自然の音は美しい、と。
昔教えてくれた人がいた。
自然に多く触れることが、豊かな感情を育む、と。
人の手が及んでいない波打ち際には、
機械的な音は一切しない、自然だけの音が響く。
規則性のない、波の大きさや多少の風の変化で微妙に変わる音。
自然と人工の違いは、こういったところに現れるのかもしれない。
二度と同じものは現れない。
波音に耳を澄ませて、改めて自然の美しさに気づく。
吹いている風はどこから来てどこへ向かっていくのだろう。
そんなの知るわけないでしょう。だって風に意思はないのだから。
それでも知りたいと思うのは風がいつも吹き止まないから。
そんなの思い上がりでしょう。たまに止まっているじゃない。
風が吹かないってことはそこに風は生まれてないでしょう。
そんなの屁理屈でしょかないでしょう。哲学気取った面倒なやつか。
海に行けば波が起きてるそれは風の証明でしょう。
揺れない水面の海はきっとどこにもないでしょう。
つまりは風は青に例えられるのでしょう。
透明なそれはその綺麗さから人の欲の元に晒される。
その欲はいったいどこに向いたものなのか。
希少価値があるから金になる?
美しい自分にこそ美しいものが相応しい?
結局欲する欲望そのものが汚く見え、
その欲を引き起こすモノ自体は美しいと言えるのか。
人の欲が絡むモノ全てに汚さを覚えてしまい、
クリスタルであれ、例外ではない。
本当に綺麗なモノとは何か。
誰かに期待されることが怖かった。
応えなければならないと自分を追い込みすぎてしまうからだ。
夏は一年だ一番大切で、
どう過ごしたかがこの年の全てが決まる。
だから頑張るしかなかった。
期待には応えないといけないし、
未熟な僕にできることは今ひたすら頑張って結果を出すしかなかった。
毎年そうやって自分を奮い立たせて、
熱くなると同時に僕は体から汗の匂いを纏っていた。
響くカーテンコール
立ち上がり拍手を送る観客
応えるように礼をする演者
カーテンを隔てて二つに分かれた世界
布切れ一枚で世界が変わるなんて
とても律儀な世の中だ。
拍手が鳴り止むまで
この幕は開き続ける
が、新しい物語が始まるのは
まだ先のことだった