『本当に大切なものは、失ってから初めて気づく』
どこかの誰かが偉そうにいった言葉。
いつ聞いたかは覚えてないけど、『立派なお考えだ』とゲンナリした記憶がある。
だけど今ならわかる。
今、確かに失った事で、それが大切なものだと言うことに気づいた。
なぜ今までぞんざいに扱っていたのか……
悔やんでも悔やみきれない。
本当に大切なもの。
それは――
時間だ。
◆
明日、学校でテストがある。
期末テストほど重要なテストではないけど、赤点を取ればもれなく親が呼ばれるくらいには重要なテスト。
呼び出された後は、教師と親のW説教コース。
ああ、おせっかいの親友の沙都子の説教も追加かな。
正直、何度も親を呼ばれたことがある自分にとって、赤点を取ったところで痛くも痒くもない。
けれど、最近は沙都子から勉強しろとを強く言われている。
勉強したくないのだけど、いろいろ貸しとかある逆らえないのだ。
なので大人しく言うことを聞いて、今回だけは勉強する事にしたのだ。
怒らせても怖いしね。
と、そんな決意をした時刻は午前十時。
今から一日中勉強をすれば、テストの範囲を十分カバーできる。
そう思って勉強を始めようと思ったのだが、妙に眠い。
そういえば、昨晩ゲームをして夜遅くまで起きていたことを思い出す。
珍しく勉強をやる気になったと言うのに、皮肉なものである。
始めは我慢して勉強するべきとも思ったのだが、仮眠をとりすっきりさせた方が勉強も捗るだろうと判断した。
そうと決まれば話は早い。
すぐに寝床を整え、仮眠をとることにした。
それがいけなかった。
◆
仮眠から起きると日が落ちていた。
時刻は午後7時。
仮眠にしては普通に寝過ぎである。
何か、疲れるような事でもしたっけ?
ただの夜更かしのはずなんだけど。
どちらにせよ、今日はもう遅い。
これからこれから勉強しても、大した効果はあるまい……
諦めて、説教を受けることにするか。
……いや、まだだ。
まだ今日は終わってない。
意外なことに、自分の中には『勉強をする』という意思が残っていた。
普段なら諦める流れだったのに、本当に珍しいこともあるもんだ。
とはいえ今から勉強をしても、十分にテスト範囲をカバーできまい。
だが万全とはいかないまでも、親を呼ばれない程度には点が取れるはずだ。
幸いにもぐっすり寝たので、眠気は無い
つまり、体調は万全という事。
ならば問題ない。
早速勉強に取り掛かかろう。
と、まさにその時、お腹がぐううと鳴る。
そういえば、朝から寝ていたので昼を食べてない。
腹が減っては戦は出来ぬ。
とりあえず腹ごしらえしてから勉強しよう。
◆
ふう、いい湯加減だった。
やはりご飯を食べた後の風呂は格別である。
そして風呂の後は何をするか……
決まっている。
昨日のゲームの続きだ。
もっとやりたかったのだが、眠気には勝てずリタイア。
なので続きがやりたくて仕方がない。
とはいえ明日は学校だから、遅くまでは出来ない
けれど、それまでは思う存分ゲームを楽しむことにしよう……
……何か忘れているような気がする。
なんだっけ?
まあ、思い出せないなら大した用事ではないのだろう。
束の間の至福の時間を楽しむのだ。
◆
布団を敷いて、いざ睡眠となったとき、あることを思い出した。
テストの事を……
即座に寝ることを中断して、机に座り勉強を開始する。
多分一夜漬けになるが、やらないよりましだ。
そして、なぜ勉強をしなかったのだと、自分に怒りたいが後回し
後悔している時間すらない。
範囲とか、赤点とか心配事を全部放り投げて、範囲を片っ端から目を通し、少しでも単語を覚えていく。
かつて存在したやる気はすでに無い。
だが、もはや意地の問題である。
ここまで来て勉強をしない、というのは気持ちが悪いのだ。
あと、親友の怒った顔が怖いと言うのもあるけれど。
『本当に大切なものは、失ってから初めて気づく』
ああ、そういえば親友から言われたんだっけ。
私の今の状況を予言でもしたのだろうか?
