なんでもいい。
それでいい。
どっちでもいい。
つまりなんだよ。
自分のその瞬間の気持ちも言葉にできないのかよ。
なんでたったそれだけのこともできないのに、じゃあと出したものにケチをつけられなきゃならない。
いちいちいちいちいちいち、お前がさっさとどっちかはっきりさせてたらこんな鬱憤、蓄積なんてしなかった。
「――しなかったよ、ちゃんとぜんぶ、言ってくれてればさぁ」
「……ぁ、ヒッ、や、やめ……」
「なんでもいいんでしょ? どれでもいいんでしょ? なら、これでいいじゃん。なんでいっつもあたしが決めてから文句ばっかり言うわけ?」
おかしいってこと、まだわかんないの?
なら死んで治すしかなくない?
#それでいい
それで良いのかと問いただす眼差しだ、と思った。
それだけで不思議と報われる気持ちで満たされていくようだった。
深く頷き、自分の心を肯定しながら祈りのために手を重ねた。
「ありがとうございます」
「礼など言うものではない。むしろ其方に対してこちらが礼をするものだ。其方のたったひとつきりの願いなど、無下にするものでもない」
王者の風格とは、こうした言葉の端々にも宿るのだろう。
この方の言葉からは、偽りを感じない。この身に宿る能力のひとつで、偽りや悪意を悟ることができる。なればこそ、この方にはなにひとつとして誤魔化しの気持ちがないことも、安心して委ねられることも理解できた。
「それでもわたくしは、陛下や皆様のやさしさに感謝をしたいのです」
この朽ちることが確定している身で、ひとつきりの願いを見届けることを許されるのだから。
「どうか、我が母国の王族を、ひとり残らず滅ぼしてください。その滅びの暁には、この国の繁栄の礎となりましょう」
#1つだけ
瑕疵などつけず、手のうちではなく、やわらかな綿を敷いた箱に納めて守りたい。
誰かに見せるのも嫌。
誰かに触れさせるのも嫌。
自分だけがただ見つめていたい。
小箱を開けて、眺めるように。
触れずに、ほんのりと光にあてながら見つめていたい。
どうしてそれを許してくれないのか。
#大切なもの
「あ、もう四月一日おわっちゃった」
「そういえば、そうだっけ。なんか年度末から年度はじめってふつうに忙しくてエイプリルフールのための嘘って考えてらんないよね」
お互いにスマホを触りながらの会話。それがいつからか当たり前になってた。
高校時代から付き合いが始まって、あっという間に六年。今年で七年目の関係。
お互いが社会人になって、その忙しさに同じ家に帰ってきても、昔みたいにのんびりしていられる空気じゃない。
「嘘ってさーいざ騙すぞ! って意気込むと逆にネタが浮かばないんだよね」
「わかる。なんかいい感じの嘘って難易度高いよな」
「企業のネタみるとすごいのもあるし、微妙ってのもあるからセンス必要だよね」
まったくだと同意をしながら、ずっとDMのやり取りを続ける手は止めない。
職場の教育係だった先輩社員とのやりとりはずっと続いてる。
退社後に同じ駅に向かうまで話し、それぞれの路線に別れてからはこうやって帰宅したあとまでずっとDMで会話。
それが楽しい。恋人との会話よりも。
「そろそろ寝るか。明日も早いし」
「んー。あ、歯ブラシ新しいの買っといたから」
「忘れてた。サンキュー」
お互いのスマホを、それぞれのパジャマのポケットに入れて歯磨きをして、同じ寝室に入って左右で充電器に繋ぐ。
いつからかお互いに、スマホを放置しっぱなしにすることもなくなったけど、どちらもその事実に言及することはないまま嘘つきの日の翌日を迎えるために眠りに就いた。
#エイプリルフール
どう? って聞くとぼちぼちと返ってくる。
そっちは? って聞かれると、まあまあと返す。
たまに会うのにそんな会話ばっかり、何年も繰り返してる。
子供の頃に漠然と思い描いていた幸せは、実際なってみるとそんなに幸せって感じじゃなくて。
しんどいことのほうが多くて。毎日毎日疲れたなあって小さな気持ちが真冬の雪のように積もっていく。
「じゃあ、またね。お互いがんばろ」
「ん。また。ね」
あの頃思い描いていた幸せって、いったいどれだけ頑張ったら手に入るものだったのか。
幸せになる。なんて言葉今じゃ重すぎて口にするのも難しい。
幸せにと唱えるのはいつからか難しくなってしまって、誰かの結婚式ではおめでとうと言いながら、心ではつらくならないでほしいと願っていたりする。
なんて人生は、難しいんだろう。
#幸せに