何がしたいのかわからないまま、二年ほどの月日が経ってしまった。
誰かと手を取り合って、みんなで遊んだり、物事を考えたり、行動していた頃がとても懐かしく感じる。
今の私は、周りの好意を受け止めず、跳ね返して勝手に孤立している。自業自得だ。
でも、なぜだろう。受け入れることができない。
自分の目の前のことで精一杯で、将来が怖くて、自分から1人の道を選んでしまった。
この世界に順序というものがなければ
良いも悪いもすべてなかったならば
こんな辛い世の中じゃなければ
私が素直な人間として生きていれば
私は今も、人と手を取り合って生きていた
はずだ。
あたたかい日の差す教室で、あなたとふたり、いろいろなことについて語り合った日を思い出す。
思えばあの頃が、1番楽しくて幸せだった。
その瞬間は日常でも、時が過ぎれば思い出となる。
空がこぼした涙が、私の傘にしとしとと降り注ぐ。
だけどやがて、空は泣き止み、夜が来て、三日月の空が笑う。
降り止まない雨はないとは言うが、それは本当のことだったのだ。
ただ、私は空と同じように、笑えるのはきまった夜だけということ。
私の雨が止むときは、夜の三日月と共に。
人間は、結末から逃れることができない。
必ずしも、いつかは消えてしまう。
だからこそ、やりたいこと、楽しいこと、失敗も成功も、なんでも経験すべきではないだろうか。
どうせいつかは消えてなくなるのだから、それまでくらい好きに食べて、遊んで、学んで、喧嘩して、消える。完璧ではないが、そんな人生も、悪くないのではないだろうか。
私も、貴方も、いつかは消える。
だからこそ、今日を好きに生きていこう。
誰に迷惑がかかろうと、誰に嫌われようと、別に関係ないし、私は私なのだから、どうだっていい。
私は野良猫のように、自由でたまに失敗するような人生を送りたい。そう願っている。
もっとも、これは私の理想だから、実際は成功を求めて、社会に縛られて醜く生きるのでしょうけど。
理想の中でくらい、夢物語でいいでしょう。
私は今日も、ふらふらと歩いて1日を消費した。
やらなくてはいけないことは沢山あるが、頭がずっとふわふわと、でも、おもりのように重くなるので、やっぱりなんだかやる気が出なかった。
毎日同じことの繰り返し。
変化のない毎日。
それでも、今日の失敗と成功が積み重なって、変化を生む日が来るかもしれない。
はたまた、積み重ねてもまったく意味なんてないのかもしれない。
それでも、時間は進んでゆく。止まることはない。
自分の意思がなくたって、別にいい。夢がなくてもいい、誰になんと言われようと、どうでもいい。
運良く吹いた風に身を任せて、時間を無駄にするのも、ひとつの人生だろう。
遠い宇宙には、どんな景色があるのだろう。
未だ誰も見たことのない絶景が広がっているのだろうか。
もし、地球と似た星で、私に似た人間が暮らしていたのなら、ぜひ一度会ってみたい。
地球と同じような青空がそこに広がっているのなら、ぜひ一度目にしてみたい。
遠くの星の空を見るため、私は今日も夢をみる。