そのことについてかんげることもまた、後回しだ。
今はとにかく時間がない
私は失ったものの大切さを感じながらも、残り少ない時間を取りこぼすまいと、集中して勉強に励むのであった。
『子供のままで』
小さい頃、早く大人になりたいと思っていた。
大人になって冒険者になりたかったのだ。
ダンジョンに潜り、悪いドラゴンをやっつけ、金銀財宝を手に入れ、お姫さまと結婚する……
そんな絵本に出てくるような凄い冒険者に憧れたのだ。
だが現実は厳しかった。
初めてダンジョンに潜ったとき、スライムに追い回された。
ダンジョンは、いつも暗くてジメジメしていた。
ドラゴンとの戦いも命がけで、金にはなるが割に合わない。
そしてお姫さまどころか、ダンジョンには出会いがなかった。
絵本に出てくる勇敢な冒険者や冒険譚は、絵本の中にしか存在しなかったのだ。
そん現実に打ちひしがれても、なんだかんだ十年近く冒険者をやり、周りからは一目置かれるようになった。
子供じみてはいたと思うけど、絵本の中の冒険者に近づいたと思って、ちょっと嬉しかったのを覚えている。
けれど、とある事件からトラウマになり、ダンジョンに潜れなくなった。
そのことに思い悩んだものの、その時に出来た恋人のクレアの勧めで、故郷の村に戻ることにした。
スローライフというやつだ。
そんなわけで、今俺はかつて子供時代を過ごした家にいるのだが……
「こら、バン。いつまで寝てるの」
「部屋、散らかりすぎ。あとで片づけなさい」
「休みだからって、寝巻のままでいないの」
「着ていた服はちゃんとカゴに出しなさい」
「ご飯の前にお菓子食べるんじゃありません」
「食べた食器は水につけてなさい」
これである。
今日は村での仕事が休みということで、遅くまで寝ていたら小言の嵐。
母親にとって、俺はまだ小さな子供のままらしい。
確かに小さな子供の頃村を飛びだしてけれど、本当に子ども扱いされるのは心外だ。
とはいえ飛びだして帰ってくるまでに、全く連絡しなかった後ろめたさがあるので、強くは言えないのだが……
「これでよく生活できたわね」
「今もきちんとやってるよ」
「これで……? 母さんから見たら、手抜きでしかないわ」
これでも冒険者仲間の間では、よく身の回りを整理をしたほうなのだが、母さんにとっては落第点らしい。
と、前から聞きたかった事を思い出した。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど……」
「何? 改まって」
食器を洗おうとした母さんは、台所から戻って来て向かい側の椅子に座る。
「俺、冒険者になって十年くらいだったかな、連絡何もしなかったじゃん」
「そうね」
母さんは悲しそうな顔をする。
なんで手紙くらい書かなかったのか、今更ながら後悔する。
「帰ってきたとき、一発くらい殴られるかと思ったんだけど……」
「悪い事をしたとは思ってるのね」
「ああ。 だから、母さんが何も言わず迎えてくれたことが不思議で――」
「ぷっ」
俺が言いかけている途中で母さんが噴き出す。
何か変なこと言っただろうか。
「改まって聞くことなの?」
「でもさ」
「理由はね。アンタが私の子供だからよ」
確かにそうなのかもしれない。
母さんはそういう人だ。
でも俺は冒険者の時、いろんな人間の闇を見た。
見返りを求めない善行なんて存在しないし、裏があるのが当然だった。
だから、母さんが見返りを求める人間ではないと頭では分かっていても、どうにも落ち着かない気分になる。
俺が難しい顔をしていると、母さんは何かを思いついた顔をする。
「気にするなら、罪滅ぼしに一つお願いを聞いてもらおうかしら」
「一つでいいのか」
「母さんはね、あんたみたいに欲張りじゃないのよ」
「俺も欲張りじゃないけどな。 お願いって何?」
そう言うと、母さんはニヤリと笑う。
「『ずっと母さんの子供のままでいなさい』」
「それ、どういう意味?」
文脈がよく分からない。
聞いてみるも、母さんはもったいぶってすぐ話さない。
「あの母さ――」
「あんた、近々この村出るつもりでしょ?」
母さんの言葉に背中に冷たいものを感じる。
俺がそれを聞いて思った事は一つ……
なんで分かった?
