食べたかったパンがギリギリ買えたたか。
そういう、些細だけれどちょっと嬉しくなる幸運が……幸運なのか? わからないけれど、そういうものが僕の生活の一部になっていた。
多分、祠の世話をしてほしいから奮発したんではなかろうか。だって僕、合格しかお願いしてないし。
祠の世話は正直面倒ではあるが、もともと裏山は僕の散歩コースでいつも登っているのだ。そのついでにちょこちょこ手を入れれば文句もないだろう。
ねぇ、神様。
だからもう、夢に出てきてなにか言いたげな目で僕を見るのやめてくださいね。
いいことがあるたびに「どうだ!」と言わんばかりの目で見つめてきて。
でかい蛇に見つめられるのは、結構居心地が悪い。
けれど、だんだんドヤ顔の蛇が可愛く見えてきてもいて、ため息をつく。
「なんか段々ペットみたいな感じしてきたんだよな……」
その日見た夢では蛇神様はご立腹だった。ペット扱いは嫌だったらしい。
僕は夢の中で平謝りして、起きてから饅頭と煎餅を御供えに行く羽目になったのである。
神様って、難しいなぁ……。
2023.04.13
敬ってはいる。一応。
『快晴』
見上げた空は見事に晴れていて、見渡す限り雲一つない、気象庁も太鼓判を押すような快晴だった。
そんな空とは正反対に、私の気分は地面を突き破ってマントルまで行っちゃいそうな憂鬱。天気に例えたら土砂降りの大雨。
こんな時は、晴れてる空も憎たらしく思える。
今日はなんにもない普通の日だけれど、昨日は違った。
美容院で髪を切って、アイスを食べて帰ろうと思ってた。
美容院に行ってみれば、いつも担当してくれる美容師さんは急なお休みで、担当してくれた人は馴染みのない人。
不安は的中で、眉より下ってお願いした前髪は見事に眉毛の上で切り揃えられていて、私はショックで絶句した。
アイスを食べる気になんてならなくて、家に帰って布団の中に引き籠った。
「短いのも可愛いわよ」ってお母さんは言ってくれたし、私もまぁまぁ悪くはないって思ってる。
でも、前の髪型はあいつが可愛いって言ってくれたんだ。
私は、「短い前髪も可愛い私」じゃなくて、「あいつが可愛いって言ってくれた私」でいたかった。
それが、昨日の話。
私の気分が最低でも時間は進むし前髪はすぐには伸びない。短い前髪をため息をつきながらセットして、こうして学校に向かってるけれど、足取りは重い。気になって、ずっと手のひらで前髪を撫で付けてしまう。
「よ、おはよ」
「あ、おはよ」
声をかけてきたのはあいつ。いつも、学校へ行く途中の交差点で行合う。
二人で歩きながら、やっぱり気になって前髪をいじっていると、当然あいつに気付かれるわけで。
「髪どうかしたん?」
「う……ん、ちょっと、前髪切りすぎちゃって」
「前髪? そうかぁ?」
あいつが私の顔を覗き込んできて、前髪を隠してた右手をどかされる。
「あー、確かに前よりは短いけど、可愛いじゃん」
「……………ほんと? ほんとに可愛い?」
「ん? おう。そんなんで嘘つかねぇって」
可愛いって。可愛いって!
