10年ほど前に、我が家の真ん前の家に
1人暮らしのおばあちゃんがいた。
おばあちゃんは、とても繊細で
朝から晩まで血圧計を片手に一喜一憂
してはご近所さんに助けを求めていた
体調と言うのは個人差が大きいので
おばあちゃんの言い分も間違っては
いないのだけれど、「それで病院行く?」
くらいな勢いで私にも電話を掛けてきた
ふと時間を見ると夜中の12時前だったり
深夜、病院のロビーで待機なんて言う事も
あった…
周りから「あなたはやり過ぎよ」と
逆に呆れられたりもしたけれど
「誰かのためになるならば」と自分自身を
納得させながらお世話をした
けれど、人様に情をほどこす事で
我が身でなくとも、自分の大切な人たちに形を変えてかえってくる…
そんな経験も沢山した
だから、結局は「誰かのために…」は
巡り巡って我が身にかえってくる
これは、多分悪い事をしても一緒なんだと
いつも自分に言い聞かせながら生きている…
私…重症の方向音痴です。
多分、性格としては1人行動は平気
なんだけれど…
生まれつき、東西南北がわからなくなる
事については一生付き合うしか
ないようです…
こんな感じで生まれてしまうと
私が……って言うよりは、周りが私を
危う過ぎて「鳥かご」に閉じ込める訳です
昔、勤め先でポスティングをする事に
なり、皆は車であちこちに散らばって
行ったけれど、私は徒歩で「近所を歩く
だけで大丈夫です!」なんて扱いで…
小学生でも迷わない距離を職場の仲間たち
は、「1時間で帰らなければ捜索に出ます」
と、有り難いやら情けないやら…
今も相変わらず行きと帰りで景色が変わると逆方向に行ってしまったりで…
まあ、これで信用してなんて言えるはずも
ない訳です
だから、私はよく皆にこう言っています
「私自身がナビになりたい…」ww
女の「友情」ははかないと言うけれど
私には半世紀を超す親友が2人いる。
ランドセルを背負って小学校に通い
中学時代、高校時代も一緒に過ごした。
1人は地元に残り、1人は都会に出たが
距離など関係ない…
生まれ持ったご縁があれば頑張らなくても
ちゃんと繋がり続ける…
大人になってからも親しい友人は次々と
現れた…これが必然と言う事だろう
長続きする秘訣は、お互いに会いたいと
思うタイミング以外は、入り込み過ぎない事だと思っている…
私は、グループで固まって付き合うのが
苦手でほとんどは一対一なのだけれど
2人でいる時間が長くなるのでかえって
素直に話す事が出来て「友情」は深くなる
一生の間には沢山の人たちと出会うけれど
信頼を築き、共に歩む人に巡り合う事は
本当に奇跡だと思っている…
投稿を始めて100日が過ぎた…
1日も休まず書き続けてこれた事は
自分自身を褒めてあげたいと思う…
何より、ご縁のある方たちと出会えた事はすごく嬉しいし有り難い…
毎日、お題を見ては「何だ??」と
しばらく考える日々は、正直やらなくても
良い事を自らに課している訳だし…
ホントに何も浮かばない日もある
今日のお題もしかり…
「花咲いて」なんて尋ねられても困る
真夏に花は少ないし…人生の花は随分前に 満開を迎え今はしぶとく花が残っている
くらいだww
私は投稿した文章に1つだけしている事
がある
それは、次のお題に移る前に一度だけ
声に出して読む事だ…
書いているだけではただの文字
しかし、声に変える事で「言霊」に
なるのだそうだ…
だから、暗い内容や攻撃的な言葉は
使わないように心がけている
これからも、ご縁が沢山つながるように
素直に自分らしく書き続けていきたい…
今更、どこかに帰りたいと言う願望も
ないんだけれど…
今だからわかる事も沢山ある
若さは永遠でもないし、体も永遠に
動き続けるはずもない…
幸いに、私はまだ自由に動けるし
行きたい所に行き、時々は友人とランチを
楽しんだりする事が出来るのだが…
これも永遠って訳じゃなし時間に限りは
あるわけだ…
「もしもタイムマシンがあったなら」
迷わず一番若く健康で美しい時間に
行きたいと思う。
一番良い時に帰って楽しみたい訳ではない
人生で絶好調の時は短い…
だから、しっかりと考える事が必要だ
「今、自分は最高に恵まれている!」
そう自覚を持って大切に生きろ…と言いたいのだ…
悲しいかな全てに恵まれている時は
自覚がない…
それが当たり前だからだ…
今だからわかる…今だから伝えたい
限りある恵まれた一瞬を悔いなく大事に
生きるようにと…