「『なんで分かった』って顔ね。
母さんはあんたの事は何でもわかるの……
気づいてる? あんた、10年前に村を出るときの顔と同じよ」
思わず自分の顔を触って確かめる。
だが、何も分からなかった。
「『ダンジョンに行けなくなった』って聞いてたけど大丈夫になったの」
「あ、うん、そうなんだ。 村の近くのダンジョンを見ても、前ほど怖くない」
村に来た当初は、ダンジョンの事を考えるだけでも震えていたものだが、最近ではむしろ行きたいくらいだし、なんなら近所のダンジョンもこっそり潜った。
恋人の勧めで帰って来た故郷だが、知らないうちに俺の心の傷を癒していたようだ。
スローライフって凄いんだな…
「ダメよ、って言っても行くんでしょ?」
「……ゴメン」
「いいわよ。お願い聞いてくれるならね」
母さんは寂しそうに笑う。
「分かった、ずっと母さんの子供だよ」
「よし、なら許す」
俺の答えに満足したのか、母さんは満面の笑みを浮かべる。
「出る前には挨拶しなさいね。 前回みたいに急にいなくなるのは無しよ」
「分かってる」
「村を出て落ち着いたら手紙を出しなさい」
「うん」
「あと、一年に一回くらいは村に帰ってきなさい。 お土産もね」
「全然一つじゃないじゃんか。 欲張りなのはどっちさ」
「母親特権よ。 で、約束してくれる?」
母さんが俺の目をまっすぐ見て言う。
「分かった。 一年に一回は必ず村に戻る。 約束する」
「よろしい」
母さんはこれで話は終わりと言わんばかりに、椅子から立ち上がり、台所へ向かう。
俺はその背中を見て、思う。
きっと俺のトラウマがよくなったのは、母さんのおかげなんだな、と。
自分で何でもできると思っていたけど、また母さんに守られていたようだ。
なら子ども扱いも仕方ない事なのかもしれない。
だからせめて、この村にいる間は母さんの子供でいよう、そう心に決めたのだった。
「俺はアイスクリームのことが……好きだぁぁぁぁ」
観衆が見守る中、俺は腹の底から、アイスクリームへの愛を叫ぶ。
ここは大声大会。
声が一番デカい奴を決める大会だ。
俺は、この大会でこれまでの人生14年の中で一番大きな声を出した。
きっと参加者の中で一番大きい声だろう。
優勝はもらったな。
「失格」
だが失格だった。
「なぜですか!」
俺は偉そうにふんぞり返っている、開催者の男を睨みつける。
だが男は無表情のまま、俺を睨み返してきた。
「あのね、分かってる?
ここは声の大きさを競う大会なの」
「知ってます」
そんなこと知っている。
大声大会は、声の大きいヤツが正しい。
小学生でもわかるだろう。
俺の事をバカにしているのか?
「では、なぜ――」
男は、相変わらず表情のない顔で俺に問う。
「なぜ、『決められたセリフ』を言わない?
ルールで決まっているだろ」
まるで物わかりの悪い悪役のような言葉を吐く。
たしかにこの大声大会では、叫ぶセリフが決まっている。
だが――
「それには理由があります」
「理由?」
ルールを守らない理由がならある。
まったくまだ気づかないのか。
察しの悪い大人だ。
「ユニーク賞狙いです」
「ユニーク賞……」
男が初めて表情を崩す。
理解できないという表情だった。
では説明しなければなるまい。
「『アイスクリーム』と、私は叫ぶの英訳『I scream』(アイ・スクリーム)、そして『愛をscream』の三重に――」
「違う、そういう事じゃない」
男は俺の言葉を遮る。
「この大会はユニーク賞は無い」
「でも他の大会ではあります」
「ほかも大会はね。だがこの大会はない」
頑固なヤツだ
だけど、想定内でもある。
あらかじめ用意した演説を行う。
「今、世間では多様性が叫ばれております」
「そうだな、それで?」
「こういった時代に『たった一つの決められたセリフを叫ぶ』というのは、時代に逆行してませんか?」
「……何?」
男が驚いたような声を上げる。
「多様性が叫ばれている時代だからこそ、決められたセリフではなく、自由に叫ぶことが出来る。
大声大会はそうあるべきではないか?