現金なことに、その瞬間から私の心は虹までかかりそうな勢いで晴れ渡った。
今度は前髪のかわりに、緩む頬を両手で隠しながら歩く。
「……ほんとに可愛いなお前」
「え? なんか言った?」
「んーや」
「そう? 今日、いい天気だね!」
憎たらしく思えていたこの快晴の空も、今は清々しく思えるのだった。
2023.04.13
鈍いのは彼女。
『遠くの空へ』
毎月届く手紙がある。
手紙というか、写真だ。大判の写真の裏に、住所と名前が書かれ、切手が貼られて投函されたもの。
それは一月に一枚、稀に二枚、特に日付に法則はなく月の何処かで届いた。
誰からのものかわからない手紙だ。
なぜなら、それは僕に宛てたものではないからだ。
最初に受け取ったのは、沢山のボートが浮かぶ海と青空の写真だった。澄んだ翠から濃紺へのグラデーションを描く海と、高く抜けるような青に、雲のくっきりとした白のコントラストが美しくて、てっきり写真展のDMかなにかだと思ったのだ。
しかし、宛名を見てみると僕宛てではない。
そこにあったのは、つい先日亡くなった叔父の名前だった。
もともと体の弱かった叔父は、悪い時には月の半分を寝付いているような人で、僕はよく、身の回りの世話をしたり買い物を手伝ったりしていた。
穏やかで物知りの叔父のことが好きだったし、彼の山となった蔵書もまた僕にとっては魅力的だった。
叔父も、自分に子供がいないこともあってか、僕のことをとりわけ可愛がってくれたように思う。僕が今住んでいるこの家も、もともとは叔父の住んでいた家だ。相続に関わる税もすべて叔父が処理して僕に遺してくれたと知ったのは、叔父の葬儀を終えたそのあとだった。
そういうわけだから、叔父宛ての郵便物が届くのはままある事だった。DMなら放置してしまうことも多かったが、友人知人の場合は、亡くなったことを連絡し、連絡が遅くなった事のお詫びをさしあげた。叔父はまめな人で、連絡簿を遺してくれていたが、それでも漏れる人は居るものである。
この人もそういう類だろうと思って差出人を確認する。そこには走り書きのような字で、『スペイン・デニア K』とだけ書かれていた。
これだけの情報では返信も出来ず、誰かわからなければ連絡も取れない。だが、これだけの情報でわかるのだから、叔父とは懇意なのだろうと察せられた。
叔父の死をなんとか連絡出来ないものかと、僕は叔父の遺品を探し回った。マメな人だから大抵のものは整理整頓されていて探すまでもないのだが、それは叔父が書物をするのに使っていた文机の、引き出しの一番奥にしまいこんであった。
古い、学生が使うような道具箱の中に、たくさんの写真。
何枚も、何十枚も。消印を確かめてみると、一番古いものは30年ほど前で、叔父もまだ学生だった頃だ。
差出人は、国と地名は毎回ことなるものの、いつも同じ『K』。
叔父のことだから、こんなに沢山の写真があればアルバムに綺麗に整理でもしそうなものなのに、箱の中に乱雑に放り込まれた写真の束。それなのに、写真の角は擦り切れ、幾度となく手に取ったことが伺える。
これは叔父にとって特別なものなのだと、理解した。
飾るでもなく、アルバムに綴じ込むでもなく、箱の中に放り込み、引き出しの奥底に仕舞い込む。けれど、そうしてなお幾度も手に取ってしまったのだろうこの写真たち。
僕はため息をついて、叔父の位牌に向かって頭を下げた。
「ごめんね、叔父さん。見られたくなかったと思うけど」
こんなもの、恋文を見られるようなものではないか。
苦笑いしている叔父の姿が目に浮かぶようだった。
僕は、届いた写真を箱の中に収め、引き出しの元の場所にしまいこんだ。
おそらく、叔父の古い知り合いに聞けば『K』の正体はわかるだろう。けれど、それをするのは躊躇われた。
叔父は『K』に関する情報を何も遺さなかった。
知らせなければ、『K』の中で叔父は生き続ける。遠い遠い空の下、『K』は叔父のことを思い写真を撮り続けるだろう。
叔父がそれを望んだと、そう思うのは僕の感傷が過ぎるだろうか。
けれど、僕はその時感じたものを信じ、今でも『K』を探さずに居る。
写真は届くたびに一日位牌に供えてから箱の中にしまっている。
いつまで続くだろう。
いつか、終わりが来るのか。
あるいは、『K』が叔父を訪ねてくる未来があるのか。
僕は今日も、届いた写真に写る、遠い空の下の風景に思いを馳せる。
2023.04.12