猫宮さと

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6/18/2024, 1:22:25 PM

《落下》
最初は、面白い技を使う人だなぁ、くらいの印象だった。
真面目で物腰は柔らかい人なのに、あんなに大胆に敵を連打するんだ。
そのインパクトが強くて、一番心に残る人だった。
それだけだと思っていた。

相棒と一緒に改めて彼の足跡を追う。
空を飛ぶ鳥達を見つめる優しい横顔。
見知らぬ旅人にもふわりと笑いかける人当たりの良さ。
国に裏切られ利用された絶望を払いのける力強さ。
己を虐げてきた家族も救おうとする深い心。
育ての親を喪ってなお前へ進む決意の固さ。
決して折れない正義に燃える瞳。

丁度よい距離感だと思っていたんだけどね。

もう、遅い。
気が付けば、心は強く引き寄せられてあなたの下へ落ちていた。
知らなかった。
本当に強い想いは、ことりと落ちる音すら聞こえないものなんだ。

6/17/2024, 12:42:58 PM

《未来》
人生はあらゆる場面での選択の結果と言うけれど、私はそうは思わない。
選択出来る状況と、強大な力で押し流され辿り着いた果ての両方があるから。

彼の人生は、後者の連続だった。
幼い頃から家族から拒絶される道を誰が好き好んで選ぶのか。
自国が闇の力に手を染めるなど誰が想定するだろうか。
その為に肉親を全員喪うことを誰が止められただろうか。

過ぎたことは仕方がない。そう片付けるにはあまりにも重過ぎる。
何もかもを諦めてその場に蹲ってしまってもおかしくなかった。

それでも、彼は立ち上がった。
仲間の叱咤に背を押され。仲間の激励に支えられ。
私は相棒の中から見ていることしかできなかったけれど、彼はその後も知恵と信念を持って私と相棒を助けてくれた。
私の目には、そんな彼がいっとう眩しく見えた。

彼が照らす道の先には、きっと明るい世界が待っている。
叶うことなら、私もその道を歩んでいきたい。
こんな小さな灯りでも、疲れで彼の光が曇った時の導になれるなら。

6/16/2024, 1:47:03 PM

《1年前》
よく晴れた夜空に浮かぶ満月。
銀色の髪を月影に美しく輝かせながら庭に佇む貴女。
1年前にも全く同じ光景を見た。

そうか、あの時から1年が経ったのか。

私の存在が闇ならば、私はあなたに裁かれたい。
迷うことなく、その引き金を引いてほしい。

赤紫の瞳を一心に満月に向け、寂しそうにそう呟いた貴女の背中。僕が聞いているとは露とも知らず。
疑いを掛け監視の目を向けたのに、こんな僕に容易く命を預けた貴女。
そしてその預けた命を、僕を救う為に容易く捨てようとした貴女。

どうしてそこまで出来るのか?
知りたくはあるが、聞くことは出来ない。
それを聞いた時、決定的に何かが変わるだろう。そんな予感が頭を占める。
変化は良い方向かもしれない。が、今までの苦い経験がたった一歩を踏み出す心を押し留める。
今のこの幸せを手放したくない。
微かな願いの灯火は、優しい風にすら吹き消されてしまいそうな儚い光だから。

すると、視界でふわりと銀色の髪が揺らめいた。
月影の中こちらへ振り向き、満面の笑みを浮かべる貴女。
あの時とは違う、祝福の証である青紫の瞳が僕を映す。

1年前から、何かが確実に変わっている。
そして、決して変わらぬ物も確実に僕の中にある。
今日はその変わらぬ何かを支えに、一つの変化を起こしてみようか。
心に決めて、僕は彼女の手を取った。

6/15/2024, 12:34:12 PM

《好きな本》
古い物の整理をしていたら、懐かしい本を見つけた。
小さい不思議な生き物が旅をする話。乳母がよく読んで聞かせてくれていた。
各地の色々な困難を潜り抜け、たくさんの仲間と出会っていき、最後には一つになり本当の故郷へ還る。
幼いながらもその冒険譚に心踊らせたものだ。

清らかな泉が湧く優しい森の主から愛情を受けた彼は、それまで知らなかった世界を目にする。
ゆうゆうと泳ぐ大きな魚達。咲き誇る色とりどりの南国の花。互いを守るように列を成して飛ぶ渡り鳥。
自分の住まう世界しか知らなかった彼らも出会いを果たす事で、自身の中の世界が広がっていく。
一つになるとは、見識が広がることの暗喩だと思っていた。

しかし、僕は見てしまった。いや、正確には人々は、か。
その小さな生き物たちが世界中から集まって、大いなる存在…くじらになる瞬間を。
世界があるべき姿を取り戻したように、彼らもまたあるべき姿へ戻り海へ還った。

きっと、今はゆうゆうと大海を巡っていることだろう。
豊かな花の香りや鳥達の羽ばたきの音を胸に抱いて。
今とは逆に、小さな生き物達が伝説になるその日まで。

6/14/2024, 1:27:27 PM

《あいまいな空》
月が姿を消した夜
空と海の境が混じり合う

遥か彼方でくじらは唄う
生まれくる命を祝いで
去りゆく命を慈しむ

高らかに上がるくじらの吐息は
柔らかな潮風に乗り
ゆらり揺蕩う雲となる

雲が手を取り重なりあえば
くじらの吐息が雨となる

生きとし生けるものへ
等しく注ぐその吐息
優しくあれば恵みをもたらし
酷しくあれば命の全てを洗い流す
そして吐息は海へと還る

くじらは唄い続ける
かつては離れた丘たちへ
その魂が安らぎますように
いつか許されますように

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