旦那と付き合っていた頃
「夜の海」によくドライブに行った
月明かりが砂浜を照らすくらいで
ホントに静かな場所だった…
何だか良いムードに…なんて事も
たまにはあったかもしれないが
どちらかと言うと、暗闇が不気味で
私は早く帰りたかった…
今は、草食系男子がもてはやされる
時代だが、一昔前は男は男らしくで
車を運転出来るようになった適齢期の
男子なんかは、皆こぞって
「夜の海」に繰り出したもんだ…
さて、その後かなりの時間が過ぎた
今の彼(旦那)の変貌ぶりはと言うと…
毎晩呑む…いい調子で出来上がって
どうでも良い昔の武勇伝を昨日の事の
ように語り…
家族が生返事だとすねて…
家事に追われている私にもスルーされつつ
数十年変わらない定位置を確保している
あ〜…運転する斜め45度の横顔が好きだったなぁ〜…あっ!過去系はまずいか(笑)
いつも、お仕事ご苦労様です♥
ここは、素直に初めて自転車に
乗った時の話をしよう…
私の自転車の初乗りは2年生で
最初の自転車はホントにボロボロで
あちこち凹んだり、色も誰が塗ったか
わからない変な青色だった…
今だに、この代物がどこからやって来た
のかは不明だが、まあ初代の相棒は
このポンコツ自転車だった…
男勝りだった私は、最初から転んでも
壁にぶつかってもお構いなしな女の子で
とにかく、上手くなるには「乗る!」
この一択のみ…だから、案外すぐに
庭先をグルグル回りだした…
しばらくして、近場の公道にデビュー
して、調子づいて乗り回していたが
ある日、バランスを崩して左のブロック塀
に倒れ込んだ……
「痛!…」左の甲に大怪我をしてしまった
それもかなり傷は深い…
泣いて帰る…のが一般の女の子だが…
「自転車に乗って」風を切って走りたい
だからばれると1人で走らせてもらえない
そんな風に思って黙って辛抱した…
もう、忘れる位に時間は過ぎたけれど
今も左手の傷跡だけはうっすらと残り
あの頃の記憶と一緒に、私の胸に残っている…
毎日生活していると
いくら自分は穏やかに過ごしたくても
外野から色々な刺激やトラブルが
次々と降って湧いてくる…
打てば響く…一見は反応が早く良い
事のように思えるが、余りに敏感に
反応する事は、ストレスと言う意味では
なかなか「心の健康」を保つ事に
とっては厳しい…
良い意味で、日々の暮らしの中では
少し鈍感な方が幸せかもしれない
思うようにならなくても機転を利かせて
「まあ、いいや…」くらいな方が良い
これは、体調に至っても一緒だろう
時には体も壊すが、同時に心の健康も
壊してしまうと治るものも治らない
結果、最悪な事態を招きかねない
物事を考えるには常におおらかに
自分を追い詰めない生き方が大切だ
ずっと前に独学でウクレレを始めた…
教本を買ってウクレレを買って
毎晩、楽譜とにらめっこしながら
気がつけば3年が過ぎた…
一階のリビングで練習を重ねて
そこそこ弾けるようにはなったが
2階に寝ている家族の睡眠を邪魔しない
ように、息をひそめて弾いていた…
上手くメロディが繋がっている時は
耳障りではないが、止まったり間違ったりで、その度に「何だ?」と思うらしい…
だから遠慮してどんどん音は小さくなった
「君の奏でる音楽」は家族に気を使い過ぎて、大きな音が出せなくなった自己流の
ウクレレの音色だ…
色々揃えて準備はバッチリだったが
一番肝心な、素直に音が出せないという
致命的なクセで今だ中途半端だ…
おまけに最近は多忙を言い訳に
見て見ぬふりを決め込んでいる
こんなんじゃ、また最初からやり直しだな…
青い海…波打ちぎわに「麦わら帽子」の
女の子…こんな絵を良く見た気がする
この感じはやっぱり昭和かな…
今も麦わら帽子はあるけれど、タグは
ほぼ全てが「Made in China」ばかり…
身の回りにある物に「MADE IN JAPAN」
のタグを見つけると何だかホッとする
偏見かもしれないが「日本製」が好きだ
やっぱり、自国を愛しているし…
日本製は丁寧で几帳面なイメージがある
食べ物も、洋服も、雑貨も…
日本人が日本人の為にお互いに作り合って
上手く回していけば、今みたいに不景気
で、大変な世の中は避けられたんじゃないかな…
今こそ、原点に立ち戻る事が大切だと
思うのは私だけだろうか…