サプライズで彼女ーーA子のマンションまでやって来た。初めてだ。彼女はとても綺麗で礼儀正しく、清楚な人だ。ワインとチーズ、そしてスイーツがとても似合う。女性らしい、フワフワした服装もぴったりだ。
オートロックのインターフォンを押すと、愛する彼女の声が、スピーカーから鳴り響いた。
「……はい?」
聞こえた声は、スピーカー越しだからか、思っていた彼女の声よりも低く、知らない相手に対する警戒感が感じられた。
だから俺は、安心させるように顔をカメラに寄せ、口角を上げて名乗る。
「俺だよ、A子」
「……え? B男さん? え? ええっ⁉︎」
何度も俺の名を呼ぶ彼女に、愛おしさが込み上げる。でも驚き声ばかりで、全然話が先に進まない。だからすこし彼女の声に割り込むように、強引に話を進める。
「突然でごめんね。近くまで来たから驚かせようと思って。A子ちゃんが食べたいって言ってた有名店のケーキ、買って来たんだ。良かったら……一緒に食べない?」
そう言ってケーキ屋の箱を見せると、ひとときの間ののち、
「わぁ、嬉しい! 是非上がっていって!」
嬉しそうな声が途切れたかと思うと、オートロックが解除され、機械音と共に扉が開いた。
エレベーターに乗って彼女の部屋の前に行くと、ちょうどドアが開いた。
現れたのはもちろん彼女。
お互いの顔を認め合った瞬間、彼女は嬉しそうに口元を緩ませた。釣られて俺も笑顔になる。
お土産のケーキはとても美味しいものだが、きっと彼女と食べるケーキはもっともっと美味しいものになるだろう。
そんな確信をもちながら、俺は部屋の中に入っていった。
※
ピンポーン
インターフォンが鳴るには遅い時間だった。
(一体誰? 宅急便なんて頼んでなかったはず)
私は一口含んだ焼酎を飲み込むと、摘んでいたスルメを袋の中に戻した。
10年以上愛用している中学時代のジャージに身を包んだまま、のっそのっそとベッドの中から出て、インターフォンと連動しているスマホ画面を見る。
せっかくの晩酌タイムを邪魔され、不機嫌な気持ちが、マイクに話しかける声色に滲む。
しかし、名乗られた瞬間、私の不機嫌さは驚き一色に塗り替えられた。
B男さん!
何と、彼氏だ。
彼の手には、ついこの間私が食べたいと口にしたケーキ屋の箱!
それを見た瞬間、私は全てを悟った。
彼は、私とケーキを食べるために、家にやって来たのだと。
きっとこの家に上がりたいのだと。
「……え? B男さん? え? ええっ⁉︎」
慌てて混乱している様子を声で演技しながら、私は急いでくたくたになったジャージを脱ぎ捨て、いつも着ているフェミニンな服に着替えた。
ベッドのサイドテーブルに置いていた、焼酎やお徳用スルメ、柿ピーをひとまとめにして冷蔵庫の奥の方に突っ込む。
散らばった食べかすを瞬時に集め、ゴミ箱に捨て、酒臭さを誤魔化すために窓を開け、換気扇を全開にし、ファブリーズをベッドの上にまいた。
床に散らばった服は、クローゼットの中に突っ込み、シンクに溜まっていた食器をとりあえず食洗機につっこむ。
「突然でごめんね。近くまで来たから驚かせようと思って。A子ちゃんが食べたいって言ってた有名店のケーキ、買って来たんだ。良かったら……一緒に食べない?」
B男さんが、少し割り込むように話を進めたため、これ以上の誤魔化しが効かないことを悟る。
フローリングをクイックルワイパーで掃除をしながら、ここまで来るまでの時間を想像する。
……うん、間に合う。
「わぁ、嬉しい! 是非上がっていって!」
口角を上げて高い声を出すと、私はオートロックを解除した。
さあ、最後のひと勝負だ。
洗面所に向かい、化粧をチェック。家に帰ってからすぐに化粧を落とすなんていうめんどくさことはしない、というズボラ精神が幸をそうした。
うん、ちょっと直すだけで大丈夫そう。ワックスで髪の毛を整えて……よし!