俺はそう信じたからこそ、あえて違うセリフを叫んだのです」
「そこまで考えていたのか……」
男は、俺の言葉に感銘を受けたのか、鼻をすすり始めた。
「君の言う通りだ。儂が間違っていた」
よし、勝った。
「君の主張を全面的に受け入れよう」
これで俺はあんな恥ずかしいセリフを言わなくて――
「だから、もう一回叫んでくれ。
『決められたセリフ』でな」
「は?」
男の言葉に耳を疑う。
「ちょっと待ってください。 俺の言い分を認めてくれたんですよね?」
「そうだ、認めている、君は正しい。
しかし他の参加者の手前、君だけを例外扱いするわけにはいかん」
「な、に……」
何かがおかしい。
こんな展開になるなんて、どうしてこんなことに……
俺がショックを受けている間も、男は話を続ける。
「他の参加者の中にも、君と同じように違うセリフを叫びたかったものがいるかもしれない。
だが、他参加者たちは、そんな思いを押し殺して叫んだ。
君だけ例外を認めるのは、他の参加者に示しがつかないのだよ」
「でも多様性が――」
「ああ、分かっている。
来年から、自由に叫んでいい事にしよう。
だから――」
俺は見た。
男は邪悪な笑みを浮かべていた。
そして男は言う
「だから今年だけは、決められたセリフで叫んでくれ」
馬鹿な、と頭の中で叫ぶ。
要求が通ったら、そのまま帰ろうと思っていたのに、こんな事になるなんて。
奴は俺の要求をのんだ。
だから次は俺が要求を呑む番だ。
もし俺がここで逃げれば、卑怯者として笑われるだろう。
男は俺の要求を呑むふりして、逃げ道をふさいだのだ。
畜生、大人って汚い。
頭をフル回転して、なんとか打開策がないかを考える
だけど何も思いつかない。
時間が無さすぎるのだ。
観衆も、俺が叫ぶのを待っている。
もうヤケクソだ。
俺は大きく息を吸う。
「お、お母さんいつもありがとう! 僕は頑張っているお母さんの事が大好きです!」
俺は観衆が見守る中、会場で愛を叫ぶ。
会場に巻き起こる盛大な拍手。
その歓声の中で、母親は涙ぐみながら俺の動画を撮っていた……
だから嫌だったんだよ。
「あら」
洗濯物を干していると、モンシロチョウが目の前を通り過ぎる。
お散歩かしら見ていると、チョウは干した洗濯物にふわりと止まる。
チョウを脅かさないよう静かに見つめて、自然と笑みがこぼれる
私は蝶が好きだ。
いろいろな図鑑を集め、時には飼育し、そしてチョウの動画ばかりを見ている
標本は……可哀そうなのでしたことがない。
そのくらい好きなので、友人からは蝶婦人と呼ばれている。
「キエエエエ」
家の隣にある畑から、奇声が聞こえる。
隣で家庭菜園をやっている、加藤さんだ。
友人は『超』夫人と呼んでいる
「チョウどもめ、私のキャベツから離れろ」
超婦人は、蝶を始めとした虫を『超』嫌っている。
理由は単純、自分が育てた農作物を食べてしまうから。
モンシロチョウは益虫と思われがちだが、幼虫の方は葉っぱを食べるので害虫なのだ。
農家にとって不倶戴天の敵であり、忌々しい存在なのである。
ちなみに『超』夫人と言うのは、私と性質が真反対ということで、蝶婦人にちなんで名づけられた。
本人はそう呼ばれていることを知らない。
知っても困るだけだから、言わないのが吉だろう。
そして、意外にも……かは分からないけど結構仲が良かったりする。
私とは真反対の性質だが仲良くやっている。
「今日は暑いですね」
と私が言えば、向こうも、
「暑いですねえ。
あ、そういえば――」
と話が広がるくらいには、仲がいい。
正直、超婦人が農薬でチョウを殺していることに言いたいことはある。
