〜ご報告〜
昨日ここで書かせて頂いた『巡りあえたら』のお話ですが、書きながら続きのお話がどんどん自分の頭の中に広がり始めて、自分でも抑え切れないほどの高揚感を久しぶりに感じました
せっかくだから、少し長編に挑んで見ようかと思います
お話の展開としては、偶然出会った同じ顔の別人の二人が、「似ている人が三人はいる」という三人目を協力しながら探しに出るという、涙あり笑いありの冒険ファンタジーです
ここでご紹介させて頂くにはとても長すぎるので、相応しいところで…と思っています
書きながらもワクワクが止まらない感覚は久しぶりです!
やはり、「書く」ということは最高の娯楽ですね
〜世の中には自分にそっくりな人が3人は存在するという〜
さっきから、向かい側の座席から視線を感じる
今まで感じたことの無いほど、まさに突き刺さるような感覚の視線だ
座席に腰を下ろすと同時に昨夜のドラマの視聴をスマホに食い入るように集中していたから今まで気が付かなかったのか、ついさっきからその視線が送られて来たかは分からない
ただ、その集中を遮るほどの強さなのは確かだ
その視線の先を辿りたい気持ちは山々だが、それを確かめる勇気も無い気がした
しばらく無視し続けたものの、今度は「顔を上げろ、顔を上げろ」とのテレパシーが送られてくる様な気配にもう抗えず、思い切って顔をあげた
「あっ!!」
と、その視線の主と同時に思わず大きな声をあげてしまった
そこには自分がいたのだ!
正確には自分と同じ顔の別人がいた
髪型や服装はまったく違う雰囲気だけれど、顔はまったく同じ
「そ、そんな…  何で? どういう事!?」
その人も同じ様なことを呟いたことは口の動きで分かった
電車は混んでいるほどではないものの、チラホラ立つ人もいたが、誰もその二人の衝撃には気付いていないようだった
というより、皆スマホに目を落とすか寝ているかで、誰も人のことなど気にしていない
(世の中に似た人がいるとは言うけれど、これはそんなもんじゃないよ!
似てるじゃなくて、同じだよ!?
パパがどこかで作ったとか? でも、それだったらママが違うから同じにはならないよね…)
などと、真面目だか不真面目だか分からない疑問が次々に湧いてくる
(あちらもきっと、同じようなことを考えているはずだ
話しかけてみようか…
いや、でも何て?
グズグズしてたら駅に着いちゃうし…
もし、このまま知らん顔して別れてしまったら絶対に後悔というか、このことが頭から離れないよね)
そう思いながらもう一度その人を見ると、あちらも意を決したように立ち上がった
「あの…」
(来たか…!)
そんな物語が頭を駆け巡りました
続きのお話を書き上げて、どこかで載せたいと思います(笑)
『巡りあえたら』
『奇跡をもう一度』
このお題を見て、「何と厚かましいことを!」と思わず声が出てしまった
本来の意味での奇跡なんて滅多に起こることではないし、起こらないからこそ奇跡というのだ
「一生のうちに奇跡には出会えないことの方が多い」と思っているくらいが丁度良いのに、もう一度、だなんて
厚かましいというか、おこがましいというか…
そんな感想を持ってしまった
イランがイスラエル向けて180発のミサイルを打った
頭上にミサイルが飛ぶ下で人々はゆったりと歩いている
もはや逃げ惑う場所も気力もないことを映し出したその映像に、衝撃のあまりしばし身動きが出来なかった
私達日本人が抱えている日々の悩みや嘆きなど、何でもないことに思えてくる
もし、奇跡を望むことが出来るなら
希望の光を失った彼らの目に再び力が蘇ることを祈りたい
『奇跡をもう一度』
今日もその店へ寄る為に自宅の最寄り駅よりひとつ手前で電車を降り、真樹夫は黄昏に染まり始めた美しい街の景色を楽しみながらゆっくりと歩いて行く
その店の名は『たそがれ』
昭和の時代に流行した昔ながらの喫茶店で、外観も店に通う客層も、名前の由来はそこからだと思わせるように皆まさにたそがれている
