若葉色した小糠雨が降りしきる
花に葉にまとい、春の匂いを含んで雫になる
柔らかく優しい春の雨
はい、枠確保です(´・ω・`)
「米と漬け物があれば他は何もいらない」
とか言われてもね、おかず作らないわけにはいかないのよ(´・ω・`)
他に思い浮かばないなぁ……
もしも未来を見れるなら
あの人の未来を見てみたい
3年、5年、10年
あの人のそばにいる人を見て
先回りできるように
私がそばにいられるように
〈無色の世界〉
締め切りまであと三日だった。
画面に広がるのは、白いキャンバスと、その上に打ち捨てられたように並ぶ色見本の残骸だ。マカロンピンク、オールドローズ、テラコッタ──どれを並べても、何かが違う。
正確に言えば、何が違うのかさえわからない。グラフィックデザイナーとして十年近く働いてきて、こんなふうに色の前で立ち竦むのは初めてのことだった。
気分を変えようと、午後から電車に乗った。
都心の駅を出た瞬間、視界が揺れた。広告の赤、タクシーの黄、ショーウィンドウに貼られたポップの緑。信号の青が点滅し、横断歩道を渡る傘の群れが、また別の色の層を重ねてくる。目が情報を処理しきれなくて、耳の奥がじんと鳴った。
喫茶店に逃げ込み、コーヒーをひとくち飲んでから、ふと大学時代の講師のことを思い出した。
白髪まじりの、物静かな人だった。彼は一度だけ、こんなことを言った。
「無色の世界に、少しずつ淡く色をつけていく。大体の色の世界がまとまってきたら、次第に濃くしていく」
頭ではわかっている。いつだってそうやってきた。なのに今回は、最初の一色が決まらない。淡くする以前の、起点そのものが霧の中にある。
****
その夜、眠れないまま明け方を迎えた。
四時を過ぎた頃、喉が渇いてベッドを出る。台所の窓から外を見ると、世界が消えていた。
靄だった。
向かいのマンションも、街路樹も、遠くの高層ビルも、すべてが白に溶けている。色という色が剥ぎ取られて、輪郭だけがぼんやりと浮かぶ。電柱が、フェンスが、駐車場の車が、それぞれの形だけを残して靄の中に沈んでいた。
コーヒーを淹れる気にもなれず、椅子を持ってきて窓の前に座った。
五時になると、空の端がわずかに変わり始める。白の中に、ごく薄い黄みが滲んだのだ。ほとんど気づかないくらいの、淡い変化だった。
それから少しずつ、世界は色を取り戻していく。
電柱の茶色が、じわりと浮いてくる。続いてフェンスのさび色、街路樹の暗い緑。どれも最初は信じられないほど淡く、朝の光が角度を変えるたびに、少しずつ重みを増していった。
喫茶店の看板の赤が見え始めたのは、六時を過ぎた頃だ。あの都心で受けた衝撃とはまるで違う、静かで、必然のある赤だった。
世界は最初から、ずっと無色だったわけではない。
靄が、いちど無色に戻したのだ。そしてそこから、光が順番を知っていて、色を渡してくる。
起点は、自分で決めるものではないのかもしれない。どの色から始めるかではなく、何を削ぎ落としたときに残るか。
講師はそれを言おうとしていたのだろうか。あの静かな声で告げた言葉の、もっと手前にあるものを。
窓の外はもう、やわらかな朝の色に満ちていた。
椅子から立ち上がり、パソコンを開いた。キャンバスをまっさらにして、一番淡いグレーをひとつ、置いた。
〈桜散る〉
雨は、静かすぎるほど細かに降っていた。
行き交う車の音も、どこか遠くで鳴っているようで、現実感が薄い。
春の雨はもっと柔らかく暖かいものだと思っていたのに、今日は冷たくて、肌の奥まで染み込んでくる。
「桜、散っちゃうね」
そう言った私の声は、思ったよりも軽くて、まるで誰かのものみたいだった。
彼は振り返らない。