だが、向こうも私がチョウを飼っている事には、思うことがるだろう。
だけど『世界にはいろんな人間がいる』。
当たり前といえば、当たり前の事。
お互いいい大人なので、互いの領分を侵さない限りは、何も言わないという暗黙の了解。
不可侵条約と言うやつだ。
今日も超夫人と井戸端会議で盛り上がる。
いつもの初夏の日。
平和な一日であった。
🦋
「様子はどうだ?」
「いつも通りです、先輩」
「ならいい」
暗い密室で、モニターを見つめる人影があった。
モニターには蝶婦人と超婦人が映っている。
ここにいる人間は二人を監視しているのだ。
新人らしき若い男が、ベテランらしき男に話しかける。
「こうして見ても信じられません。 この二人が原因で世界が滅ぶなんて……」
「信じられないのも無理もない……
だが我が国のスーパーコンピューターはそう結論付けた」
ベテランは、モニターから目を離さず、説明を続ける。
「世界が滅ぶ条件は覚えているな?」
「はい。 蝶婦人が飼っているモンシロチョウが逃げて、超婦人がそのチョウを殺したら……ですよね」
「そうだ。 そしてモンシロチョウが逃げたら、即座に逃げたチョウを捕獲、無理そうなら俺たちで殺すんだ」
「分かってます。
でも、なんで野生でなく飼われたチョウが殺されることで、世界が滅ぶんでしょうか?
しかもモンシロチョウって指定があるし……」
「直接の原因ではない。
この二人の行動がきっかけとなり、幾万もの減少が連鎖的に引き起こされ、結果として世界が滅ぶ。
簡単に言えばバタフライエフェクトというやつだ
モンシロチョウである理由は…… 正直知らん。
まあ、俺たちの知らないモンシロチョウ特有の事情があるんだろう」
「なる、ほど?」
新人が分かったような分からないような顔で、うなずく。
「分からないなら分からないでいい。
だがモニターに集中しろ」
「すいません」
「いいか、世界の命運は俺たちにかかっている。
交代要員が来るまで、あと一時間だ。
それまでに何も見落とすなよ」
「了解」
それを最後に、二人は会話を終了し、目を皿にしてモニターを見つめる。
どんな異変も見逃さぬよう、穴が開くほど見つめる二人。
何があってもいいように、手に虫とりあみを握り締め、世界の危機に備えるのであった。
う、嘘だろ。
全員で、俺をドロ4で狙い撃ちしやがって。
分かった。
分かってるよ、『UNOで負けた奴は面白い話をする』だよな。
覚えてろよ。
で、お題は?
『忘れられない、いつまでも。』?
また変なお題を……
と言っても忘れられないことなんてないぞ。
俺の人生に特に波乱もなく、お前らと違って堅実な人生を送ってるから、別にそういうのは――
あ、一つあったわ。
でもあの話は……
いや待て、そんな前のめりになるな、分かったから、話すから。
まったく……
なんなんだよ、その食いつきは……
コホン。
えー、俺が中学生の時の話。
俺、中学生の時は電車通学だったんだ。
自転車か電車かっていうギリギリの距離だったけど、まあ、ちょっとだけ背伸びたくてね。
電車通学にしてもらったんだ。
それで毎日、通学の時、駅で乗り降りするわけなんだけど、あったんだよ。
『開かずの扉』。
学校の最寄り駅の待合室に。
なんの扉かというと、駅員が待合室から窓口の中に入る、いわゆる業務用ドアってやつ。
その扉、雰囲気がそれっぽくてな。
錆が浮いてるし、ペンキもはがれてて、特に扉が開いた時なんか、ギィー……って地獄の底から音がするような――
え、何?
『開かずの扉だろ』って?
いや、開くよ、当然じゃん。
それ開かないと、駅員さん困るからね。
全然開かずじゃないって?
