「海へ」
小さい時、どんなに深い海の映像を見ても怖くなくて、実際に海に行ってシュノーケリングなんかして、楽しんで、
でも思春期を迎えて沢山環境が変わって暫くしたら、海がとても怖くなった、足をすくわれて飲み込まれそうで、怖い
それでも海は綺麗だから遠目から見たくて海へ見に行く
「さよならを言う前に」
ずっとずっと小さい頃から、私は死にたかった。
動機は簡単で、
私は末っ子だから順番でいけば私が一番最後に死んでしまう、家族一人一人を看取って。
それが嫌だったから、寂しかったから、私は家族皆に看取ってもらいたかったから、じゃあ私が一番最初に死ねばいいんだと思った。
そこから、今に至るまでずっと希死念慮を抱えて生きている。
家族はバラバラになったし、みんなそれぞれを生きている。それが更に希死念慮を加速させる。
小さい頃の純粋な「死にたい」から、今は「生きるのが辛いから、皆が生きてるうちに早く死にたい、私が死ねば皆苦しんで思いはひとつになる」という意味のわからない思考の渦と感情に変わってしまった。
きっと私が死ぬ時は家族皆揃うことは無いから、一人一人の顔を見てさよならを言えないけど、それでも大好きだよと、私より長生きしてねと言いたい。
「神様だけが知っている」
私は神様の存在を信じていない。
いや、どちらかと言えば、いてもいなくてもどうでもいい。
なぜならば、
酷く辛く悲しい境遇の人がいたとして「神様がこの壁を乗り越えろとあなたをこの境遇に置いたのよ」と言われても、それはあまりに理不尽で、当事者からしたら知ったことでは無いからだ。
神様がいるとかいないとか、神様が意図してこの運命にしたとか、そういうことを言っていても時間は止まってくれないし、現実は変わらない。
それでも、もし神様がいるのなら、一刻も早くこの人生を終わらせてくれないだろうか。
否、こんなことを嘆いても何も変わらないのだけれど。
「日差し」
日が入らない建物は苦手。
朝起きてから寝るまでの間に、一度は陽の光を浴びに外に出る。
かつて私が住んでた家は、陽の入りが良く、心地よかった。
部屋に差し込む陽の光、少しきつくてレースのカーテンを閉めることもあったけど、レース越しの光も悪くない。
「窓越しに見えるのは」
自分が赤ん坊の頃から住んでるこの家で、安らぎを感じることは無い。
しかし、心の落ち着きを得られないこの家でも、落ち着き、安堵を得られる時間がある。私が一等好きな時間。
夜、カーテンと窓を開け、自室から外を眺めるのだ。
心地の良い風が頬をかすみ、家々の明かりがほうほうと灯っている。
遠くには木々も見え、車が通れば部屋の天井にライトが反射する。
落ち着くのだ。
風にあたり、夜空を見る。
感傷的になり、涙が込上げる。
開放される時を待っている。
一通りこの時間を満喫すると、窓を閉める。
窓越しに見る景色も悪くない、でも、窓に写る自分の顔は言葉では表せないほど情けない表情。
やはり窓は開けるべきだ。