部屋から廊下に出た瞬間、B男さんがやってきた。
間に合った……
私は、やり遂げた……
安堵から身体中の力が抜けそうになる。だけどそんな私の内心には気づかず、B男さんはにこやかに微笑んでいた。
これが彼の知らないところで起こっていた、もう一つの物語。
とある国の どこか遠い場所。
暗がりの中で、金色の目が光りました。
「きゃっ!」
やみ夜の中で驚き立ち止まった王女様の前を、一匹の黒猫が横切っていったのです。
黒猫は不吉な予兆。
そう言い伝えられているこの国では、忌み嫌われている存在です。
王女様も例に漏れず、黒猫が通り過ぎ去った道を、顔を顰めながら見つめました。
それもそのはず。
王女様は、結婚が嫌で逃げ出していたからです。
相手がどんな人間がなんて知りません。
王女様は、結婚すること自体が嫌だったのです。
(知らない国に一人で嫁ぐなんて、寂しいもの)
だからどうしても捕まるわけにはいかなかったのです。
黒猫は、王女様の意にそぐわない結婚を予兆しているかのようで、王女様の心を不安にしました。
また暗がりで、金色の目が光りました。
王女様は怖くなって、さらに歩みを早めようとした時、足元を黒い影が横切りました。
小さな悲鳴をあげ、反射的に立ち止まった王女様でしたが、突然後ろから誰かに抱き上げられました。
ランタンの光に照らされた相手は、とても綺麗な男性でした。
彼は、王女様が口を開く前に捲し立てました。
「ダメじゃないか! このまま進んでいたら、君は崖から落ちていたんだぞ!」
そう。
暗がりで気が付かなかったのですが、王女様が向かおうとしていた道の先は、崖に続いていたのです。
(もし……黒猫が横切らなければ……私が立ち止まらなければ……)
王女様は、真っ逆さまに落ちる自分を想像して、ぶるりと身を震わせました。そして、助けてくれた男性に大変感謝しました。
*
結婚式が始まりました。
王女様の顔には笑顔が浮かんでいます。
何故なら、今伴侶として隣にいるのが、あの日自分を助けてくれた男性だったから。
彼こそが、王女様の結婚相手だったのです。あの日、王女様がいなくなったと聞き、いてもたってもいられず、一人探しに飛び出したのです。
それを知り、王女様は自分の身勝手さを恥じました。
そして、彼のことをもっと知りたいと思うようになり、いつしか愛情へと変わったのです。
王女様は彼の国へ嫁ぎました。
しかし一人で寂しくなんてありません。
優しい夫、子供たち、そして黒猫たちに囲まれて、末長く幸せに暮らしました。
黒猫が救い、縁を結んだこのお話は国中に広がり、黒猫はいつしか恋愛の象徴として、長く人々から愛される動物となったそうです。
紅茶の香りなんて分からない。
何が良い匂いかとか、茶葉ごとの違いとか、
アッサムとかスリランカとか言われても分かんない。
午後ティーとリプトンなんて、どう違うの?
味だって、砂糖やミルクを入れるんだから分かんない。
「そうかな? それでも興味を持って味わえば、違いは感じ取れるよ」
彼氏が、紅茶をスプーンでかき回しながら言う。だから私は反論する。
些細な違いなんて、お腹に入ればみんな一緒。
舌の上で感じ取れる一瞬に、違いなんて分からない。
そもそも別の紅茶の味なんて、覚えていない。
「そっか。興味ないものの違いは分からないんだね」
彼氏が、飲み終わったカップをソーサーに置く。
カチャンと、陶器同士がぶつかり、耳の奥に突き刺さるような甲高い音を立てる。
「本当は僕のことに興味がないから気づかなかったんだね」
何を、と問うと彼氏が、嗤う。
「あの夜、君を抱いたのが、僕の双子の弟だったってこと」
すき
と言ったら
大好き
と返ってくる
私とあなたの愛言葉