海が青いのは、空が映っているからだと聞いたことがある
空があいまいなのは、今の混沌とした世の中を映しているのだろうか…
黒でもなく、白でもなく
グレーのままにしておきたい
そんな日もある
そんな気分の日は
どっちつかずの あいまいな空 に救われる気がする
『あいまいな空』
数年前、近所の神社で毎年恒例の「あじさい祭」で紫陽花の鉢をひとつ買った
私の大好きなネモフィラを思わせる爽やかなブルーが一目で気に入った
翌日私がリビングで寛ぐ時に一番に目につく庭の一角にそれを植えた
一瞬で、いつもの庭に優しさと気品が備わった気がした
それからはその紫陽花に「今日もキレイね!」とか「あなたには雨が似合うわね」などと毎日声をかけて愛でた
花の時期が終わった後も、また来年キレイに咲かせてね、と心を込めて世話をした
紫陽花もその思いに応えるかのように、どんどんと株を増やし、今や庭は「紫陽花の庭」とご近所からも呼ばれている
今年、あの鉢を買って以来初めてまた「あじさい祭り」を訪れた
青も良いけれど、今度はピンクの華やかさもたまにはいいわね
と、どちらかと言えば青寄りの上品なピンク色の鉢を買った
早速翌朝青の群れの中に仲間入りさせた
思った通り、まさに紅一点という感じでピンクの華やかさが際立ち、庭が一気に華やいだ
新入りのその子に「華子」と名付け、殊の外目をかけた
それから1週間経った日の朝、庭を見て「ひぁ!」と悲鳴ともつかない声を上げてしまった
何と、庭に広がっていたネモフィラ色の紫陽花たちがすべて「華子」色に変わっていたのだ
あまりの驚きに慌てて庭に駆け出ると、紫陽花たちの声が聞こえてきた
「あんなに私たちをキレイキレイと愛でてくれていたのに、ピンク色の子が来た途端に貴女ったら名前まで付けて可愛い、可愛いと
私たちはまるで「華子」」の引き立て役みたいになってしまったわ」
そして
「あなたの移り気が許せなかったの」
と…
あぁ、何てこと!
そんなつもりはまったく無かったのに…
「あなたたちのことは変わらず愛しているわ」
と申し訳ない気持ちで話しかけたが、もう遅かった
紫陽花の花言葉は「移り気」
これは紫陽花自身が色を変化させることを意味するものだと思っていたけれど…
私の移り気も許せなかったのね…
紫陽花たちの嫉妬心は私への愛の深さの現れなのよね
私がかけてきた愛情の深さがそうさせたのよね
今年もまた、こんな愛しい紫陽花たちが今一番美しく咲く季節がやってきている
『あじさい』
A 「食べ物にいろいろ好き嫌いがある人って、人の好き嫌いも激しいらしいよ」
B 「へぇ~、そうなの?」
A 「食べ物の好き嫌いって、見た目とか臭いとかがダメ!って食わず嫌いが結構多いらしいのよ」
B 「あ~、分かるぅ」
A 「そういう人って人に対しても見た目の第一印象とか、少し話しただけでダメ、合わない!って先入観でわりと簡単に排除する傾向があるんだって」
B 「私も好き嫌い多いから耳が痛いなぁ…」
A 「反対に好き嫌い無い人は、人に対してもおおらかで寛容なんだって
嫌な面があっても良い面にも目がいくから相手の人を多面的に見られるみたいよ
柔軟性があるのね」
B 「思い当たることあり過ぎだわぁ」
A 「好き嫌いのある人は拘りが強くて視野が狭くなっちゃうのかも(笑)」
B 「ごもっとも過ぎて何も言えない(笑)
食べ物の好き嫌いを克服したら、苦手な人も減るかなぁ?」
A 「まずは納豆あたりからどう?」
B 「うわっ!いきなりハードル高っ!
でも納豆克服出来たら、かなりクセ強めの人とも上手くやれるようになるかもね(笑)」
A 「なる、なる!(笑)」
『好き嫌い』
東京の真ん中にあるオフィスから地下鉄の駅へと急ぐ
階段を足早に駆け降り、下り電車に滑り込む
これで1つ目のスイッチがoffになる
自宅のある駅へ繋がる電車への乗り継ぎがスムーズにいった
ラッキー!
これで2つ目のスイッチがoffになった
電車に揺られながらたまったメールのチェックをしている間に、外の景色が少しずつ長閑になってくる
華やかな広告のネオンの明かりから、マンションのそれぞれの営みがそこにあろう暖かな灯りに変わってくる
僕の降りる駅ももうすぐだ
僕の街の見慣れた灯りが見えてきた
この灯りを見ると何故かホッとする
「やれやれ…」
ここでため息と共に、3つ目のスイッチがoffになり、体の緊張がほどけるのを感じる
「よし、家まであとひと息だ」
改札を抜けた瞬間目の前に広がる街の景色、灯り、匂い…
半日前にここを通っているのに、
毎日同じ繰り返しなのに、
なのに、なのに…
いつもと変わらない街がいつもの様に僕を迎えてくれる
こんな当たり前のことに、毎回僕は鼻の奥がツン!とするような感傷にひたる
そして僕は完全にoffモードになり
家路を急ぐ
この街が好きだ
『街』
生きることが辛くてたまらない時期があった
生きたくても生きられない境遇の人々が多くいる中で、そんな罰当たりな自分が生きるのは申し訳なくて、ますます生きるのが辛くなった
そんな自分が「やりたいこと」を考えるなんて、そんな資格はないとずっと思っていた
だから、自分の中からすべての欲を排除しようと過ごしているうちに無感情になった
少しずつ生きる喜びを感じられるようになった今、ようやく気がついた
「やりたこと」があるから明日に繋がること
「やりたこと」があるから生きたいと思えること
この世に生を受けた以上、どんな人にも生きる価値があること
今はまだ、はっきりと「やりたいこと」は見えて来てはいない
だから当分は、「やりたいこと」を探すことがやりたいことなのかも知れない
『やりたいこと』