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7/16/2023, 11:08:43 AM

長かった前髪を切った。夏だから。
普段は前が見えないように大事に伸ばしていた前髪が美容師の手により取り払われ、無惨にも足元に散らばった事実を確認して、目の前の鏡から恐る恐る美容師の顔を見てみたら、別に鬼の形相などしていないもんだ。
そんな事は普通の人からすれば当然の事なんだけど、人の顔を直視する事が苦手な自分からすれば決して当然でもなんでもない。長い前髪は心のシャッターだった。
目の下のクマがハッキリしてしまって、そろそろちゃんと寝ようなんて思い始める。隔絶された家の中だけでは時間が無限にあるものだと勘違いしてしまうから。これも当然だけど、自分にとって当然ではないこと。

美容院を出てからすぐ、炭酸のような香りがした。それが自分の髪から発されていると気付くと、なんだか気になって空へと視線を傾ける。
当然、香りそのものなんて確認できない。
代わりにうっすらとした雲が浮かぶ青い空が広がっていた。
目に優しいブルースクリーンを見ているようで、馴染み深い景色のようにも思えたが、すぐに紫外線の強さから目を背ける。あー目が痛い。将来、夏が無くなればいいのに。
ハッキリ物が見えるのってうざいなぁ。嫌だなぁ。
ムシムシした季節、自分はずっとウジウジの季節。

とりあえず、早寝早起きから始めよう。
決断するには充分な眩しさだった。

7/15/2023, 5:54:36 PM

今年こそは。
そう何度決意して彼女に背を向けてきただろう。
今や馴染んでしまった距離感を縮めるのが、心の奥底を打ち明けるのが震えるほど恐ろしい。
家が隣同士のくせに。親も寝静まった夜に、自室の窓から顔を出せば、お互い示しあわせたかのように鉢合わせるほどに近いくせに。
それでも家と家の間の植え込みには妙な圧迫感を感じた。下を向けばよりいっそう緊張感は高まった。さらに言えば小学校から高校に至るまでの時間分だけの恐れ多さやら気恥ずかしさやら、言葉にすれば小さく感じられる大きなものを感じた。
今やその植え込みは僕にとっての天の川。この気持ちを伝えることは、天の川を渡ることに等しい。

でも、もう終わりにしたい。

深呼吸をひとつして、窓を開けた。
ガララと窓を開ける音がすれば、合図を受け取ったと向こうの窓も開く。まるで待っていたかのように、彼女の笑顔が光る。
お互い手を振る。用事がなくてもいい間柄。明日の科目とか、お互いの近況、頑張ったこと、面倒だったこと、友達との約束事、今日やったゲーム、ペットの話、LINEが七夕仕様だった話。つまらない話ばかり続けて、眠くなったらまた今度。よくある終わりのはずだった。

でも、もう終わりにしよう。