「今一番欲しいもの」はコロナ騒動が
なかった頃の平和な時間だ…
この4〜5年で世界中がおかしくなった
田舎だと言うのに…密なんて程遠いのに
真夏だって言うのに…右も左もマスクを
して買い物をしている
何なんだろうか…
風邪引いたって別に何ともなかったよね
今は咳すら気を使う世の中になった…
「11波だ!」って毎日毎日、またメディア
が騒ぎだしたみたいだ…
日本人って元々免疫力が強い人種らしい
なのに国がもろ手をあげて推し進めた案件もあったな…
打っても打っても収まらないなら効いてないって事だよね…
生まれ持った自分の力を信じて
今からでも元に戻せないのかな…
こんなに素晴らしい免疫力を備えている
私たちなのにもったいないなぁ…
「私の名前」はどこにでもある平凡な名前だ…
だから、本音は可愛い名前が欲しかった
ずっと昔、「私の名前の意味は?」と
両親に尋ねた事がある…
「おまえの名前は親戚のオジサンが考えたんだ」
えっ?……親戚のオジサン?
そのオジサンの事はよく知っていた
ハンサムで優しく賢い人だった…
「あ〜…あの人か」と思ったが
親じゃないんだ…とも感じた記憶がある。
両親は、3つの名前を考えてきたオジと
どれにしようか考えたようだ…
そして、今の私の名前に決めた決定打は
「おまえの名前は畳の上で死ねるんだよ」
と、自信満々で答えてくれた…
当時は、生まれたばかりの子に
「死ぬ」ってと思ったが、段々と年齢を
重ねて長い人生の流れも理解出来ると
「畳の上で死ねる」その言葉には大きな愛があったんだとわかるようになった…
家族に囲まれ穏やかに人生が終わるなら
こんなに幸せな一生はない…
両親とオジの深い考えをくみ取れる位に
私も成長出来たのかもしれない…
夏野菜の植え付けが終わり
しばらくたった頃、小さな双葉が畑の片隅に芽を出した…
「草?野菜?いったい君は何?」と
私は、弱々しい苗に語りかけた…
しばらくそのままにし、時々眺めていたが何だかよくわからない「小さな苗」を
ちゃんと育ててみようかと、素焼きの鉢に
植え替えてお世話をする事にした…
しばらくして双葉から本葉が伸び始めた
「君は、きゅうり?かぼちゃ?スイカ?」
確かにこの3種の中のどれかだと答えが見えてきた…
毎日少しずつ成長し正体がハッキリした
「君はスイカだったんだね〜」
このスイカが芽を出した流れはこうだ…
昨年夏、スイカの残骸をコンポストに投下
どんどん残飯を投げ込み堆肥に変化させ
夏野菜の畑に投入…
この時点でバクテリアに分解されてしまい
土になっているはずが…
何故か一粒の種が生き残り芽を出した…
私はこの奇跡の苗に「ド根性スイカちゃん」と命名をした。
鉢のままでは大きくなれないとわかり
今度は畑に2度目のお引越し…
それから、大事に大事に育ててきた
現在、「視線の先には」20センチ超えの
スイカが2つスクスクと育っている
ド根性スイカちゃんは、ド根性で生き残り
ド根性で実をつけた…
「君は何?」から始まった生命力の
塊は奇跡のスイカに成長した
私は、「私だけ」の人生を生きている
………と、思い込んでいた若い頃
今は、私だけの人生なんてないと
色々学んで心底納得させられている
私の娘はいわゆるバツイチってやつで…
一応…娘の名誉の為に付け加えておくが
事故で言うなら、後ろからいきなり
オカマをされたような案件な訳だが…
ここで、私は現実の生活において
娘の人生の巻き込み事故にあっていると
思っている…
そして、家族を増やして帰ってきたので
当然、その子たちにも手間も時間も費やさなければならない…
これは、体にムチ打ってやっているって
事で、やはり巻き込み事故の余波である。
こうやって冷静に考えると、皆まわりに
相当な援助や迷惑や時間まで貰いながら
やっと何とか日々を生きている…
だから、大変な時ほどまわりをよく見て
「ありがとう」を忘れず生きなければならない…
1日がものすごく早い…
口癖のように「1日が30時間あれば
自由な時間が出来るのに…」
そんな言葉を繰り返しながら
日々は目まぐるしく移り変わっていく…
「一難去ってまた一難」
この言葉もしかり…本当に次から次へと
心配事は湧き出てきて私を悩ませる…
「遠い日の記憶」とは、人生が一段落し
縁側でお茶でも飲みながら
「大変な事ばっかりだったけど頑張ったね〜」なんて言いつつ、人生を振り返り
反省とねぎらいを込めた言葉とセット
なんじゃないか…そんな気がする
だから、毎日悩んだり、心配したり
「30時間欲しい!」なんて余裕がない言葉
を発しているうちは使わない方が賢明だ