少し前を歩く背中は、いつもより遠く感じる。歩幅が合わないわけでも、距離が極端にあるわけでもない。ただ、そこにあるはずの《何か》が、もうない。
返事がないことに、驚きはなかった。
ここ最近、ずっとそうだったから。
雨に濡れた桜並木は、足元に淡い色の絨毯を広げている。薄桃色の花びらが水を含んで、重たく、踏まれるたびに音もなく崩れていく。
彼の靴が、それを踏みしめる。
黒い革靴の底に、花びらが貼りついては剥がれ、また次の一枚が潰される。その繰り返しを、私はただ見ていた。
あの靴を選んだのは、私だった。
就職祝いに、一緒に店を回って、何足も試して。
結局、少し背伸びした値段のものを「長く履くなら」と言って決めた。彼はそのとき、少し照れたように笑っていた。
あの笑顔を、もう思い出すのに時間がかかる。
いつからだろう。
話しかけるタイミングを探るようになったのは。
沈黙に理由を探すようになったのは。
手を繋ぐことに、躊躇いが生まれたのは。
雨粒が、彼の肩口を濡らしている。傘を差しているのに、なぜか濡れて見える。もしかしたら、それはただ私の目が曇っているだけかもしれない。
「ねえ」
呼びかけても、声は届かない。
いや、届いているのに、拾われないだけだ。その違いを、私はもう知っている。
風が吹き、枝に残っていた桜の花びらが落ちてくる。
雨に押されるようにして、ひらひらと舞うが、雨粒をまとうとどこか諦めたみたいに真っ直ぐ落ちる。
そのいくつかが彼の傘に触れて、すぐに滑り落ちた。
彼は前だけを見て、歩き続ける。私は一歩遅れて、その後を追う。
昔は、逆だった。
彼が少し遅れて、私の隣に並ぶタイミングを見ていた。歩幅を合わせるのが得意じゃなくて、何度もぶつかりそうになって、そのたびに笑った。
あのときの距離は、どうやって作っていたんだろう。
今は、どうやっても埋まらない。
足元に視線を落とす。
濡れたアスファルトに、花びらが貼りついている。その上を彼の靴が通るたびに、形が崩れる。
柔らかくて、軽くて、でも踏まれればすぐに壊れる。
まるで、今の私みたいだと思った。
言葉にしなければ、何も壊れない気がしていた。触れなければ、そのままでいられる気がしていた。
でも、それはただの先延ばしで、もうとっくに崩れているのかもしれない。
「……ねえ」
二度目の呼びかけは、さっきよりも小さくなった。
彼は振り向かない。その背中に、もう期待していない自分がいる。期待しないことで、傷つく準備をしている自分がいる。
雨が少し強くなる。桜は、さらに勢いよく散り始める。
視界の中で、花びらが増えていく。落ちて、重なって、踏まれて、形を失っていく。
彼の靴が、それを繰り返し踏んでいく。
その光景だけが、やけに鮮明に焼きついていく。
たぶん、これが最後なんだと思う。何が、とは言えないけれど。
この時間も、この距離も、この沈黙も。
全部が終わる手前の、曖昧な瞬間。
私は立ち止まらない。追いつこうともしない。
ただ、同じ速さで、少し後ろを歩く。
彼の靴と、地面の花びら。
その組み合わせだけが、なぜか美しくて、残酷で、忘れられないものになる予感がした。
やがて、並木道の終わりが見えてくる。桜のない道に出れば、この景色も途切れる。
その先に何があるのかは分からない。でもきっと、ここで終わる。
名前もつけられないまま、形も残さずに。
最後に、ひときわ大きな花びらが落ちて、彼の靴の先に貼りついた。
それが一歩で潰れて、水に溶ける。
雨は、まだ止まない。
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今年もまともに桜を見なかった気がします……繁忙期はまだまだ続きます(´・ω・`)