フィロ

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「貴女は雨が似合うひとですね」
と、席に着くや否やその男は話しはじめた


久しぶりに街に出た高揚感と解放感からか、不意に声をかけてきたその見知らぬ男の誘いに
「一杯だけなら…」
と応じることにしたのだ


その男は好奇心と下心を隠そうともしない遠慮の無い視線を私に絡ませながらこう続けた

「普通雨の日って、傘をさしながら皆どこか憂鬱そうに歩いているじゃないですか
ところが貴女は、まるで水を得た魚のように楽しそうに歩く姿がキラキラ輝いて見えましたよ」
と、お世辞を言うというよりは本心から素直な感想を述べているように思えた

私もまんざらではなく、素直にその言葉を受け入れた
「それは、そうでしょうよ」
と内心思いながら


その後も、その男は自分の言葉に酔いながら次から次に口説き文句を並べた
そのリズミカルに出てくる言葉を音楽のように聴き流しながら、私はグラスの最後の一口を飲み干した

男は満足げな顔で、私の口から出る次の言葉を待っていた


「ご馳走さま、とても美味しかった
じゃあ、私はこれで」

「えっ? 帰るんですか?」

「だって、一杯だけの約束だったでしょ」


男は呆気に取られていたが、そりゃ、そうだ!1本取られたな…
と頭を掻きながら、でも何故か清々しく笑った
じゃあ、せめて連絡先だけ
と言う男を軽やかにかわし店を後にした



そんな出来事を、雨の季節になると決まって思い出す
私の梅雨の思い出だ


そしてまた、あの時本当の事を話したら、あの男はどんな顔をしただろうか…と思うとクスクスと笑がこぼれる


それは
私が毎年、梅雨の時期のたった1日だけ人間の形になって自由を満喫できる魚だということだ



今日もまた私は、水槽の向こう側で私達を眺めに来た人間達に優雅に泳ぐ姿を披露しながら悠々と泳ぎ回っている

あの男が偶然ここを訪れないかと期待しながら…






『梅雨』


6/2/2024, 4:33:23 AM