フィロ

Open App
6/4/2024, 10:31:51 PM

ここは私の部屋
細長くて狭いけど、知名度も価格も高い都心の一等地

部屋に面した通りは多くの人々が行き交い、そこには昼には昼の夜には夜の全く別の、それぞれに魅力に溢れた街が広がっている

そこを行き交う人々は私の美しい部屋に憧れや羨望の眼差しを向け、私もまたその視線に喜びを感じている


その私の部屋は私が望まなくても常に美しく整えられ、季節感いっぱいに彩られている
そして、私自身も少し季節や流行を先取りした完璧な装いに身を包み、少し物憂げな表情をあえて浮かべ人々の眼差しを誘う


こんな恵まれた環境でこれ以上何を望むの?


確かにその通りだけれど、
この狭い部屋が私の世界のすべて

この部屋を飛び出して、私だって皆と同じ様に笑いあったり恋もしたい



でも、それは無理…


そう、私は銀座の真ん中の、あの有名なショーウィンドウの中のマネキンだから






『狭い部屋』



6/4/2024, 3:48:36 AM

~長年恋愛ドラマの帝王と言われ、還暦を過ぎた今も尚出演のオファーが後を絶たないスター俳優のインタビューに来ている~


記者 「早速ですが、田川さんは恋愛ドラマには欠かせないという地位に君臨され続けておられますが、やはりそれはご自身の経験が生かされていらっしゃるのでしょうか?
実際に恋の噂は絶えないようですが…」

田川 「僕はね、共演した女優さんに本気で恋するの
クランクインしたその日から、頭の中はその彼女のことで一杯になって、寝ても覚めても彼女のことばかり考えるようになるのよ
だからね、お相手の女優さんも僕に夢中になるわけ
だから、撮影中は相思相愛なわけよ
演じようとしなくても、そのまま彼女への思いを表しているだけなのよ」

記 「そうなんですか! だからあんなに自然なんですね そして、その自然な田川さんの振る舞いに世の女性はメロメロになるわけなんですね」
「失礼なことをお聞きしますが、田川さんご自身は失恋のご経験は?」

田 「撮影がクランクアップを迎えるでしょ? それまであんなに熱い瞳で僕を見つめていた彼女達が、まるで魔法が解けたように一気に熱が退くのよ
そして、僕は失恋するのよ、毎回ね(笑)
そしてまた次の出演以来が来て、また僕は恋をするわけ
そんな度重なる失恋が僕を育ててくれたのね
(笑)」

記 「なぁるほど~ そんな恋愛の積み重ねが田川さんの魅力を深めているのですね! でも、それだとご家族は大変ですね」

田 「僕の奥さんは、初めて共演した女優さんだったのね でもね、僕が毎回共演女優さんに本気で恋しちゃうもんだから、可哀想になっちゃってね ほどなくしてお別れしましたよ」

記 「もうご結婚はなさらないのですか?」

田 「そうねぇ、出演のお話が来なくなって、この世界を去ることになったら、最後の恋をしますかねぇ 二度と失恋をしない恋をね」


と、そのまだまだ色気の溢れる涼やかな目で
茶目っ気たっぷりに微笑んだ

こんな魅力的な男に最後に愛される女は果たしてどんな人なのか…
仕事を抜きにしても知りたくなった

そして彼を失恋させる最後の女優は誰だろう…
記者魄が疼く






『失恋』


6/2/2024, 11:31:30 PM

A 「人間関係で一番大事にしてることって何?」

B 「嘘をつかない、ってことかな」

A 「正直でいるって本当に大事なことよね
でも、嘘をつく ことと、本当のことを言わない とは少し違う気がする」

B 「どういうこと?」

A 「嘘をつくというのは事実ではないことを言うということでしょ?
でも、本当のことを言わないというのは、嘘も言ってないのよ
この事を相手に伝えたら傷ついたり、気分を害することが分かっている時は、あえて言わない選択も必要でしょ?人間関係をスムーズにするには」

B 「確かに、思ったことを全て口にしたらかえって人間関係を壊すわよね(笑)」

A 「それはバカ正直って言うのよ(笑)」

B 「相手を思いやっての優しい嘘もあるしね」

A 「どんなことにも思いやりが必要ということよね
思いやりを持って、その上で正直でありたいものよね」

B 「それ、大事!」







『正直』


6/2/2024, 4:33:23 AM

「貴女は雨が似合うひとですね」
と、席に着くや否やその男は話しはじめた


久しぶりに街に出た高揚感と解放感からか、不意に声をかけてきたその見知らぬ男の誘いに
「一杯だけなら…」
と応じることにしたのだ


その男は好奇心と下心を隠そうともしない遠慮の無い視線を私に絡ませながらこう続けた

「普通雨の日って、傘をさしながら皆どこか憂鬱そうに歩いているじゃないですか
ところが貴女は、まるで水を得た魚のように楽しそうに歩く姿がキラキラ輝いて見えましたよ」
と、お世辞を言うというよりは本心から素直な感想を述べているように思えた

私もまんざらではなく、素直にその言葉を受け入れた
「それは、そうでしょうよ」
と内心思いながら


その後も、その男は自分の言葉に酔いながら次から次に口説き文句を並べた
そのリズミカルに出てくる言葉を音楽のように聴き流しながら、私はグラスの最後の一口を飲み干した

男は満足げな顔で、私の口から出る次の言葉を待っていた


「ご馳走さま、とても美味しかった
じゃあ、私はこれで」

「えっ? 帰るんですか?」

「だって、一杯だけの約束だったでしょ」


男は呆気に取られていたが、そりゃ、そうだ!1本取られたな…
と頭を掻きながら、でも何故か清々しく笑った
じゃあ、せめて連絡先だけ
と言う男を軽やかにかわし店を後にした



そんな出来事を、雨の季節になると決まって思い出す
私の梅雨の思い出だ


そしてまた、あの時本当の事を話したら、あの男はどんな顔をしただろうか…と思うとクスクスと笑がこぼれる


それは
私が毎年、梅雨の時期のたった1日だけ人間の形になって自由を満喫できる魚だということだ



今日もまた私は、水槽の向こう側で私達を眺めに来た人間達に優雅に泳ぐ姿を披露しながら悠々と泳ぎ回っている

あの男が偶然ここを訪れないかと期待しながら…






『梅雨』


5/31/2024, 11:48:20 PM

「無垢」という言葉で一番に頭に浮ぶのは、今は亡き愛犬の顔だ

その瞳は常に愛で溢れ、一点の曇りや翳りの無い無垢そのものだった


まるで愛されるためだけに生まれて来たような、どこをどうやっても、何をしていても愛くるしくてたまらない存在

こちらの愛情に100%で応えてくれるその瞳は、疑いや不信は一切なく、無防備すぎるほど美しく澄んでいた

こちらもまたその瞳に悲しみや淋しさや落胆が宿ることのないように、ありったけの愛情を注ぎ、細心の注意を払って全身全霊で彼女を慈しんだ



生涯彼女の瞳は無垢であり続けてくれた

そして、最後の最後にそれまでで一番の愛に満ちた瞳で私に微笑んでくれた

それは「エンジェル スマイル」と呼ばれる
ものだった




今でも写真の中の彼女の無垢な、愛らしい瞳が、私に生きるパワーを送り続けてくれている








『無垢』


Next