まあ、そうだな。
さっきも言った通り、『いかにも』それっぽいから、俺たちが勝手に『開かずの扉』て呼んでたの。
子供だったからな、楽しければよかったわけ。
で俺達が勝手に盛り上がって、いろんな噂をしたわけよ。
あの扉は開かない、いや開けたら連れて行かれる、とか。
で、それを聞いてみんな『怖い』とか『やべえ』とか言って楽しむんだ。
みんな嘘だと知っててね。
電車通学じゃないやつは信じてたかもしれないけど、まあ怪談ってそんなだよね?
今思い出しても懐かしい。
俺の忘れがたき故郷の思い出だな。
ああ、そんな顔すんなって。
ここまでは前座。
俺が本当に忘れられないことは、これから話すことなんだ。
そんな感じで楽しく、『開かずの扉』で盛り上がった学校生活も3年目。
季節は……たしか今ぐらいだったと思う。
学校の近くのコンビニで漫画を立ち読みしてたら、電車の時間が近い事に気が付いたんだ。
慌てて駅に走ったわけ。
都会では考えられないけど、故郷は田舎で、電車が30分に1本なんだよ。
だから遅れまいと、全力で走ったんだけど、待合室まで行ったところで、なんと目の前で電車が出発。
俺、その場で力が抜けて、その場でへたり込んだのを覚えてる。
少し放心した後、地面に座るは行儀が悪いと思って、這って近くの椅子に座ったんだ。
電車が出発したばっかりで待合室はガラガラだったから、椅子は選び放題だった。
次の電車まで、何をして時間を潰そうかと考えていた時に、一人のおっさんが走って来たんだ。
おっさんも電車に乗り遅れまいと走って来たみたいなんだけど、まあ、俺と同じで乗り過ごしたんだ。
でもおっさんは、俺と違う反応をした。
キレたんだ。
『なんで、俺が来るまで待たないんだ』ってね。
遠くから見ていただけなんだけど、アレは酒を飲んでいたね。
で、突然のクレームに駅員が驚いて、窓口から出てくるわけよ。
『開かずの扉』を通ってね。
駅員さんも酔っ払いに慣れているのか、『マアマア』とか『落ち着いてください』ってなだめていたんだ。
でも、おっさんにはそれが不満だったらしくて、『お前じゃ話にならん、駅長と話す』って言って、窓口に入ろうとしたんだ。
『開かずの扉』からね。
そこで、駅員が止めるわけなんだけど……
「そこは開きません。『開かずの扉』です」
って、それこそ、本当に地獄から響いてくるような、とても低い声で……
顔こそ笑顔だったけど、得体のしれないものを感じてビビった。
さっき『開いてたじゃん』とか反論を許さないような、妙な気迫があった。
おっさんもビビったらしくって、『そっか、じゃあ仕方がないな』って駅を出ていったんだ。
どこ行ったかは知らん。
興味なかったからな。
それで駅員は、おっさんが去った後、俺のほうに向いて、
「お騒がせして申し訳ありません。 何かありましたら窓口へ」
って言って窓口に戻っていったんだ。
一番近い『開かずの扉』を使わず、わざわざ遠回りしてホーム側にある扉まで行って……
俺、そこで思い出したんだ。
確かに、駅員があの扉を使ったところは見たことがある。
けれど、内側から出るのは見たことあるけど、外側から入っていくのは見たことが無いって……
俺、今気づいたことがとんでもなく意味不明過ぎることに怖くなって、そのまま駅を出て、家まで走って帰った。
外は暗くなるくらいに家について、帰ってからは自分の部屋で布団に包まってガタガタ震えていた。
俺、怖くなって、電車通学を辞めて、自転車通学にして、そのまま卒業まで自転車で通った。
それ以来あの駅に行ってないんだけど、地元の友達に聞いた限りでは『開かずの扉
』はまだあるらしい。
肝試しに行くって?
場所は教えてやるから、おまえらだけで行け。
俺はいかない。
俺、今でも怖いんだ。
目の前で起こった意味不明な出来事。
自分が知っていると思った事が、全然得体のしれないものだと気づいた時の恐怖。
あの時に感じた、現実感が急になくなる浮遊感。
忘れられないんだ、いつまでも。
ずっと。
俺はあの扉が怖い。