もちろん、真樹夫自身もその一人だ
元々の店の名の由来は、その店から眺める黄昏時の美しさに感動したオーナーが名付けたらしいのだが、その名に吸い寄せられるかの様に黄昏世代の客は足が向いてしまうようだ
入り口のドアを開けるとカランカランと客が来たことを知らせるドアベルが鳴り、「いらっしゃいませ」というマスターの渋い声が迎えてくれる
すでに先客は数人チラホラと来ているが、誰一人として視線を向ける人はいない
それが暗黙のルールなのか、興味が無いのかは分からなが、それくらいそれぞれが自分の時間を楽しんでいるのだろう
真樹夫が『たそがれ』に通うようになって5年ほどが経つ
おそらくそのずっと前から通っているのだろうと思われる常連さんや、比較的新顔の客と様々だが、その誰もが顔は知っているという感じだ
ただ、その誰のとも言葉を交わしたことはない
誰かと連れ立って来るという雰囲気の店でもないし、それぞれがのんびりとコーヒーを楽しんでいる
それぞれに背負う人生の荷を、そこでは一瞬下ろして、一息ついている…そんな形容が似合う空間なのだ
真樹夫はそんな客たちに密かにあだ名をつけている
1番の古株のような常連のその紳士は、歳の頃は70手前といったところか…
週に2度ほど真樹夫は訪れるが、その紳士は必ずカウンターの1番端に座り、おそらくマイカップと思われる大きめのマグカップでゆっくりとコーヒーを楽しんでいる 
言葉を発することは殆ど無いが、時折話しかけるマスターの声に穏やかな微笑みを返している「まったりさん」
営業の途中の時間調整にこの店を利用していると思われる「せかせかくん」
常にパソコンで忙しなく何かを打ち込み、時計をチラチラ気にしながらコーヒーになかなか口をつけない
せっかくのマスターの美味しいコーヒーが勿体ないと真樹夫は気になって仕方がない
そんなに派手に広げなくても良いだろうと思うほど、新聞を両手いっぱいに広げてパサパサと捲りながらコーヒーをズズッと啜る「新聞さん」
静かな店内にはオーナーのセンスの良さを感じさせる素敵なジャズが心地良い音量でリズムを刻んでいるというのに、その「新聞さん」の立てるパサパサという音と、大袈裟な咳払いに残念な思いをしているのは真樹夫だけではないだろう
それから、「和歌子さん」
もちろん本当の名前を知っているわけではない
真樹夫が昔好きたった女優さんに、その女性がどことなく雰囲気が似ていることから勝手に呼んでいる
彼女には毎回会う訳ではないけれど、いつもスーパーで買い物してきた重そうな荷物を持って入って来る
着ているものも雰囲気も、会社帰りではなく家庭の主婦なのだろう
目が回るような忙し時間の中でほっとひと息ついて飲むコーヒーが、彼女にこれから夕飯の支度に向かうパワーを与えている、そんな感じだ
彼女からどことなく漂う雰囲気に何故がシンパシーを感じて、真樹夫はこの店に来ると彼女の姿を探すようになった
それでも、話しかけたことも無いし、話しかけようと思ったことも無い
ここに来れば彼女も来ているかも知れない、それで十分だし、その距離感が良いのだ
もしかしたら、皆それぞれに複雑なものや重いもの、人には言えないものを抱えて生きているのかも知れない
一度言葉を交わせばその一端を覗き見してしまうこともある
そんなものはここでは必要無いし、むしろそういうのもから逃れてここに来ているのだ
妻からのLINEが届いた
「今夜は貴方の好きなエビフライ揚げるわ  会社から寄り道せず帰ってきて」
そろそろタイムオーバーだ
ここへ度々寄っていることを妻は知らない
ここは仕事で戦う戦士から家庭で務める夫役に交代するための楽屋的存在だ
妻に打ち明けることはおそらくしないだろう
「あいつの好きな駅前の店のシュークリームでも買って帰るか」
人生のたそがれ時を迎えた男の隠れ家『たそがれ』を真樹夫はあとにした
『たそがれ』
喧騒の
ガラスを隔てた
こちら側
行き交う人の
口パク眺め
『静寂に包まれた部屋』